309話
「アルフォンス・マリア・ミュシャ。別名『魔術師』。とはいえ彼はレンブラントのように光と影、ではなくて『線の魔術師』と呼ばれたわけだけど。知ってる? レンブラント」
縦に長い一枚の絵画を見上げながら、老年の男性が隣の少女に軽く説明。静かに、だがチリチリと絵のオーラが肌を刺す。心地いい。
パリ市内のとある美術館。その円形のフロアでは、壁に等間隔に絵画が飾られている。近づけないようにポールで仕切られている上に、環境活動家が妨害する可能性を考慮して厳重に保護されたものばかり。どれもこれも歴史的な価値が高い。当然の処置。
フロアの中心はベンチが六角形になるように設置されており、休憩しつつゆったりと鑑賞を楽しむことができる。十数人程度の混み具合。友人同士で、家族で、それ以外のなにかのツアー? 入り乱れながら代わる代わる。
「……はぁ」
気のない返事をする少女、オード・シュヴァリエ。正直な話。絵とかそういう類の芸術に興味はあまりない。あまりないが、この覇気のなさはそれが原因ではない。緊張。それが全てを上回った結果。
そんなことはお構いなしに、満足そうに男性は続ける。じっくり。じっとり。たっぷりと、まるで水や養分を吸い上げる植物のように、絵画からパワーを得る。
「ほら、十九世紀とか二〇世紀の絵画って正直、どこか古臭さみたいなものがあるでしょ? 当時の流行りだったり。画法だったり画材だったり。今はデジタルでなんでもできちゃう時代だから。まぁ、それがいいんだけど。でもどう? ミュシャの絵は現代でも通じるくらい、美しさと可愛らしさがあると思わない?」
引き込まれる。惹き込まれる。過去と現在と未来。全てが曖昧になる感覚。一枚の絵が、人々に旅をさせる。




