258話
だが。発言を受けたジェイドの時が止まる。
「……えと、どういう意味、ですか?」
飲んだばかりなのに口の中が渇く。なんだっけそれ。『ムーン・リバー』は少し前にオードリー・ヘプバーンの曲をイメージして作ったショコラ。だけども。
瞬きを多く繰り返し、帰るつもりだったワンディは振り向きながら問いかけた。
「……言ってなかったっけ?」
「俺は知らないし、ここではそんな感じの会話はしてないな」
問われたビセンテは我関せずとグラスを磨く。グラスの曇りは心の曇り。磨くことで平常心を保つ。
それとは逆に平常心を保っていられないのはジェイド。もちろん『ムーン・リバー』も。『アイル・ネヴァー・ラヴ・アゲイン』も。『スマイル』も。全ては売り出すために考えた。『スマイル』は無理か。権利的に。
「それで、その、つまりは……」
しどろもどろ。だが心臓が少しずつ早くなるのを感じる。まわりの雑踏もよく聞こえる。舌にはザクロ。脳がとてもクリア。
リスのように頬袋にパンパンに溜めた空気を吐き出しながら、そういえば言ってないかも、とワンディの背中に冷たい汗。
「……あー、あれね。オーナーに見せたらオッケーが出てね。まぁ改良点はあるみたいだけど、出るって。店で。カルトナージュして」
よかったよかった。他店舗でも売るよ、と固まったジェイドの背中を叩いて鼓舞。伝え忘れていた、という記憶もできれば飛んでもらって。
詳しいことはわからないが、お互いの反応を見ているとたぶん吉報。そう判断してビセンテは、
「ほぉ。よかったな」
と声をかけておく。祝いにそれっぽいカクテルでも作ってやろうか。アルコールありで。
まだ状況が飲み込めていないジェイド。嬉しい……のだが、全く予想していなかった流れ。いや、それを目指してはいたけども。感情がついてこない。
「……え、いや、そんな突然——」
「まぁ、今回に関してはオーナーよりも、とある人が推しててね。その人とのコラボ、ってーのかな」
言葉を遮りつつワンディが口元を歪ませる。言っちゃっていいのかなー、まだ早いかなー。もったいつけるように身をくねらせる。
「とある人? さっさと教えてやれ」
言葉を詰まらせているジェイドに代わり、ビセンテがもったいぶった言い方に喝を入れる。こいつは昔からそう。他人のリアクションが好き。とんでもない上司だ。
他の客に聞かれないように再度イスに腰掛け、カウンターに肘をついてワンディは小声で二人にだけ。
「ギャスパー・タルマ。香水とセットでの販売だってさ」




