Cent-End 事後報告、雪山にて
「――またな、ノワール」
音もなく、風もなく、ただ雪が降り続ける山中で羽黒はじっと焚火が湿気た薪を焦がすのを見つめながら携帯端末の画面を消した。
案の定向こうは向こうで説教中らしいのだが、こっちはこっちでお互い公に面会できない立場とは言え、こんな死ぬほど寒い馬鹿みたいなポイントを合流地点に指定されるという嫌がらせを受けている。これは相手に一言苦情を入れてやろうと、内心台詞を整理しながらヤカンで沸かしたお湯をインスタントコーヒーの粉を入れたカップに注ぐ。
「あ゛ー……」
瞳を伏せ、砂糖を多めに入れてから一口飲む。
熱いコーヒーが食道を伝って胃に流れ込み、そこから熱が全身に巡っていくのを感じる。さらに糖分の摂取を、無意識のうちに寒さで消耗し始めていた体が喜んでいるのが自分でもわかる。
「どうだい、お前さんも飲むか?」
「……いただきます、なのです」
瞼を持ち上げ、数秒前までそこにいなかった人影に声をかける。
目深に被ったローブで相変わらず顔は見えないが、白羽が最近お気に入りの魔術師の少女で間違いない。
「それで、今日はどう呼べばいい?」
「お好きにどうぞなのです」
もう一杯のコーヒーを淹れながら尋ねると、少女は半ば諦め気味にそう答えた。
カップを手渡しながら「なら、メイジー」と声をかけると、ほんの僅か、雪が落ちる軌道が変わる程度の揺らぎが彼女を包んだ。どうやらここに来るまではもう一方の名前だったらしい。
「じゃあ早速聞くが――お前さんがこのポイントにいるってことは、あのおっさんは直接来る気は端からなかったってことか」
「誤解のないよう言わせてもらえるのであれば、あの方はギリギリまでスケジュールを調整していたのです。ですがどうしてもタイミングが合わず、こうして『私』が伝言役として来たのです」
「お前さんをただの伝言役に飛ばすなんざ、あのおっさんくらいだろうな」
「それに関しては全力で同意なのです……」
「メイジー、そろそろ本気でキレていいんだぞ」
「考えておくのです」
ふうふうとカップに息を吹きかけ、小さく一口すする。そんなことしなくてもこの気温でどんどこ冷めていくのだが、案外猫舌なのかもしれない。
「はあ、まあいい。じゃあ早速、用件を聞こうか。俺をわざわざこんなところまで呼び出したんだ、何かよっぽど重要なことか、何か海より深い恨み言でもあるんあろう」
「どちらかというと後者の用件かな」
再び、少女の纏う空気が変わる。
人格転写――数週間前に起きた死霊の島の件での雇い主である世界魔術師連盟所属の大幹部・秋幡辰久の意思が、少女の表層に浮かび上がる。
「恨み言? この時期にこんなところまで呼び出された俺の方がよっぽど恨み深いと思うんだが」
「あの事件の後始末がつい昨日までかかったおっさんの方が恨みは深いと思うんだぁよ」
ふん、と少女がおっさんくさく鼻を鳴らしながらコーヒーを音を立ててすする。見た目とのギャップが酷い。
「羽黒青年、これでも俺は君の能力を高く高く買ってるんだよ。事件の跡片付けをろくにせず、当たり障りも中身もない薄っぺらな報告書を提出してくるのを目を瞑ってやるくらいには、だ」
「ははあ、そいつぁありがたい話だ。迷惑なくらいに」
「だけど例の件――エーシュリオン事件に関しては、一組織の上位に腰を据える者として、雇い主として、苦言を呈さずにはいられない」
「んー?」
俺何かしたっけ? と羽黒は首を傾げる。
ここまで言われるようなことをしでかした記憶がない。
「俺は言われた通りやれるだけのことをやっただけだが?」
「ほほう?」
「ほらまず、呪術がばら撒かれないように禁書級魔術書からメモ書き一枚まで残さず完璧に消滅させたし」
「うんうん、疾少年が謎の技術で謎の魔導具に封印して、ウロちゃんが封印ごと食べてくれたやつだね。報告書を読んだよ」
「国主の右腕だった三体の灰色の魔女も、一体残らず討ち滅ぼしたし」
「疾少年がなんか消滅させたというアレだね。報告書にあったよ」
「国主のリッチが暴走して瘴気が爆上がりした時も、島の外に溢れ出ないように結界を補強させたし」
「うちの部隊が張った結界をたまたま現場に居合わせたノワール青年がフォローしてくれたやつだね。報告は聞いてるよ」
「暴走したリッチも跡形もなく消滅させたし」
「ノワール青年がね。そもそも、その暴走の原因が君にあるかもしれないって報告もあるが、詳しくは分からなかったんだよね」
「あの島の隠蔽は難しいだろうって判断して、島ごと消してやっただろう。これでも気を遣ったんだが?」
