Noir-13 動物的直感
気の乗らないまま王宮に近付いたノワールは、肌を撫でた不快な感触に顔を顰めた。
「……?」
「ノワ、どーしたのー?」
王宮に吸い寄せられるように集まるゾンビ共は、派手に魔力を撒き散らしている瀧宮羽黒におびき寄せられ、ノワール達に目もくれない。最初のうちは念の為吹き飛ばしたり切り刻んだりしていたが、今では放置している。王宮内からも不穏な気配はするが、そこはもう丸投げする気で半ば無視しているから違うだろう。
となれば、この気配は——
「おっ、誰だあんた?」
ともすれば友好的にすら聞こえる問いかけに、ノワールが反応するより早くフウが双刀を抜いた。銀線が走り、——甲高い音が響いて弾かれる。
「おいおい、いきなり物騒じゃねえか。オレは敵じゃねえぜ?」
「この島にいる時点で警戒対象に決まっている」
フウの刀を所見で防ぎきった天明朔夜に、ノワールは軽く目を細めた。集中して見ていてもふとした拍子に見失ってしまいそうになる異常性に警戒を募らせながらも、相手の素性については見当がついた。
「成る程な。何故瀧宮羽黒が出張っているのかと疑問だったが……連盟からの依頼だったか。その存在感のなさと技量、大魔術師が始末した暗殺者組織の生き残りだろう」
「ハハッ、話が早くて良い。けどその覚えられ方は好きじゃねえな。天明朔夜だ、名前で覚えてくれよ」
「依頼主の正気を疑うがな」
確かに適材ではあるが、派生被害ごと受け入れているとなれば、随分と肝の据わった魔術師である。既に地形が変わっているのだが良いのだろうか。
「それはオレも同感だな。でもそこの嬢ちゃんも凄いぜ、オレのことばっちり視えてやがる」
「嬢ちゃんじゃないもん、フウだもん」
朔夜の言葉に頬を膨らませて反論するフウは、確かに1度も朔夜から視線が逸れない。受動的に他者の感情を読み取れるノワールですら、意識を集中しなければ輪郭を捉えられない、暗殺のスキルに特化した朔夜を見失わないのは——
「フウ、どうやって見てるんだそいつ」
「え? なんとなく!」
——野生の勘らしい。思わずこめかみを指先で押さえたノワールに、朔夜が苦笑を浮かべた。
「おもしれぇコンビだな、てめえら」
「うん!」
「褒められたわけじゃない」
嬉しそうに頷くフウに溜息をつくノワール。それを見て軽く笑い、朔夜はすっと手を差し出してきた。
「……何の真似だ」
「オレはクソ魔術師には殺意しかねえが、てめえはそういう『臭い』とは違う。上手くやっていける気がしたんだ。仲良くいこうぜ」
「何が狙いだ」
応じようとするフウの頭を押さえながら、ノワールは無感情に相手を見据えた。朔夜はからりと笑って、差し出した手をひらひらと振る。
「いや、狙いもなにもこの状況だ。敵じゃねえなら手を組んで戦いたいと思っていいだろう? どうもあのクソアンデッド魔術師が何かやろうとしてるっぽくてな、オレも王宮に突入しようってトコなんだ、が」
「このゾンビの群が邪魔、というわけか」
「ああ。こうやって立ち話してる分にはシカトされるが、中に入ろうとすると一斉に襲いかかってくるんだよ。一般人のオレじゃあ骨が折れるぜ」
朔夜は軽い口調で説明しているが、魔力を欠片も感じられないこの男が、その環境で生き残っているという時点で尋常ではない。何が一般人だ。ある意味では疾よりも技能特化型だろう。
「……まあ、中に入る分には俺は止めないが。かといって、助力を求められてもな」
ノワールとしては、このまま決着がつくまで見につとめたい。手出しをすると後々大変面倒なので、ただ見逃すのがベストだ。
「冷てぇなぁ。慎重な奴は好きだが、別にてめえに損はねえだろうがよ?」
「何故仲間でもないのに手を貸す必要が……」
うんざりと言い返していたノワールの言葉が、途中で止まる。朔夜もフウも気付いたように振り返った。
「おいおい、今度は何事だ?」
「わー、どんどん集まってる!」
