Cent-15 鬼の怒りを売りつける
「ぅ、ぐ……龍殺し……!」
「おはようさん――抜刀、【無銘】」
ガスッ!
立ち上がろうと四肢に力を込めた所で、腹を何かが貫く感覚が奔る。見ると、ノイズに塗れた画質の悪い映像のような片刃の剣が地面に縫い付けるように突き刺さっていた。
引き抜こうとするが、さらに四振り、脹脛と手首に同じ刃が突き刺さり、物理的な動きを封じられる。
「くそっ……!」
しかし傷口を通して解析すると、どうも魔力を根こそぎ吸い取る術式が込められているようだ。幸いなことに魔力なきリッチたるアスク・ラピウスにとっては本当の意味での物理的拘束にしかならない。
すうと一呼吸置き集中し、大気中の魔力を繰って刃を吹き飛ばす。
だが、それもまた隙となる。
一瞬の間をついて龍殺し――瀧宮羽黒は肉薄し、アスク・ラピウスの横っ面を拳で殴り飛ばした。
「がはっ……!」
吹き飛ばされながらも意識を保ち、術式を組む。
標的は再び目の前に迫ってきていた瀧宮羽黒――ではなくこの場で最も消耗している、魔術破壊の異能の少年、デザストル。
しかし。
ばちっ
「ぐっ……」
あの呪術師の少年が舞い戻ってきたことにより術式の形成が妨害される。普段であれば瞬きの間にも完成するはずの魔術が盛大な炸裂音を立てながら不安定に露呈する。
「腹黒!」
それに気付いたらしい白髪のホムンクルスが白刃を振るう。特に魔力が籠っているようには見えないその一刃に、術式は根元から断ち斬られる。
こいつもか――内心舌打ちを打つ。さきほどから姿が見えないが攻撃もしてこない小狼も似たようなことをやっていたが、またもや妨害されてしまう。
「…………」
「って、助けてやったのに無言とは何様のつもりですの!? ありがとうくらい素直に――いえやっぱいいですわ、素直な腹黒とか気色悪い!!」
「…………」
ホムンクルスの嫌味に耳を貸さず、デザストルは眉間にしわを寄せながらじっと足元を睨みつけている。
「余所見とは余裕だな?」
「ぐっ……嘗めるな……嘗めるな!!」
いつの間にか手にしていた刃渡り二メートルの大剣がアスク・ラピウスの両腕を斬り落とす。それを魔術ではなく呪詛で無理やり縫い合わせ、影を伝って転移し距離を置く。
「調子に乗りすぎだ――瀧宮羽黒!!」
呪詛を込めて国敵の名を叫ぶ。
「……っ!?」
表情を強張らせ、動きをとめる瀧宮羽黒。
流石にその一言程度では呪い殺すには至らなかったが、奴の周囲には呪術師の少年の比ではないジャミングが発生しているだ。術の形成どころか五感すらめちゃくちゃのはずだ。手にしていた魔力由来の大剣も消え失せた。
「魔力の一片残さず我が糧となれ! 瀧宮羽黒!!」
手に呪詛で練り固まった歪な剣を出現させ、国敵に向けて走る。
剣技は専門ではないが、動けない相手に止めを刺すなど造作もない。切っ先が瀧宮羽黒の胸に突き刺さる――寸前。
パキリ。
「は……?」
この島のありったけの憎悪や怨念を込めたはずの呪詛の剣が、あっけなく根元からへし折れた。
まるで巨岩にでも体当たりしたかのような反動がそのまま自分に戻ってきて、体勢を崩してズシャアっと背中から地面に転がる。
「な、なに……?」
「いや、びっくりされてるところ悪いが、俺もびっくりだわ。俺に刃物で向かってくる馬鹿がまだいるとは思わなかったわ。あれ、ひょっとして俺の『龍麟』って今回初出? そういや最近は警戒されまくって接近戦の機会少なかったからなー」