「それもノワール青年がね。本当に跡形もなく、後調査できないレベルで消し飛んでたね。海底にクレーターが出来てたよ」
羽黒が指折りしながら報告のあらましを再度口にし、少女姿の辰久がうんうんと合の手を入れる。
「全部オーダー通りだと思うが?」
「ああ、それに関しては素晴らしい手際だと言わざるを得ない」
はははは、と二人の空っぽの笑い声が雪山に響く。
だが、と秋幡辰久の口調で少女が続ける。
「その過程が一切不明で、結果しか残されていないというのが問題なんだが!?」
「…………」
何を言い出すかと思えば、と羽黒は早くも冷め切ったコーヒーをグイッと飲み干す。
「それの何が問題?」
「……あの作戦は世界中の魔術組織が一丸となって当たったものだ。裏では様々な思惑があっただろうが、その作戦の結末が『傍観していたはずの魔法士連盟が突如介入して全てを消滅させた』では誰も納得しないの! あと報告改めて聞いて、疾少年が『なんかグライアイ消滅させた』って何!? なんかって何!? ついでに君、具体的に何してたの!? 君と白羽ちゃんが形に残る成果を何一つ上げてないんだけど!?」
「疾がグライアイ吹っ飛ばした時、現場にいなかったしなあ俺。成果が見えないのは基本的に地盤固めと遊撃に徹してたからな」
「その地盤固めのせいで監視班も疾少年が入島してから一切合切内部の様子がジャミングに邪魔されて掴めなくなって色んな意味で焦ったんだからね!?」
「いやだからそれ俺半分関係ねえし。なんで皆して全部俺のせいにすんの?」
「半分は関与してんじゃん!? 本当にしょうがなくなって近くで待機させてたうちの部隊接近させたけど、結局有益な情報はほとんど入手できなかったし!! 途中経過が丸っと不明瞭なうえにそんなふざけた結末では不平不満が溢れ出る! 溢れ出た不満はどこに集まる? 作戦の総指揮をとっていた連盟に集まり、最終的に全部俺に降ってくるの!! 分かる俺の気持ち!?」
「そんな欲望丸出しなクレーム掃いて捨てちまえ」
馬鹿馬鹿しすぎていっそ清々しい。
そしてそんな恨み言を言うために羽黒をこんなところに呼び出し、あまつさえ伝言役にこんな連盟諜報部最終兵器みたいな奴を使うなんて、忙しすぎて頭がおかしくなったのかもしれない。
「何で俺やクソガキの情報が手に入らなったからってキレてんだあの馬鹿ども。普通に正当な情報保守だろうが。そんな頭あっぱらぱあなこと言ってるから正体不明のテロリストに潰されんだよ」
「正体分かりきってるけどね!! そっちの後始末も何でか知らんけどおっさんに降ってくんの!」
「でもほら、疾が島に入る前までの俺の海上戦は記録に残してあんだろ?」
「君に対する世界の警戒レベルが上がっただけだが!? あんなの呼び寄せて何かあったらどうすんだって本末転倒な苦情まで来てんの!! 正体分かりきってるけど謎ってことにしなきゃいけないテロリストくんの後始末も積み重なるし、もうヤダお仕事辞めたい!!」
血涙が流れそうな気迫まで表現する少女を尻目に、多分あのおっさんに仕事が回るように立ち回ってるんだろうな、と羽黒はおかわりのコーヒーを注ぎながら呑気に考えていた。あの事件に関わっていたキナ臭い組織を優先して潰して回っているらしく、直接連盟本部に乗り込んではいないため本気で嫌われてはいないと思うのだが。
そして辰久本人がここに来れなかった理由は何となく分かった。これ普通に激務で胃が死にかけてる。ご愁傷様である。
「まあ連盟含め、想定が甘かったってことで反省しろ。俺たちのことが知りたきゃもっと金じゃなくって情報を積め」
「……おっさんとしては、結構手のひら明かしたつもりだったんだけどなあ」
と、少女の纏う空気が揺れる。
指摘されてしばらく「んん? ……ああ」と悩んで、ようやっと記憶の片隅から浮上してきた。作戦中、ナンチャラ遊撃隊とかいう部隊のフォローが入ったっけと今更ながらに思い出す。今や顔と名前を記憶からほじくり返すのにも時間がかかる暗殺者を介していたため、そっちに釣られて部隊全体の印象が異様に薄いが、そう言えば錚々たるメンバーが揃っていたような気がする。
確かに、大幹部とは言え組織に属する一個人が秘密裏に所有していい戦力ではない。世界を丸ごと敵に回しても善戦、やりようによっては魔王でもないのに世界を滅ぼせるような奴らだ。そんな情報を、羽黒は開示された。
だが――
「足りん」
一言、切って捨てる。
「足りん足りん、全く足りん。桁が違う。あの程度の情報開示で俺を絆そうなんて甘すぎる。あまつさえ、俺を介してクソガキや馬鹿弟子とも深いコネを作ろうなんて甘い考えは蟻にでも食わせとけ」
「…………」
