Infi-15 人間辞めた人間
「――ん?」
戦場の中心地から遠く離れた街路を進んでいた天明朔夜は、直感ではなく物理的にすら感じてしまう魔力圧に立ち止まって振り返った。
「なるほど、アレはこういうことだったか」
自分はもう不要だと判断し、さっさと離脱した朔夜はなにがあったのか正確に把握しているわけではないが……だいたい察している。
朔夜が単身でアスク・ラピウスと戦闘をしたあの時に仕込んでいたもの。
瀧宮羽黒から渡された、一本の髪の毛。
魔術師を殺すことに特化した朔夜は、幻獣や妖魔の類の知識もそれなりにある。が、まさか吸血鬼の髪の毛があのような修羅を呼び覚ますと流石に想像もできなかった。
――オレの存在を知ってからこの策を組み立てたか。奴の暗殺依頼が来ないことを祈らないとな。
朔夜の隠密性があってこそ成功した作戦である。
だが、見た感じ致命的な問題も一つあるようだ。
本当に、必要だったのか?
「オレですら感じるこの魔力の圧……やべぇかもな」
具体的になにがどうなるかは想像がつかない。ただ、朔夜の超人的な『勘』がそう叫んでいる。己の勘に従うことは暗殺者として生き残る上で重要だ。
朔夜は気配を完全に消し、上陸の際に使ったボート――まだ無事ならいいが――がある港へと急いだ。
***
空に浮かぶ魔法士の青年を見上げた葛木修吾は、珍しく冷や汗を掻きながら苦笑いを零した。
「彼に協力してもらうんじゃなくて、利用してしまうとはね」
魔力圧が秒読みで高くなっている現状、全ての決着がつく瞬間は近い。ペルシスを滅ぼした時点で勝敗は決していたと思うが、どうやら瀧宮羽黒は徹底的にアスク・ラピウスを叩き潰す腹積もりのようだ。
「奴は本当に人間か?」
猛禽の翼を羽ばたかせ、隣に舞い降りたグリフォンが信じられないといった様子で問うた。人間だよ、と修吾は言ってやりたいが、彼はおよそ人類が到達できる領域をとうに超えているだろう。魔法士という存在が――ではなく、彼個人の話だ。
術式に使った宝剣を回収した日下部朝彦が同意の首肯をする。
「魔力の量、出力、共にただの大魔術師クラスが数人合わさった程度では足りんだろうな」
果たして魔術師の最高峰である『大魔術師』に『ただの』をつけていいのかどうか謎だが、彼の言っていることは正しいため修吾も否定できない。
「ハハハ、そうだね。このレベルだと今の紘也君でも流石に厳しいところかな」
「……修吾、どちらかと言えば秋幡紘也は災厄寄りだと思うの」
「能力的には、ね」
六華の訂正に修吾は頷く。秋幡紘也――『ウロボロスの契約者』として大成している彼だが、力の使い方はまだまだ未熟だ。それでも彼と災厄を足して二で割った存在を想像するとポジティブ思考な修吾でも苦笑を禁じ得ない。
「この場にいない者などどうでもよい。それより奴をどうする? これほどの力を使われては王たる俺でもタダでは済まん。よもやこのまま放置するつもりではあるまいな?」
グリフォンが〝王威〟の圧力を纏って修吾に告げる。確かに彼は少し、いやかなり暴走している様子。瀧宮羽黒がこの局面でそう仕向けたからにはなにかしら意図があるのだろうが、下手を打てばこの島にいる全員が巻き添えをくらいかねない。
既に島のあちこちが魔力の圧だけで崩壊を始めている。
止めるか、否か。
そもそも、止められるのか、否か。
天明朔夜は早々に撤退している。彼はこの展開に一役買っているだけあって、この後どうなってしまうのか直感的に察しているはずだ。
であれば――
「――うん、決めたよ」
コンマ三秒ほど逡巡してから、修吾は皆を見回して指示を出す。
「彼に下手な刺激を与えるべきではない。僕たちも撤退しよう。巻き込まれる前にね」
***
夜より暗き無光の闇がアスク・ラピウスの両肩を消し飛ばした。
「がはっ!?」
見えなかった。なにが起こったのか理解に半秒遅れた。
ヴァンパイア・リッチ。
『アンデッドの王』と呼ばれるリッチと、『アンデッドの貴族』である吸血鬼が合わさったまさしく最強種と呼ぶべきアンデッド。今のアスク・ラピウスはそういう存在へと進化した。もはや生ある者では太刀打ちできない力が溢れてくるのがわかる。
だが。
なのに。
上空にいる魔法士の青年に、勝てる気が微塵もしないのはなぜなのか。
いや、待て。
上空に、奴がいない。
「――潰れろ、吸血鬼」
声と同時に頭を鷲掴みにされたアスク・ラピウスは、そのまま抵抗する隙もなく思いっ切り地面に叩きつけられた。
ドゴォン!! ボガァンッッッ!! とたったそれだけの衝撃が二段に渡って巨大なクレーターを形成する。
頭をザクロのように潰されたアスク・ラピウスだったが、リッチとヴァンパイア双方の再生力が働き時間を巻き戻すように元へと戻る。
「フ、フハハ、そうだ。今の我はこの力がある! いくら貴様が強かろうと――」
斬ッ!
