10/21 俺は、
10/21 土曜日 PM3:22
『引継ぎ』を読み終えた俺は、冷蔵庫を開けてビールを取り出した。書かれていることが事実なら、いや事実なんだろうけど、俺はこんな状態で小説を一本仕上げたらしい。それも、めちゃくちゃ面白いんだそうだ。今は熊川さんに送った段階だけど、あとで読んでみよう。ネタバレしないために、あえてプロットは読んでいない。
ビールを飲むのは、祝杯のつもりだ。たとえ覚えていなくても、俺は俺を称えたいと思った。この体に残る疲れが、誇らしかった。とんでもない状況のはずだけど、それ以上にだ。
「お疲れ」
過去の自分自身に杯を上げ、ビールを煽る。これはわざわざ取り寄せたドイツのヴァイツェンだ。小麦の味が濃く、なめらかな舌触りとコクがある。ほのかに香るビターチョコレートの香りが素晴らしい。
「うっっめぇ……」
別に俺自身は苦労した覚えもないのに、何故だか仕事終わりの味がする。
祝杯用にこれを発注しておいたらしい過去の俺さんマジぐっじょぶ。しばしこの昼酒を楽しもう。
ぴぽん!!
おっと、メールか。ああ、熊川さんか。昨日原稿送ったばっかりなのに反応速いな。それくらい傑作ってことか? やったぜ。
メールに目を通してみる。うお、長いな。前置きとかは飛ばす。必要なとこだけだ。
〈原稿、全て確認いたしました。とても、素晴らしい作品です〉
いつもより、文体が重々しかった。もっとこう、メールでも豪快な感じなんだけどな、いつもは。読み進める。
〈ただ、結論から申しますと、この作品をこのまま出版することは、誠に、誠に残念ながらできません。と、いうのも、本作とまったく同じ発想のトリックによって書かれた作品がつい先日発売されたからです〉
〈岸本さんもお知り合いだったと思いますが、増田誠先生の新シリーズです。私もさきほど編集部の人間から指摘されて確認したのですが、ほぼ同一のネタでした。例えば――〉
〈――もちろん、作品全体としては全然違いますし、あちらはライトミステリです。既刊同様軽い文体で恋愛要素などを入れたいつもの感じですが、このトリックは大掛かりかつ画期的なものであり、これまではマネタンシリーズには否定的だった書評家も新シリーズのこの点についてだけは絶賛の声が上がっている現状です〉
〈個人としての意見を言えば、絶対に本作のほうが面白いですし、心に刺さってゆすぶられました。しかし、今のタイミングで本作が発売されれば、盗作扱いされることは可能性が高いです。増田先生の新作は他社から発売されていますし、盗作騒ぎになれば弊社としても岸本さんにとっても――〉
〈偶然の一致なのか、なんらかの原因で両作が似てしまったのかはわかりかねますが、岸本さんのご病状を考えると――〉
〈岸本さんが全力で本作を書いたことは私が一番わかっています。それだけに悔しく、申し訳なく思っております――〉
〈かなり難しいお話かとは思いますが、発売スケジュールのこともあり、岸本瑛の新作が発売されるむねは告知済みでもあります。本作を改稿するか、完全新作をこれから起こす方向でご相談させていただけないでしょうか〉
〈発売は1月を予定しており、締切は限界まで伸ばしても12/24あたりになるかと思います。ただ、現実問題――〉
もう、読めなかった。
なんだこれ。なんだよこれ。俺にとっては、書いた覚えもない小説。それが盗作だってのか? 前向性健忘に苦しんだ挙句、作家としてのタブーを犯したというのか?
そんなはずはない。それはこの引継ぎを見れば明らかだ。苦労のあとが、それから復活するまでの軌跡が、日々追い詰められながらも負けなかった、曲げなかった『俺』がわかる。
大体、たとえばどこかで増田誠の書いているネタを俺が知ったとしても、こんな状態の俺がヤツよりさきに書き終えられるはずがない。ならば、盗作などなんの意味もない。
いやそれよりも、俺がそんなことするわけがない。何故ならそれはカッコ悪いことだし、クールでもタフでもない。ハードボイルドとは真逆にある卑劣な行いだからだ。
じゃあ……。可能性は色々あるが、おそらくは『そう』なんだろう。思えば、出来事やアイディアを残すために今持っている手帳はやたらと真新しい。ということは先代の手帳があるはずなのに、それが手元にない。どこかで失くして拾われたか、それとも盗まれたかしたらしい。
もっとも、今そんなことを考えても意味がないことだ。
どうすればいい? 熊川さんもうすうす事実には気が付いているのだろうが、それでもそこには触れてこない。どうしようもないことを知っているからだ。売れっ子作家の増田誠の評価が高い新作にたいして、中堅の若手作家があとから噛みついて誰が信じるというのか。
これから改稿? 新作? 一作書くのに二年もかかった今の俺が、たった二か月で? 冗談だろ。ヘヴィだぜ、と言う気にもなれない。
「はは……ははは……」
笑える。書いた覚えがないうえに中身も知らない小説。それがダメになったという事実。
もうわけがわからない。これが苦労して書いた記憶があれば、まだ怒りや哀しみがエネルギーになるのかもしれない。でも違う。あるのは、ただ全部ダメになったという、過去も未来もなく、どこにも繋がらないのにいきなり現れた冷酷な事実だけ。涙も出てこない。
ここからまた時間をかけて作家として復活するのか? そんなに甘いわけがない。
そうなれば俺はどうなる? どんどん進んでいく周りのなかで、なにも変わらない俺。なにも残さない俺。希望を込めて書き上げた小説すら、なににもならなかった。
「はははははははは!!!」
爆笑だ。
俺はPCを開き『引継ぎ』のファイルを開いた。スクロールを一番下まで下げると、わざわざ大きくしたフォントでこう書かれている。
負けるものか。
諦めるものか。
俺は、その言葉を削除した。代わりに、こう書いておく。
――俺は、もうダメだ。
もうちょっとだけ続くんじゃ。酷い展開ですけど、もうすぐ完結しますから、切らないでくだされ…