少女を介し、秋幡辰久は無言で羽黒を見やる。
肯定はないが、否定もしない。
「むしろドラゴンゾンビなんて面倒ごとをボランティア同然に率先して引き受けてやった俺にボーナスがあってもいいくらいだ。あの後の住民登録手続きで、役所で働いてる昔の手下にしこたま嫌味言われたんだぞ。ハゲるかと思ったわ」
「よく言う、ドビーちゃんの保護も情報拡散防止の一環だろう……」
「はっはっは」
否定はしない。
はあ、と少女は再び深い溜息を吐く。
「あんたの目論見に興味ないわけじゃあないがな、戦力増強に大人しく加担してやるつもりはない。何か欲しけりゃ対価を寄こせ。つーかさっさと報酬払え」
未だに約束の金額が振り込まれていないことを思い出して催促すると「ちょっと今準備中で……!」と少女は目を泳がせた。こういうことに気が短そうな疾には羽黒から立て替えて支払っているため、さっさと払わないようなら直接乗り込んで督促状叩きつけるのもやぶさかではない。
ともかく。
実際、羽黒だけでなく疾やノワールにまで巻き込もうとする思惑を隠そうともしないあの男の真意は気になるところではある。しかし羽黒自身、かつて目的のために過去あの男に支払った大きすぎる対価の釣りをまだ受け取っていないし、この辺が線引きの限界点だ。
もっとも、大人しく釣りを受け取る気はさらさらないが。
「……分かった、今回は大人しく諦める。ハゲない程度にもうちょっとお仕事頑張る……」
「ま、追加報酬によっては対応を考えてやってもいいがな」
「…………」
すっと少女が目を細める。
羽黒も、まさかあの男が本当に今更どうしようもない愚痴を言うためだけにこんなところに呼び出したなどとは考えていない。ここで「それじゃあ今後もご贔屓に」と別れてやってもいいのだが、自分から言い出すつもりはないようだし、せっかくなので突っついてやる。
「これは俺もまだ噂レベルの情報なんだが」
そら来た、と羽黒は身構える。
羽黒の興味を引くような噂であれば、それは彼にとって山積みの札束よりも価値がある。
「君の大好きな刀にまつわる噂だ。とある二刀一対の神刀の噂」
少女は両手の人差し指を立て、それを顔の前でクロスさせる。
「神刀だあ?」
羽黒は怪訝そうに眉を顰める。
神刀と一口に言っても、そこに込められた意味合いは様々ある。
まず最も「ありふれた」神刀は、その完成度の高さから後の世の有象無象が囃し立てている物だ。そこに文化的な価値はあれど、魔術的視点からすればただの鋼の塊でしかない。
逆に最高にレアなのは、俗に神と呼ばれる存在が自ら鎚を振るい、もしくは霊気を練って創りあげた代物。これもまた俗に神刀と呼ばれるが、基本的に神自身が所有しているか、恩恵を与えられた使い手の手元から離れた途端鉄屑に堕ちることが大半であるため、出回ることはまずない。
「それがなーんかのっぴきならない噂と一緒にあちこち転々としてるっぽいんだよねぇ、その神刀。――使い手の魂を吸い取って喰っちまうなんて、神刀らしからぬ噂と一緒に、さ」
「……そいつぁ、また神刀らしくねぇな」
「だしょ? この手の噂は魔剣妖刀の十八番だろうに。しかも噂が正しければ、元々は神に奉納された後に、神自身が使い手に下賜したってありがたぁい刀なんだよねえ」
「…………」
双刀の神刀ってだけでもかなりのキワモノだが、噂の内容がかなりちぐはぐだ。これは――唆る。
「そんな曰く付きの双子の神刀がとある違法な裏オークションに近々出品されるらしいんよ」
「OK、もっと詳しく聞こう。対価は災厄か漆黒、どちらかとの交渉の席のセッティングだ。ただしタイミングは俺が決める。連中の都合もあるから何年後になるか分からんがな」
「って決断早いなあ!?」
ポカン、と呆けたように少女が口を開ける。
「お? どうした」
「いや……決断が早すぎるし大胆すぎるだろう。おっさん的に、次の仕事の予約が出来れば万々歳、程度の土産だったんだけど」
「んー? いやあ、俺としちゃあ正当な対価だと思ってるがな」
話に夢中で、追加で淹れたコーヒーもすっかり冷めてしまった。それを一口で煽り、羽黒はニヤリと軽薄に笑う。
「教えといてアレだけど、かなりヤバそうよ? 鞘から抜かず、所有するだけでも不幸に見舞われるなんて聞くし」
「はっ。ますます唆るねぇ」
神刀の確認ついでにその闇オークションを牛耳ってる馬鹿共を潰して来いという小間使いくらいなら、物のついでにやってやろうという気になるほど機嫌が良い。
「なぁにその双刀、面白いことに使えそうな気がしただけだ――俺の勘は、良く当たるんだ」
少女はただ無言で眉尻を下げながら肩を竦めた。