ガリガリと髪を掻きながら、サングラスの下の瞳がアスク・ラピウスを捉える。
馬鹿な、五感が機能しているはずが――そう思考する間もなく、再びアスク・ラピウスの全身を刃が貫く。
「――抜刀、【無銘】二十本」
「がはっ……!? な、何故術式まで……!?」
「あぁ? ああ、このジャミングか?」
耳の穴に小指を突っ込みながら咥えっぱなしだった火のついてない煙草を吐き捨てる。
「馬鹿じゃねえの。このくらいの術、呼吸と何が違うんだっつの。お前は自分の指動かすのにいちいち思考すんのか」
ぽたりと煙草がアスク・ラピウスの胸の上に落ちる。
「なんつーか、想像以上に想像通りの小物だったな。切り札のペルシスもいないならこんなもんか……これ以上はつついても何も出てきそうにねえし、さっさと締めにするか」
「……っ!!」
屈辱的な物言いに、アスク・ラピウスは自信を拘束する刃を振りほどこうと大気中の魔力と呪詛の双方を練る。
しかし、それよりも一歩早く――瀧宮羽黒が小さく呟く。
「――面を上げよ」
「……っ!?」
ボウッと音を立て、アスク・ラピウスの胸の上の煙草に火が付く。
その赤とも白ともつかない悍ましい色の炎色に目を瞠っていると――ドクン、と。
機能を停止して久しい心臓が大きく鼓動を打つ。
――否。
アスク・ラピウスの体内で停滞し続けていた血液が、まるで意思を持つかのように勝手に血管を駆け巡り始めた。
「がはっ……!?」
急激な血圧の上昇により血液そのものが体組織を傷つけ、全身が裂けて血潮が噴き出る。しかもその損傷がリッチとなった際に手に入れた再生力を上回る速度で修復され続けた。
「何を……何をしたぁっ……!!」
「…………」
血反吐を吐きながら叫ぶアスク・ラピウス。しかし瀧宮羽黒は何も応えず、ただニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべながらじっと観察するように視線を合わせ続けている。
「い゛っ……!?」
そしてズブリ、と――首筋に異質な激痛が奔る。
痛覚など、とうに消えてなくなったはずなのに。
腕に刺さった刃を振りほどき、震える腕を必死に堪えて伸ばして首筋のソレを毟り取る。
「……っ!?」
「キャキャキャキャキャキャッ」
髑髏が――長い銀髪にナイフのように鋭い牙を持つ髑髏が、首に噛みついていた。
「くっ……そ! なんだ! 何なんだこれは!?」
骨だけの顎をカタカタと揺すりながら笑っていた髑髏を地面に投げ捨て叩き割り、未だ痛む傷口を手で押さえる。しかし肉体の破壊と再生は止まることなく、激痛がアスク・ラピウスの精神と魂を蝕んでいく。
「ぎ、があああああああああああああああっ!!??」
ついにはまともに立っていることもできなくなり、国敵の前だというのにみっともなく地に膝をついてしまう。ただただ体の異変が治まるのをじっと堪えながら待つしかないのを、ぐっと唇を噛み切りながら耐え忍ぶ。
そして――
「っー……、っー……!」
不意に痛みが消えた。それが痛みに慣れすぎて何も感じなくなっただけなのかは分からないが、とにかく痛みが消えた。
顔を上げる。
「……?」
はて。
この世界はこんなにも視覚を刺すほど明るかっただろうか?
