七回目 前
「はぁー」
死ぬことに恐怖を感じなくなりつつある。畳みかける絶望の濁流に、心の動きが鈍くなってきているのかもしれない。
黒虎を怯ませる手段は得た。逃げることなら可能となった。
「でも、結局逃げることはできない……」
一方通行の道。
開かずの扉。
化け物じみた黒虎。
「無理だろこれ」
昔から難易度の高いアクションゲームが好きだったが、これはクリアーが不可能なレベルだ。正直、こんなゲームを作ったら制作会社は訴えられる。
これがゲームなら諦めて放り出せばいい。でも、これは信じたくはないが現実。
諦めようが、泣こうが、喚こうが、何度も食われて死ぬだけだ。
「なら、一つしかないよな」
そうだ、答えは単純明快。生き延びたければ――黒虎を殺すしかない。
普通なら無謀すぎる考えだが、相手の視力を奪うことには成功している。なら、そこからどうにかして、息の根を止めるしかない。
「やあ、こんにちは」
食うか食われるか……いや、一方的に美味しくいただかれる関係の相手だが、ここでは唯一の相手だ。挨拶ぐらいしておいても罰は当たるまい。
俺の対応が予想外過ぎたのだろう、虎の癖に顔をしかめたように見えた。今までで初めての反応だな。
駄目で元々、死んでやり直せるなら思い切っていくぞ。
正面から怯えることなく堂々とした足取りを意識して、黒虎へ近づいてく。
俺みたいな人間が自信ありげに迫って来たら、無駄に警戒するよな。
流石に後退りはしないが、足を曲げていつでも飛びかかれるような体勢のまま、様子を窺っているようだ。
そろそろ、相手が攻撃を仕掛ける距離だな。スマホの準備はばっちりだ。いつでも撮影できる。黒い虎の顔を激写してやるぜ。
黒虎の体が沈み込んだのを見て、飛びかかる前の予備動作だと判断してスマホを前に突き出す。
そして、黒虎が跳んだのを見てから相手の顔に向けてフラッシュを焚く。
「ギャンッ!」
空中で光を直視した黒虎はあまりの眩しさに顔ごと背けた。
「今だっ!」
俺を食う為に覆い被さるような軌道を描いて、飛びかかってきたのが運のつきだっ!
相手の勢いと体重を利用して突き刺さるように、ボールペンで黒虎の喉元を狙う。
肩が抜けるような衝撃と、手にボールペンが突き刺さる痛みに手放しそうになるが、ここで耐えなければ、何処で耐えるんだっ!
「うらあああっ!」
右腕が使い物にならなくなるのを覚悟の上で、ボールペンを更に押し込む。
普通に握った状態ではボールペンが上手く突き刺さらないだろうと、中指と薬指の間に挟み、手の平の下の部分でボールペンの後ろを支えるようにして突き出したことが功を奏したようだ。
八割方、喉に突き刺さったのを確認すると、俺はボールペンから手を放し、転がりながらそこから離れた。
「ギャンッ、ギャンッ!」
喉元のボールペンを抜きたいのだろう、前足で喉元を掻いている。だが、深く突き刺さったボールペンを虎の前足では引き抜くことは不可能だ。
勢いよく血が溢れている。引き抜いてもいないのに、何故ここまで血が流れるのか。それには理由がある。
俺はポケットの中に入れておいた、ボールペンの中身を手に取った。虎の首に突き刺さっているボールペンはインクの詰まった芯を引き抜いているので、中が空洞になっている。
運よく動脈にボールペンの先端が達したのだろう。血管に太い注射針を刺されたようなものだ。
最後の最後で運命の女神が微笑んでくれた。こんな理不尽な状況で死に続けたんだ、これぐらいの幸運があっても罰は当たらない。
溢れ出る鮮血を止める術もなく、黒虎は首筋に爪を立て、必死になってボールペンを引き抜こうと足掻いている。
今まで何度も俺を喰ってきた相手だというのに、その姿は哀れで、徐々に動きが鈍くなり痙攣が完全に止まるまで、じっと見つめていた。
「はあああっ、終わったか」
あの巨体に突き出した右腕は鈍い痛みがずっと続いている。指がピクリとも動かない。あの体重が全て乗っかったのだ、肩が外れて腕が使い物にならなくなって当然だ。
念の為に黒虎が死んだか確認しておこう。近くに転がっていたソフトボールぐらいの石を拾うと、左手で黒虎の頭に向けて投げつける。
どんっ、と鈍い音がしたが相手は微動だにしない。死んでいるのは間違いないようだ。
そこで全身の力がすっと抜け、地面に尻もちをついてしまう。
「やった、やったぞ! 生き延びたぞおおおおっ!」
魂を込めた叫びが喉から溢れ出る。
俺の獣じみた咆哮がこの空間に反響している。
「はあ、はあ、はあ……本当に倒せた。死なずに済んだんだな……」
あははは、何だよ。涙が止まらない。
緊張が解けた俺の目からは、大量の涙が堰を切って流れだしている。
暫く、そうしていると涙も枯れて、どうにか動く気力ぐらいは回復してきた。
「いつまでも、こうしていられないよな」
もう一度、黒虎に視線を向けると、俺は背を向け立ち去る。
扉が見えてくると、心臓の鼓動が徐々に早くなっていく。考えないようにしてきたが、新たな危惧がある。あの黒虎を殺しても扉が開かなければ意味がないということだ。
後顧の憂いがないので、じっくり調べられるから何とかなるだろうという希望的観測。
最低最悪の展開だと、扉が開かずに餓死して時間が巻き戻るパターンだ。
「それだけは避けたい。そうなったら、俺は……正気を保てない」
扉が開けなければ、もうここから逃げる術はないということだ。ただ死を待ち、永遠の殺し合いを続けるのみ。体は何度元に戻っても俺の精神が耐えられない。記憶が残ったからこそ、黒虎を倒せたのだが、それが仇になる展開が待っているかもしれない。
最悪の未来を思い浮かべないようにしながら扉の前に立ち、まともに動く左手を扉に添える。
深呼吸を繰り返し、意を決すると――全体重を掛けて一気に押し開く!