青年がどこからともなく取り出した黒い剣が一瞬でアスク・ラピウスの体を粉々に斬り裂いた。
「喋るな。耳障りだ」
魔法陣が展開される。アスク・ラピウスの肉片が地面に落下する前に、強大な闇魔法がそれらを一片残さず吹き飛ばす。
だが、それでもアスク・ラピウスを完全に滅するには足りない。
吹き飛んだ先で肉片が集まり再生する。
「無駄だ。無駄だ無駄無駄無駄無駄無駄! その程度でこの我を滅ぼせると思うな、魔法士!」
魔術を編む。阻害していた面倒な奴らはもはやこの場にはいない。巨大な闇の炎が竜巻の槍となって魔法士の青年へと襲いかかる。
青年は――避けない。
「知っている。この程度でくたばるようでは興醒めもいいところだ」
闇炎の竜巻すら呑み込む闇が青年から放たれ、アスク・ラピウスごと呆気なく磨り潰した。力の差は歴然、などという表現では生易しい。これだけ圧倒しているというのに、青年はまだ力の底を見せていない。
「貴様がそうなりさえしなければ、俺は直接手出しするつもりはなかった」
再生が始まるアスク・ラピウスに向かって青年は言う。僅かに間を置いて、うっそりと目を細めて、嗤った。
「だが、吸血鬼となったからには話は別だ」
言葉が、笑みが、暗い憎しみに彩られる。
「──徹底的に絶望を与えてから消し炭にしてやる」
「――ッ!?」
潰さる。再生する。
潰さる。再生する。潰さる。再生する。潰さる。再生する。
潰さる。再生する。潰さる。再生する。潰さる。再生する。潰さる。再生する。潰さる。再生する。
潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する潰され再生する。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
ヴァンパイアの力を得たことで痛覚が生き返っているアスク・ラピウスにとって、それは拷問などというレベルでは済まない地獄だった。
もはや悲鳴も呻き声も上げられない。それでも体の特性が勝手に再生を行い、その度に阿修羅のごとき青年によって容赦なく磨り潰されていく。
彼の吸血鬼に対する怨嗟は、その力以上に底が知れない。
どこで間違ったのか?
なにがいけなかったのか?
アンデッドの国を作るために魔法士を利用しようとしまったことか?
世界魔術師連盟と正面から敵対してしまったことか?
最悪や災厄や身喰らう蛇といった規格外の侵入を許してしまったことか?
あるいは、その全てか。
――云十年、云百年といった年月をかけた準備など、圧倒的な力の前では一瞬だった。
仮に生き残ることができたとしても、もう意味はないのではないか?
「……もうよい、殺せ」
「言われるまでもない。準備も完了した」
数えられないほど再生を繰り返したアスク・ラピウスは、クリアになった視界いっぱいに映る魔法陣を見た。
上空。
暗い夜の空に広がる、星の半分ほどを覆えてしまえそうな超巨大な魔法陣を。
「我を殺す程度のことで、やり過ぎだろう。この世界ごと滅ぼすつもりか?」
「たとえそうなろうと構わん」
狂っている。
アスク・ラピウスなど足元にも及ばない狂気。だが、わかる。青年は恨みに暴走しているように見えて、力の加減は適切だった。あの魔法で滅びるのはせいぜいこのアンデッドの国だけだろう。
やろうと思えば最初から一撃で決められたはずだ。もしかすると、アスク・ラピウスを嬲っていたのは島にいる者を逃がす時間を作るためだったのではと邪推する。
「なにも言い残させるつもりはない。くたばれ、吸血鬼」
夜空の魔法陣が輝きを強くする。
そして――一瞬の静寂の後、核爆発のごとき大破壊がエーゲ海に浮かぶ島一つを跡形もなく消滅させた。




