05 見世物なんかじゃありません
魔界。
そこは、暗黒の妖気に満たされ、血に飢えた獣どもが跋扈する、血で血を洗う修羅の巷……そう思っていた時期が、私にもありました。
「……なんだか拍子抜けだわ」
それが、魔界に乗り込んでから半日ほど経った時点での私の感想だった。
「拍子抜けってなんだよ」
思わず漏れ出た私の一言に、先頭を行くセイライが振り返る。
「いや、魔界ってもっとおどろおどろしい雰囲気な世界なのかと思ったけど、わりとそうでもないし、意外に平和なものだから……」
「まぁ、今日は天気がいいからな」
そういう問題!?
でも、セイライの話では天気の悪い日は、もっと陰鬱な雰囲気が漂っていたり、植物も不気味な容貌になったりするそうだ。
うーん、不思議な世界ね。
「魔界は大気中の魔素が、人間界に比べて遥かに多い。環境の違いや、魔族や魔獣が強いのはそのせいだな」
「ははぁ、なるほど……」
魔法とか使えない私にはよくわからないけど、コーヘイさんやレルール達は何かを実感しているようだった。
「ワタクシも、なんだか調子がいいです」
ウェネニーヴがそんな事を言いながら、フンフンと鼻を鳴らす。
やっぱり、竜族の彼女も人間界との違いを肌で感じてるみたいね。
「だが、道中が平和なのは俺が危険なルートを予め回避しているからだぞ」
ほほう?
なんでも、元々危険の少ないルートを選択している事に加え、彼の《加護》を使用して先にいる猛獣などの群れを探知しては回避しながら進んでいるのだそうだ。
「それはまぁ、ありがたいけど、ちょっと肩慣らしに魔界のモンスターがどんれほどの物か、戦ってみたい気もするな」
魔力の高まりを感じたからか、コーヘイさんがそんな事を言うと、セイライはヤレヤレといった感じで肩を竦める。
「血気盛んなのはいいがな、魔界のモンスターをなめるなよ?」
「人間界のとは、そんなに違う物なの?」
「ああ。例えば、魔界では最下級のゴブリンでさえ、人間界のオーガに匹敵する」
オーガといったら、鍛えられた兵士が数人がかりでも手こずる、かなり強いモンスターだったはず。
群れで行動するゴブリンがそれくらい強かったら、人間界の基準でいうとかなりの災害扱いになりそうだわ。
「最下級モンスターでそれか……なるほど、さすがに一筋縄ではいきそうにないな」
その脅威を理解したモジャさんが、ゴクリと喉を鳴らす。
「魔界の頂点に立つ、十将軍を倒した俺達なら個々の戦いで不覚はとるまい。だが、それが絶え間無く無数に襲ってきたらどうかな?」
考えたくもないけど、いつかは力尽きてしまうでしょうね……。
もっとも、人間界と同じような習性を魔界のゴブリンも持っていたら、私達女性はより酷い目に会うかも……。
「確かに、セイライ様の言う通り、魔界は侮れませんね」
そう呟くレルールの言葉に、気を引き締め直した私達は大きく頷いた。
「フッ、わかったなら何よりだ。さぁ、黙って俺に続くがいい」
フワリと髪をかきあげながら上から目線で言うセイライに、ちょっとだけイラッとする。
まぁ、魔界では彼の案内が無かったらどうしようもないから、仕方がないんだけどさ。
とりあえずは大人しくセイライの指示に従って、安全安心な動向を心掛けましょうか。
──そんな感じで、三日ほどをかけて、私達は魔界の首都ニッズームの街の近くまで到着した。
「よし、ここからは一芝居打つとしよう」
そう言うと、セイライは彼を除く私達全員に、何かで手を縛れと指示してきた。
「どういう事だ?」
「街の中は魔族でいっぱいだ。そんな所に人間であるお前達がゾロゾロと歩いていたら、あっという間に囲まれるぞ?」
だから魔界十将軍であるセイライが、捕虜として人間を捕らえ来た……という体で、城までトラブルを避けて行こうと言う事らしい。
なるほど、理屈はわかったわ。
「でも、あなたが裏切ったって情報は、すでに周知の事実なんじゃないの?」
「なぁに、ベルウルフの野郎と示し合わせた、作戦のひとつ……って事にすればいい」
「そんな簡単にいくのかよ?」
「ベルウルフは、策士気取りでよく『敵を欺くには味方から』とか言ってたからな。適当に話を会合わせれば、問題なく邪神が封印されている、城の地下に行けるはずだ」
ふうん。確かに、普段からそんな事を言ってるなら、『裏切った振り』とか言えば誤魔化せるかもね。
これも策士、策に溺れるっていうのかしら?