「えっ?」
あれ程重たかった扉がいとも容易く開き、俺は勢い余って扉の向こう側に転がってしまう。
「いったああぁ。顔面から落ちた……鍵が開いたのか?」
顔を擦りながら辺りを見回すと、そこは白で統一された小さな部屋だった。温度は適温で暑くも寒くもない。
磨き上げられた白いタイルで全面を覆っているような感じだ。部屋の大きさは十畳ぐらいだと思う。部屋の左隅に水が湧き出ている洗面台みたいなのがあるな。右隅には青白い光を放つ球体が浮いている。
黒虎を見た後じゃなければ、いいリアクションができたかもしれないが、あの球を見てもへーぐらいしか思えない。
あと、正面には俺の身長より少し高いガラスの板が突っ立っている。それも二枚並んでいるけど、何だろうなこれ。
ぐるっと室内を見回すと、俺が入ってきた扉と真逆の場所にもう一枚扉があり。俺が入ってきた扉は忽然と消えていた。
後戻りは不可能で前に進むのみってか。扉が消えたぐらいじゃ、今更驚かんぞ。
見るからに怪しいのは目の前のガラス板だ。触れて大丈夫なのか?
黒虎でまさに死ぬほど苦労してきたんだ、見るからに怪しいガラスの板を疑わない訳がない。
俺はネクタイを外し、丸めてボール状にすると軽くガラスの板に投げつける。
命中して地面に転がるネクタイ。ガラスの板に変化はない。
あからさまに怪しいが……触れてみるか。これを無視して扉の先に進む気になれない。
罠の可能性もあるが、何もしないで時間が過ぎるのだけは避けたい。
「よっし、触れるぞ!」
誰も聞いてくれる人はいないのだが、自分自身に言い聞かせるように大声を出す。気合が入ったな。
おっかなびっくり、そっとガラス板に触れると、ガラスの板に無数の文字が浮かび上がってきた。
「へっ? これって日本語だよな」
見たこともない生物が現れ、何度も死に戻るという経験を繰り返したことにより、地球ではないのかと考えていたのだが、ガラス板に浮き出た赤い文字は日本語にしか見えない。
ってことは、ここは日本なのか?
