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僕は僕の書いた小説を知らない  作者: Q7/喜友名トト


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28/35

10/27→10/29もう疲れた

10/27 金曜日 PM9:15


 家の棚にたくさん置かれていたはずのボトルは、全部空になっていた。

 スコッチもバーボンもジンもラムも、貰ったけど嫌いだから飲んでいなかったテキーラさえも、ひとつ残らず残っていない。


 しょうがないので、俺は外に出ることにした。酒屋で買い物をするのは億劫だった。ビニール袋をぶら下げて一人で帰り道を歩くなんてぞっとするし、洗い物をするのも氷を削るのも面倒くさい。


 俺は駅前の花屋の方に向けて歩いた。そこの二階は、俺の馴染みのバーだ。

 そういえば、髭をそっていないし、まともなジャケットがなかったのでパーカを着ている。それに俺にしては珍しくスニーカーを履いている。ちょっとためらわれるけど、別にいいか。


 俺は花屋の二階に上り、重いドアを開けた。こんなに、重かっただろうか?


「おお、アキラ。久しぶりだな」


 田中さんはあまり変わっていなかった。この人との距離も、いずれは遠くなるんだろうな、と思った。


「……ども。ひさしぶりなんですか」


 客が誰もいないのは幸いだった。今は、知らない酔漢の声も聞きたくないし、女性客と小粋な会話を出来る気もしない。どちらもわりと好きなことだったけど、今はただ、カウンターの奥の席に座り、一声。


「なにか強いのください」

「めずらしいな。スコッチとバーボンだったらどっちだ?」

「どっちでもいいです」


 投げやりな俺の物言いに、田中さんは片眉をあげてみせた。だがすぐに、あいよ、と注いでくれる。カネマラ・カスク・ストレングスというそのアイリッシュウイスキーは59度もあるそうだ。重く、ズシリとしたコクがある……らしい。


「〆切は間に合ったのか?」

 田中さんはグラスを磨きつつそう尋ねかけてきた。最近の俺の事情も知っているのだろう。


「まあ、一応。でも色々あって、本にはならないことになったんですよ。同じのください」


 俺はこの話をあまり続けたくなかったので、一息にグラスを飲み干してみせた。もう名前を忘れたその酒が、少しだけ頭をクラクラさせる。


「あいよ。……まあ、書きあがったんだろ。それならお疲れ。一杯奢りにしてやるよ」

「どうも」

「そしたら今はちょっと休憩中ってところか」

「休憩中?」

「また次の小説、書くんだろ?」


 なんとかいう名前の、強いアイリッシュ・ウイスキーのボトルを傾け、田中さんは俺のほうを見た。ごく当然のことのように、まるで、明日の朝飯はなにを食うのかと尋ねるような気さくな問いかけだった。


 田中さんは無神経な人ではないし、客商売をやっている人特有のカンの良さもある。だから、様子のおかしい俺にあえてそう聞いているんだろうということが分かった。


 適当に強がって誤魔化そうと思った俺だったが、それも面倒くさくなった。いずれわかることだし、カッコつける気にもなれない。ハードボイルドは、ハードボイルドであろうとした時点でハードボイルドではないのだ。そんな当たり前のことが、今さら分かった。


「いや、小説は、もうやめるつもりです」


 なんでもないことのように答えた俺に対して、田中さんは一瞬だけ沈黙した。彼にしては珍しい間だと思う。


「……そうか」


 しかし、なんでだよとか、考え直せ、とか即座に言われないのはありがたかった。彼は、ただ深く落ち着いた目で、頷いただけた。だから俺も、黙って飲んでいる。悪魔のように苦く熱い液体を、ただ胃の中に流し込む。


「もう一杯」

「あいよ。と言いたいとこだがさっきのでラストだ」


 嘘つけよ。さっきのボトルにはまだ半分以上入ってたじゃねぇか、とは言わない。こういうところでは、バーテンダーの意図を酌むものだ。


「違うのつくるからそっちにしとけ。で、飲んだら今日は帰った方がいいな」

「なんでですか?」


 しかし、酔い過ぎだからとか、辛気臭い顔をしているから、とまで言われるのは心外だ。俺はこのくらいでは酔ったりしないし、たとえ落ち込んで酔っ払っても暴れたりして人に迷惑をかけるようなことはしない。


「さっき予約の電話があってな。あと15分で女性客が3人くる。そのうち一人はお前の知り合いだ」


 俺は田中さんがホット・バタード・ラムを作っている間、彼の言ったことについて考えた。


よく意味がわからない。そりゃこの店は常連なので、よく来る女性客の一人や二人知ってはいる。偶然会えば、普通に会話もするし、この店の常連客の女性に言い寄られたこともあるくらいだ。つまりは、スマートに飲んでいる自信がある。


「あいよ」


 カウンターに出されたホット・バタード・ラムに口をつける。甘い酒の香りと柔らかく優しいバターのコクが感じられて、ふう、と息がつけた気がした。また、熱いカクテルだから、さすがにこれは一息には飲み干せず、啜るように口に含んでいくしかない。


「いや、帰れっつーんなら帰りますけど、意味わかんないっすよ」


「今日のお前は、あんまりカッコ良くないからな。いや、別にそれはそれで俺はいいぞ。バーってのはそういうときのためのもんでもあるしな。でも今日はダメだ。また来いよ。そんときは貸し切りにしてやる」