「それでは、私の鎖で皆さんを繋いで、捕らわれた振りをしましょう」
レルールがそう提案すると、皆の顔がちょっと引きつった。
まぁ、無理もないわよね。
あのラトーガの変わりっぷりを見ちゃった後だと、彼女にその気は無くても鎖の《神器》に繋がれる事を躊躇しちゃうわ。
「だ、大丈夫ですから!」
「そうです!それに、万が一レルール様の下僕になってしまっても、それはそれで幸せじゃないですか!」
いや……レルールを擁護しようとしたんだろうけど、それは逆効果よモナイムさん……。
──さて、そうは言ってもここは敵地な訳で、振りとはいえ本当に手足を拘束しておく訳にもいかない。ならば、一瞬で脱着可能なレルールの《神器》で縛られた格好をしておくのが、いざという時の対処に一番有効だろう……という事で話はまとまった。
仕方なく、私達は彼女の鎖に繋がれた格好となり、意気揚々と皆を引き連れて先頭を行くセイライに続いて、ニッズームの街へと進んでいった。
「……やたら、あっさりと街に入れたわね」
「まあな。人間界の街と違って、揉め事を起こせば警備兵が来る前に住民から袋叩きにあうくらい、魔界の街は治安が良いんだ」
それ、治安がいいって言わない……。
でも、そうやって街ぐるみでトラブルに対処する覚悟が住民にあるなら、入ってくる人達をいちいちチェックする必要はないか。
それにしても……。
「やっぱり、目立ってるな」
少しうんざりしたような声で、コーヘイさんが呟く。
うん……確かに私達の一団は、魔界じゃ物珍しいんだなって実感する。
街に入る手前からずっと好奇の目に晒されて、ひどく落ち着かないわ。
「なんだ?人間?」
「奴隷かなにか?」
「それにしちゃ、やたら武装が整ってるな……いや、一人は褌一丁だけど」
ザワザワと、私達の姿を見て噂する魔族の数はどんどん増えてくる。
「ちょっと、ちょっと!大丈夫なの、これ?」
「大丈夫だ……」
小声でセイライに問いかけると、そう答えた彼はコホンとひとつ咳払いをした。
「我は魔界十将軍が一人、《破情》のセイライ!人間の捕虜を連れて、城へ向かう途中である!」
大声でそう宣言すると、途端に周囲のどよめきが大きくなった。
「さっさと道を開けよ!」
彼が怒鳴ると同時に、まるで海が割れるみたいに一斉に人が左右に別れて、城までの道が開ける!
おお、すごいなぁ。さすが『魔界十将軍』の名は伊達じゃないわね。
「よし……さぁ、行くぞ!」
どんなもんだと言わんばかりのにやけ面で、セイライはわざとらしく鎖を鳴らすように引っ張って歩を進める。
ちょっと、痛いわね!
もう、調子に乗って……後で覚えてなさいよ!
後方から、見送るような街の魔族達の視線を背中に受けながら、私達はいよいよ邪神が地下に眠る魔界の城へと突入していった!
