266話
聴く専門だが、ギャスパーもクラシックを嗜んでいる。もちろんバッハの名言も知っていた。
「そう。まるで香りが音を紡ぐように。音が香りを紡ぐように。同じでなくてはいけないんだ」
と言われても、ピンとはこないジェイド。
「なんの話です? それと私になんの関係が?」
本来であれば。これほどの人物と会話、そして深い交友というのは歓迎したいところ。しかしどうにも怪しさが勝つ。まだ何者でもない自分という存在。なにが目的か?
ここでギャスパーが本題へシフトしていく。
「聞いているだろう? 老舗ショコラトリー〈WXY〉と私、ギャスパー・タルマのコラボ商品。香水のようなショコラと。ショコラのような香水。キミにお願いしたい」
「私よりもオーナーが適任かと思いますが。もちろん私としてはありがたい話ではありますけど」
なぜ自分なのか。腑に落ちない様子のジェイド。肺に無理やり空気を詰め込まれているような。そんな息苦しさ。話がちゃんと頭に入ってこない。
オーナーであるロシュディ・チェカルディは、彼と同じくM.O.F。この二人が組むというのであれば、それこそ話題になるだろう。もしくはドイツの若手ショコラティエのクルト・シェーネマン。この人物もM.O.F。
特に食に関するM.O.Fというものは、他の分野で獲得するよりもはるかに難しいとされている。多くの実力者達が挑戦するが、合格率が数パーセント程度の時も。落とされると、それはそれで評判が落ちかねないので、挑戦することを諦めている一流シェフもいるほど。
そこをくぐり抜けた人物達を差し置いて。大丈夫なのだろうか。
「名前が知られれば批判は必ず起きるよ。この世の全ての人間に愛されるものなんて存在しない。味がしないからと水が嫌いな人だっているくらいなんだ。無理なものは無理」
そんなものを気にしていたってしょうがない。気にする時間はもっと別のことに使うべき。
「なるほど。たしかに」
ショコラが苦手なベルギー人もいるし、香水が苦手なフランス人だっているだろう。好きな人にだけ刺さればいい、というのはジェイドにもわかる。こういったチャンスで尻込みするようでは。いつまで経っても上へなど行けない。