「ターンターンターン、タララランタラーン!」
「……っ!?」
耳を劈くような声量のファンファーレが鼓膜だけでなく脳まで揺さぶる。ぐわんぐわんと頭蓋の中に響く衝撃に、胃の中のものがせり上がってくる。
臓腑に残っていた血反吐の最後の一滴を吐き出し、その不快感に眉間にしわを寄せながら視線を巡らせると、妙に明るい世界の中で瀧宮羽黒がパチパチと空っぽな軽い音の拍手をしながらこちらを見下ろしていた。
「おめでとう! アスク・ラピウスは吸血鬼に進化した!」
「……は?」
言葉の意味がすぐに呑み込めず、阿呆のように聞き返す。
「なん……どういう意味だ……!?」
「そのままの意味だよ。今はまだ急に鋭くなった五感が気持ち悪いだろうが、なーに、すぐ慣れる。おっと、手段方法は聞くなよ、意味がねえから」
瀧宮羽黒の脳に響く無駄な声量は敏感になった聴覚の影響かと頭の片隅で処理しながら、そっと舌先で口内を撫でる。するとつい先ほどまではなかった、鋭く長く肥大化した四本の牙に触れた。
吸血鬼――血を吸う鬼。鏡に映らず、大蒜と十字架、聖水と銀が弱点で、流水を跨いで移動できず、招かれないと家屋に這入れない。夜しか活動できず、心臓を破壊されると死ぬ――不死者の王。
生き血を啜るために特化したその器官を確かめながら、ようやく冴えてきた思考で言葉を吐き出す。
「だから――だから、どうした?」
ゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡す。
瀧宮羽黒の背後に控える有象無象は未だに事態が呑み込めていないのか呆けている。いや、デザストルは親の仇でも見るかのような視線を瀧宮羽黒に向けているが、ともかく。
「確かに吸血鬼はアンデットの中でも弱点が多い種族だが、それを打ち消して有り余る強大な魔力と再生力がある! 一方で大気中の魔力を繰るリッチの技能が失われたわけでもない! 貴様がすべきは、吸血鬼化の最中の無防備な状態を狙うこと! それをみすみす見逃した今、貴様らの生き残る術は潰えたといってもいい!」
大気中と体内から急激に溢れ出始めた魔力を同時に練り、術式を組み上げる。
鋭敏になった五感のせいで、未だに魔力が流れただけでピリッと肌を裂くような痛みが奔るが、大した問題ではない。今や元々の魔術に無尽蔵に湧き出る魔力が加わり、その程度の痛みなど枷にもならない。
と、その時になってようやく気付く。
吸血鬼化したことによる鋭敏になった感覚が足元――いや、島全体に蠢く正体不明の術式を捉える。それも、例の呪術師のジャミングによって巧妙に隠蔽されている。
まるで、プレゼントに布をかけて隠しているかのような。なんだこれは、自分ではない。なんだ、この気味の悪い術式は。
「うん、まあ。そう考えるよな。――普通は」
「何?」
――パァン!
「……っ!?」
瀧宮羽黒が一つ、かしわ手を打つ。
それにはっと我に返って身構えた有象無象に向き直り――踵を返し、アスク・ラピウスに背を向け、瀧宮羽黒は駆け出した。
「来るぞ! 逃げるぞお前ら!!」
「……は?」
思わず、魔術の構築が一瞬だけ止まった。
瀧宮羽黒は消耗しきったホムンクルスを回収して見事な健脚でここまで乗り込む時に使った車に駆け寄り、中に放り込む。デザストルも消耗が嘘のような身のこなしで走り、ホムンクルスを乗せた瀧宮羽黒が運転席に滑り込むのとほぼ同時に乗りこんだ。反応が一歩遅れたものの、半妖の青年も呪術師の少年を抱えて車の天井に飛び乗る。ウロボロスは何かを察知したのか黄金の翼を展開して一足早く上空に避難していた。
「なに……?」
未だ五感に体が馴染めず反応しきれなかったとは言え、あまりにも見事な撤収にぽかんと開いた口が塞がらない。気付けば、瓦礫だらけの旧街道をガタガタと揺らしながら、国敵たちを乗せた車は大分離れたところまで走り去っている。
「ま、待て!!」
一人残されポツンと呆けている場合ではない。流石に無策で撤退というのも考えにくく、何か罠でもあるのだろうが追わなければならない。
攻撃用の魔術の構築の手は止めず、同時に飛行魔術を展開して追跡の準備を整える。
しかし。
――ズンッ
「……っ!?」
全身を押し潰すかのような圧力。
それが魔術によるものではなく、瀑布の如き純粋な魔力による圧迫感であることに気付くまで、しばしの時間を要した。
「な、なんだ……!?」
上下左右の方向感覚すら失いかねない魔力圧に耐えながら、何とかその発生源を探る。
それは案外すぐに見つかった――ふっと上を見上げると、見覚えのある人影が宙に浮かんでいる。
「…………」
黒髪黒瞳の青年が、凍てついた炎を閉じ込めたような眼光でじっとアスク・ラピウスを見下ろしていた。