……の、予定だったんだけど。
「……貴様ら、なんの真似だ?」
実際には、私達は城門の所で止められて、あまつさえ数人の兵士から槍の穂先を向けられていた。
「し、失礼ながら、セイライ様は、魔界を裏切ったとの御触れが出ております」
「ああ、それなら安心しろ。すべては、ベルウルフの策だ」
緊張しながら武器を向けてきていた兵士達だったけど、ベルウルフの名前が出た途端に少しだけ雰囲気が和らいだ。
「さ、策……ですか?」
「うむ、魔界を裏切ったと見せかけて人間界に潜り込み、こうして邪神様に仇なす《神器》使いどもを捕らえて来たという寸法よ」
おお!っとどよめきが走り、兵士達の目が私達に集まる。
「こ、こいつらが《神器》使い……」
「魔界十将軍の方々に、苦渋を飲ませたという……」
「確かに、面構えがちがうな……」
「でも、なんで一人だけ褌一丁なんだ?」
ざわつく魔族の兵士達だったけど、セイライがパンパンと手を叩くと、ハッとしたようにそちらに注目した。
「こいつらは、間も無く完全復活を遂げる、邪神様への生け贄だ。わかったら、すぐに城門を開け」
「は、ははっ!今すぐに……」
「慌てる事はないぞ」
命じられた兵士が城門へ走ろうとしたその時、門の内側から声がかかり、次いでゆっくりと扉が開いていった。
そうして開かれた門の中から、一人の魔族が歩み出くる。
一見すれば、初老のベテラン執事といった風体のその魔族は、セイライの前までくると、かしこまって優雅に頭を下げた。
「お久しぶりでございます、セイライ様」
「ザリーズ……」
ザリーズと呼ばれた魔族の挨拶に、セイライは少しだけ嫌そうな顔で久しぶりだなと返す。
うーん、誰なんだろう?
まぁ、顔見知りなんだろうけど、初対面の私達からすれば、このザリーズという男が危険なのかどうかもわからない。
とにかく、ここは余計な口出しをせずに、経緯を見守ろう。
「まさか、ベルウルフの腹心自らがお出迎えとはな」
「いえいえ、魔界十将軍のお一人であるあなた様をお迎えするのに、礼を尽くさぬ訳には参りませんでしょう」
二人は何やら腹に一物有りそうな顔つきで、言葉を交わす。
そっか、あのザリーズって人はベルウルフの腹心か……そりゃ、油断できないわね。
「それで……何やら、ベルウルフ様の策でもって、人間の《神器》使い達を捕らえてきたとか?」
「ああ、しかも勇者のおまけ付きでな!」
勇者の単語が出たと同時に、再び兵士達がざわめいた。
「ゆ、勇者!? ザラゲール様と同じような、あの!」
「いったい……どいつがそうなんだ?」
「まさか、あの褌のおっさんが……」
そんな訳、ないでしょうがっ!
そう喉まで出かかった声を、なんとか飲み込む。
まったく、どんだけモジャさんが異質に見えるっていうのよ!単に褌一丁なだけで……十分、異質にだったわ、これ。
しかし、そんな兵士達の同様とは裏腹に、ザリーズは「ほほぅ……」とだけ呟いて、私達を値踏みするように眺めてきた。
「……なるほど、了解しました。それでは、私めが邪神様の元までご案内いたしますので、どうぞこちらへ」
そう言って、ザリーズは先導するように私達を城内へと招き入れた。
やった!
割りとあっさり、邪神の所まで行けそうだわ。
そうなれば、後は寝ぼけている邪神を封印しなおすのみ!
ザリーズって人はもっと疑ってかかってくるかと思ったけど、以外にも簡単に引っ掛かってくれたわね。
これは、流れがキテル……そう見て良いのかもしれないわ!
……なんて、ちょっと受かれていた私達は誰も気づいていなかった。
私達に背を向けて前を進む、ザリーズの口元に狡猾そうな笑みが浮かんでいたことを……。