先程まではただ王宮の周囲に寄り集まっていたゾンビが、一斉に王宮へと雪崩れ込み始めた。急な変化に驚く朔夜を余所に、魔法の専門家であるノワールはすぐさま状況を理解し、低く舌打ちを漏らす。
「ち……素材集めか」
魔力の属性が闇であるが故に呪詛の類を敏感に察知できるノワールには、これが大規模呪術の下準備である事が一目で見て取れた。そしてこの呪術は——少々、拙い。
「島どころか、世界規模で呪詛を振りまく気だな」
「クソ迷惑だな」
「ノワノワ、それってこまるよね?」
分かっているのかいないのかはっきりしないが、フウの言う通り状況は思わしくない。何やらジャミングが再発したかのようなノイズのせいで王宮内の様子は分かりにくいが、不穏な魔力の流れがうっすらと見える。
「……仕方ない」
大変残念なことに、この世界の管理者でもあるノワールがこれを放置するわけにはいかない。やっぱり面倒なことになるのかと溜息をつきながら、ノワールは軽く手を振った。
轟音。
雷が弾け、四方八方へと飛び散る。
「素材だけでも減らすか」
淡々とした口調とは裏腹の、苛烈な魔法行使。ただの一撃で、入口に集っていたゾンビが3桁単位で消し飛ぶ。
「ハッ、マジか。建物無事かよ?」
「崩れたなら崩れたで構わないだろう、敵陣だぞ」
「中にいる奴らのことも考えろよ。それともアレか? てめえも目的のためには何やっても構わねえってクチか?」
何やら不穏な気配を漂わせ始めた朔夜。いや、正確には気配という気配が消えていく気配だ。『殺気のない殺気』とでも言うべきだろう。
それすら敏感に感じ取って瞬時に殺気立つフウをしばき倒しながら、ノワールは冷淡に答えた。
「ノワ、いたいー!」
「味方や一般人ならともかく、協会に敵対関係にあるあいつらが巻き込まれたところで、どうでもいいんだが……そもそも、その「中にいる奴ら」とやらに、建物が崩壊した程度で死にそうな奴がいるのか」
「いねえが、迷惑じゃね?」
その程度で死んでくれるなら、ノワールもこの世界をより穏やかな気持ちで管理できたことだろうが、そうもいかないのがこの標準(詐欺)世界である。
「だがちょっと死にそうな奴はいたぜ。というか、ぶっちゃけこれから突入するオレが危険なんだよ」
「……何でお前に気を……いや、いい。連盟とこれ以上の厄介事は避けたい」
マイペースに要求を突き付けてくる朔夜に内心頭痛を覚えながらも、ノワールは入口付近に障壁を展開し、自身の魔法で崩れないよう保護した。
「フウ」
「なあに?」
「手前にいる分は好きにしろ。入口周辺の奴らは俺がやる」
端的な指示に、フウは満面の笑みで応じた。
「うんっ!」
返事と共に姿が消えたと思えば、ノワールと朔夜を囲むように佇んでいたゾンビが一斉に細切れになって崩れ落ちた。その後も勢いが止まらぬまま、次々と斬り刻まれていく。
その様子を横目で確認しながら、ノワールは魔法陣を展開した。幾重にも発動した魔術が、マップ兵器もかくやの勢いでゾンビを跡形もなく吹き飛ばしていく。
「……こいつはやべえな。てめえら2人いれりゃ、この島くらいどうにかなったんじゃねえのか」
「そう思うなら連中を雇うなと雇い主に伝えておけ。それで、油を売ってる場合なのか」
「ん?」
のんびりと観賞していた朔夜が振り返る。魔術を次々と発動させながら、ノワールは肩をすくめる。
「王宮に侵入するんだろう。とっととしないと、王宮内が呪詛で溢れかえるぞ」
「既に溢れかえってる気もするけどな。ま、オレもそろそろ仕事に戻るさ」
微妙に引っかかることを口にした朔夜の気配が完全に消え失せた。思わずノワールも振り返るが、完全に姿が捉えられなくなっている。
「……厄介な人材を抱えているな……」
一応、侵入経路を用意してやる心づもりはあったのだが、不要な気遣いだったらしい。余りにも普通の気配を漂わせていたが、やはり尋常ではない。本当に、この世界を標準世界と定義したのはどこの盲目だろうか。