それにしてはファンタジー世界としか思えない展開なのだが。色々と思うことがあるが、まず読んでみるか。
「ええと、何々」
――まずは一面クリアーおめでとう。ここは清潔に保たれた安全を保障する部屋なので安心してほしい。部屋の隅にある水も自由に飲んでいい。毒が入っていることもない。あの青い球はセーブポイントだ。あれに触れてセーブと唱えると、次に死んだ場合ここから始まるから――
「おい」
まだ文字は続いているが、その内容に頭が沸騰しそうだ。
何だこの文章は……ここに俺を放り込んだ何者かが残したメッセージなのは確かだろう。問題はその内容だ。完全にゲーム感覚だよなこれ……。
「何が一面クリアーだっ。セーブポイントって、俺が命懸けで乗り越えてきた、今までの苦労がゲームか何かだとでも言いたいのかっ!」
悔しさの余り噛みしめた唇から血が流れ落ちる。怒りでアドレナリンが溢れているのか、痛みは殆ど感じない。
このまま、怒りに身を任せて暴れたいという欲望に身を任しそうになるが、ここは堪えなければならない。まだ文章は続いている。全てを読み、理解しなければならない。
この逆境に放り込まれた意味を。
――この部屋に入れば傷は全て完治する。死にさえしなければ体は完璧に元に戻るから頑張ってくれ。さて、第一面をクリアーしたキミに褒美を与えようと思う。次の中から一つ選んでくれたまえ。ただし、一度に一つしか選べず、その効果は魂に刻まれるので死んでも消えることは無い。
一つ、黒虎を倒した経験値を与えることによりレベルが上がり身体能力が向上する。
一つ、黒虎の特殊能力を一つ、奪うことが出来る。『気配察知』『暗視』『熱耐性』『溶解液』『咆哮』
一つ、キミが何故、この場所に居るのかという疑問に答え説明する。
一つ、ライフポイントを5回復。
これから選ぶように。セーブポイントは褒美を選んだ後でなければ起動しないから悪しからず。
ちなみに右隣のガラス板は触れるとキミのステータスが表示されるから参考にするように――
完全にゲーム感覚だな。
あまりの馬鹿馬鹿しさに怒りがすっと引いていく。これを仕組んだのが神か悪魔か魔法のような技術が発達した人間かは知らないが、難易度の高いゲームを作り、それを誰かにやらせて楽しんでいるとしか思えない。
言いたいことは山ほどあるが、今は生き延びる為に考察する方が優先だ。
褒美とやらを一つずつ考えてみるか。
まずはレベルアップ。ゲームを気取っているつもりなら、敵を倒したら普通に経験値を寄越せ。選ばないと経験値を得られないなんて欠陥仕様にも程がある。
次に……あれ、正式名称も黒虎なのか。その特殊能力を奪うとあるが『気配察知』『暗視』『熱耐性』『溶解液』『咆哮』って、名称だけで正確な能力がわからない。想像はつくが、それが正しい保証が無い。
疑問に答えるというのは、一番わかりやすい。この理不尽な状態を説明して欲しいが、その為に貴重な褒美を消費するわけにはいかないだろう。
最後に、ライフポイントの回復とあるが、それってHPや生命力と同じなのだろうか。それなら、この部屋に入ったことにより傷が治っているので必要が無い。実際、動かなかった右腕もいつの間にか完治していて、今は違和感なく動かせる。
別の意味となると嫌な予感がする……。
「どれを選ぶにしても慎重にならないと。ステータス確認しておくか」
文字を信用して隣のガラス板にも触れておく。同じように文字や数字が浮かび上がってきたので、目を凝らして隅から隅まで調べる。
山岸 網綱 レベル1
体力 11+10
精神力 13+10
筋力 11
頑強 10
器用 9
素早さ 11
特殊能力 『根性』2
ライフポイント 93/100
ツッコミどころは色々あるが、まずレベルか。レベル概念がある時点で完全にゲームだが、1なのか俺は。あの黒虎を倒した経験値は本当に入ってないってことだよな。
体力などのステータスの値はたぶん10が平均値なのだと思う。少し不器用なところも数値としては間違ってない。体力と精神力が+10になっているのは、何か理由があるのだろうか。
特殊能力については『根性』って何だ。俺にはそんな能力があったのか。生まれて初めて知ったぞ。もしかして体力と精神力の+10は『根性』による効果なのだろうか。
特殊能力とやらを黒虎から奪ったらここに増えるって事だよな。
そして、ライフポイントなのだが気になるのは93/100だろう。この数字、おおよその見当はついている。嫌な予感が的中した。
100が93に減っている点で当てはまる事項がある。俺がこの意味不明な場所に放り込まれてから、死んだ回数は7。丁度当てはまってしまう。
「つまり、死に戻りできる回数が100ってことだよな」
永遠に死と時間の巻き戻りを繰り返すのかと思っていたが、回数が決められていたのか。あと93回死ねば楽になれるというのは慈悲のつもり……じゃないよな。
ステータスにセーブに加えライフポイントか。ああ、これは完全にゲームだ。
何度も何度もコンテニューを繰り返し、敵の配置を覚え攻略法を編み出しクリアーしていく、高難易度のアクションロールプレイングだ。
「ああ、そうかい……俺がこうやって苦悩している姿もきっと見ているのだろうな。楽しいか、人の苦しむ様は!」
天井を睨みつけ、俺は言葉を吐き捨てる。本当にそんな存在がいて、相手の怒りを買えば更に状況が悪くなるかもしれない。だが、俺は言わずにはいられない。
「このゲームをクリアーして、俺を陥れた相手を必ず見つけ出し、報復してやるぞ。必ずだ!」
それは目に見えない相手に対しての宣戦布告でもあり、自分自身への誓いでもある。
完全に腹をくくった。昔は攻略本も読まずネットで情報も集めないで、難易度を最大に設定してゲームをするのが好きだった。
高難易度、上等だ。ゲームのシステムならば抜け道や攻略方法は必ずある筈だ。
ライフポイントが尽きる前に、ここから必ず抜け出してやる。




