226話
口元がわなわなと震えるオード。安い挑発だとはわかっている。わかっているが。
「……これはケンカ売ってる、ってことでいいのかね」
はいそうです、と言われても困るけど。言われたらどうしよう。とりあえず酒でもかけてみる?
それでも冷静にビセンテはグラスを磨く。
「ケンカは一種のアートだ。その入口程度だが」
そして他の客が注文してきた酒を作る。あまり手の混んでいないものばかりで内心助かる。
提供終わりを見計らい、オードが疑問をぶつける。ケンカ? アート?
「どういうこと? 野蛮なものじゃん」
少なくとも進んでやりたいものではない。骨折したり流血したり、んで最終的には逮捕されたり。いいことなんてなにひとつ。
もちろんビセンテも進んで事を荒げたいとは思わない。同調するところは同調する。
「それは表面上の殴り合い、罵声での罵り合いしか見えていない。ならたしかに野蛮で卑屈で。蔑むものではあるだろう」
なんだか哲学的な話になりそうな予感。となるとオードはすぐに降参を選ぶ。
「……いや、やっぱわかんないわ。そりゃ、お互いに言いたいこと言い合うんだから、はたから見るぶんには——」
「それだ」
唐突に話を遮るようにビセンテがグラスを置く。重要なターニングポイントであるかのように。
何事かとオードは首を傾げる。
「?」
なにか変なこと言った? あたし。
「言いたいことを言い合う、ってことは、殴り合いの中にその人なりの美学があるってことだ。それが辻褄が合ってるとか、マイノリティかとかは別問題で。それを見た第三者がそこに介入する。価値をつける」
口調は強めなビセンテだが、別に教育しようとしているわけではない。今まで生きてきた結果、自分なりの考えをまとめてみた結果なだけのこと。
変な角度から知識が割り込んできたこともあり、さらにオードは混乱する。
「まぁ……そう、かな? いや……うん? よくわからん……」
ちょっと点頭してみたものの、全くわかっていない。わかったことは『なにもわからない』ということ。
とはいえ、さすがにある程度は暴論だということはビセンテも理解している。なので付け足しをしてより深く。
「この世に存在するものの価値は全て『曖昧』だということ。さっきの砂漠の話もそう。誰かにとって不要であっても、誰かにとっては百万ユーロ払っても欲しいものだ」
酒だけではない。酒が飲めない人にとってはバーはいらないかもしれないし、誰かに話を聞いてもらいたい人にとってはオアシスになる。




