310話
アルフォンス・ミュシャ作『ジスモンダ』。一八九四年に描かれた演劇のポスターである。主演は名女優サラ・ベルナール。ジスモンダ、とは彼女が演じた妃の名前。彼が初めて手がけたもので、貼り出されて一夜にしてパリで名声が広まった。
受難劇という内容に合わせて、色味を抑えて厳かな雰囲気を纏わせた。美しい装いの女性が手にしているものはナツメヤシの枝。『豊穣』『勝利』『生命』『復活』。様々な意味の象徴。
リトグラフ、つまり版画になるわけだが、当然美術館にあるものはオリジナル。そもそも複製ですら、当時のものは世界的にそれほど多く現存しているわけではない。年数と価値は比例していく。これからも値は上がり続ける。
しかしそんな一枚を前にしてオードは困り顔。声も吃ってしまう。
「……そう、ですかね。いや、あたしはあまり詳しくないので……」
チラチラと。隣を見る。気になってしまう。いつもは気が強い、と他人からは思われがち。そこまで友人や知り合いが多いわけではないが、同年代くらいはもちろん、目上であっても強気でいけるのに。でも。この老人は。この人は。もう一度、絵画に目を移す。
すごい作品、だとは思う。綺麗。だが『どんな風に』とか言われても言葉に詰まる。圧倒される、のは圧倒される。でもそれは感覚的で。やっぱり言葉にはできない。
会話としては不成立だが、男性には満足いくもので。
「詳しくある必要はないよ。詳しい人のためだけの芸術なら、それは何百年経って語り継がれないんじゃないかな。今、自分が感じた感想でいいと思う」
と諭され、言われるがままもう一度まっさらな気持ちでオードは鑑賞してみる。心構えなのか、少しだけ。ほんの少しだけ自分の中の見方が。変わった。ようなそうでもないような。とりあえず。
「……まぁ、そうです、ね。言われてみれば、絵画の女性ってもっとなんかこう……いや、伝えづらいですけど」
曖昧に返す。言葉が上手く出てこない。心に引っかからないのか。それはそれでなんか……いやだ。