「意味わかんねぇ」

「そうか。けど俺に感謝すると思うぞ、多分な」


「……じゃあ、なんかボトル一本売ってください。家で飲むから」


「あいよ」


 田中さんが仕方ねぇなと笑った。

 俺は10分少々の時間をかけてグラスをあけると、キャップの空いたトリスのボトルをタダで貰って、ボーディーズの扉を開けた。


 家に帰り、ひたすらトリスの水割りを飲んだ。ツマミにするものもなく、ただ飲んだ。

 水道水で割ったトリスをスポーツ飲料のように飲む。テレビを適当につけてみた。知らないお笑い芸人がたくさん出ているバラエティ番組がやっていた。今年ブレイクした人たちらしいが、当然知らない。そして何が面白いのかもさっぱりわからない。ただ賑やかで楽しそうだな、と思えた。


 もっと飲んだ。今が何時なのかもわからない。

 急に気持ちが悪くなったので、トイレで吐いた。なにも食べていなかったので、アルコールを含んだ水だけが出ていく。そのあとは胃液が出た。これは酸っぱいからすぐわかる。吐くものがなくなったときには胃液が出るのだ。


 少しして、今度は茶色い液体を吐いた。ものすごく苦い。胃液まで出し尽くしてしまったあとにさらに下の方から出てきたこの液体は、どの臓器から分泌されるなんという液体なのか、ということをふと疑問に思った。でもインターネットで調べる気にもならなかった。


 どうせ明日には覚えていないし、引継ぎに書いておくのも面倒くさい。いやそもそも、答えを知ったところで、作家でなくなる俺にとっては、ネタになるわけでもない。


 トリスの瓶は、気が付けば空っぽになっていた。

 

10/29 日曜日 PM2:44


 引継ぎによると、昨日は一日中二日酔いで苦しんでいたらしい。それも覚えている範囲ではいまだかつて経験したことがないほどひどいものだったそうだ。そう知ると、流石に今日は酒を飲む気がしなかった。微妙に体もだるいので、ダメージが抜けきってはいないのだろう。


 とはいえ、自分の置かれた状況を知ってしまうと、じっとしているのも辛い。

 俺は、バイクをレンタルして適当に走ることにした。これは、この二年間で初めての行動らしい。もともとバイクの事故でこんな状態になったから、避けていたのだろうと思われる。


 ホンダCB750、以前は愛車にしていたのと同じ車種をレンタルし、海沿いを走った。

 下半身から伝わるバイクのパワーとそれをニ―グリップで制御する感覚が、懐かしい気がするから不思議だ。


俺は、この感覚が好きだった。身を切るような風と次々と後ろに流れていく景色、加速感。いい年をして、特撮ヒーローや腕利きスパイの気分になってみて、走る自分とバイクの姿がカッコいいと思える。本当に中二病だと思うけど、走っている間は、余計なことをあまり考えないで済んだ。


二時間ほどグルグルと走ったころにはさすがに疲れてきて、俺は交通量のごく少ない海岸沿いの道にバイクを止めた。


缶コーヒーを買って、砂浜に座る。冬が近づいているこの時期、天気も悪い海岸には人影がなかった。


ヘルメットを傍らにおき、コーヒーを一口。なにをするでもなく波を眺めていた。

きっとこの砂浜は8月には海水浴客でいっぱいになるのだろう。でも今は、あえて寂しい雰囲気に浸りに来た病人が一人だけだ。


よく、失恋や挫折で人は海に来るという。それはきっと、そんな状況でも自己陶酔をしたくなるのが人間というもので、もしかしたらそれによってストレスを緩和する働きがあるのかもしれなくて、自己陶酔には舞台背景も必要だからなんだと思う。


タバコでも吸えればもっと良かったのかもしれないが、俺にはそう言う習慣はない。あるいはスキットルに入れたバーボンを飲むのもいいのかもしれないが、運転がある。


そういうところも、俺が中途半端なハードボイルド野郎たる証左に思えた。


ふと、ライダースジャケットのポケットが光っているのに気づいた。スマホがメッセージの着信を伝えている。


「……またこの人か」


差出人は『カフェ子あらため翼さん』とある。昨日から、何度かメッセージが来ていたが俺はそれを無視していた。どう返していいかわからなかったからだ。引継ぎで大体のことは知っているが、微妙な性格の感じは俺との関係はさっぱりわからない。それが書かれているらしい小説は読んでいない。


メッセージに目を通してみる。


〈今、どこにいるの?〉


 端的な内容だった。いい機会だ。俺は返信を打つことにした。ずっと無視しているのも悪いし、答えやすい問いかけだしな。ここは……、標識に書かれていた海岸の地名を確認し、そのまま返信する。結構走ったつもりだったが、同じところを回っていたせいかそれほど遠くまでは来ていなかったようだ。


 少し待ってみたが、さらに返信がくることはなかった。拍子抜けした気がするが、それならそれで別にかまわない。知らない女だ。


 コーヒーを飲み干すと、俺は風の冷たい砂浜で横になった。ライダースを脱ぎ、毛布のようにして体にかける。

こんなところで寝ると風邪をひくかもしれないが、どうせ苦しむのは明日の俺であって俺じゃない。昼寝でも記憶は失われるのかもしれないが、どうにかなるだろう。


 疲れた。寝よう。もう疲れた。


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