内心愚痴りながら、ノワールはこれまでの鬱憤を晴らすように魔術を放ち続けた。
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瀧宮羽黒をして頭痛を覚えるような情報共有をしている中、不意に疾が顔を上げた。
「お、どうした? ……ん」
僅かに遅れたが、羽黒もその気配に気付く。
「どうかしましたの、お兄様……あら、これは」
「っ、これは!?」
更に少し遅れて、白羽と竜胆が顔を上げた。白羽はのんびりしているが、竜胆は逆立てた毛が幻視できるほど警戒している。
「へえ? 魔法士幹部ドノが動くっつうことは、何かあるな」
「だろうな」
楽しげな笑みを浮かべる疾の気配が薄ら寒い。どうにもノワールが関わると雰囲気が変わるのがやや気になるが、羽黒はそんなこと気にしてる場合じゃないと後回しにした。
「しっかし、俺らが認識できないのに外の連中が把握してるってのも情けねえ」
「んなもん、原因は明らかだろうが」
疾が途端に不機嫌な表情になる。そして心底嫌そうな目でちらりとある方向を見やる。
「何!? この状況で更に俺のせいになるわけ!? わけわかんない帰りたい!」
「あはは! ゴシュジンマジで受ける! 仲間にされる扱いじゃないよねクソ受ける!」
「帰りたい!!」
「うっせえんですよ下等生物! なんであたしまで巻き込まれなきゃならねえんですか無限回殴りますよ!」
涙目でぎゃーぎゃー叫ぶ瑠依と、涙目でケラケラ笑うドビーと、青筋浮かべて怒鳴るウロボロスという三者三様の反応だが、前者2人は三角形の木材の上に正座をさせられ、上に瓦礫が重ねられる——所謂日本古来の拷問「そろばん」状態である。
各自の報告と羽黒や疾、ウロボロスの知識を摺り合わせていく内に、予想以上に瑠依のしでかしたジャミングの悪影響が多方面に出ていた事が判明したのと、その間にも帰りたい帰りたいと脱走を試み竜胆を煩わせていた為に、羽黒と疾が結託した。
無言で蹴り倒して土下座の姿勢にした疾の手慣れた様子に、面白がった羽黒が瓦礫を膝の上に乗せ、「あ、じゃあこれもですね」とウロボロスがどこからともなく木材を取り出した。犬猿の仲にしかなり得ない3人による、鮮やかなる合作である。
なお、ドビーはいつの間にか勝手に同じ姿になっていたので全員がスルーした。多分ノリなのだろうが、つくづく思考回路が謎なドラゴンゾンビである。
そしてウロボロスは、ソロバン作業の隙を突いた疾にごっそりと魔力を回収された上、ジャミングの制御係に任命された。当然拒否していたのだが、羽黒が依頼主への告げ口を仄めかした結果、嫌々応じている。
「ウロボロスが制御して尚、リッチの呪術を阻害するレベルのジャミングの側にいて、魔術の構築なんざ分かるかよ」
「いや、うん。そろそろ聞いて良いか? なんでそいつ呼んだん」
「雑魚の囮用。普段はここまでジャミング酷くねえ。この手に負えない状況は、殆どがてめえのせいだ」
冷め切った目で睨み付けてくる疾に、羽黒は軽薄な笑みで応じた。
「だから言ったろ、情報共有は大事だぜ?」
「そっくりそのまま返すぞ、何も確認せずに切欠作った馬鹿野郎が」
「てめえお兄様になんて口を——」
「ああもう、ややこしくなるから割って入るな! そっちも言い合ってる場合じゃないだろ!」
疾の罵倒に条件反射的に反応した白羽を押さえ込みながら、竜胆が怒鳴りつけてくる。状況判断の確かさと必要とあらばリーダーシップすら取れるこの優秀さ、本気で欲しくなってきた。
「ま、そうだな。んで、敵さんは何を——おーおー、まーた派手だねえ」
「ほんと、追い詰められた敵が取る手段っつうのは、どいつもこいつも一辺倒だな」
疾が鼻で笑う。いつの間にか携えていた銃を構え、奥へと視線を向ける。
「——小蝿共が」
コツ、コツと足音が響いた。
「散々我の国を荒らしてくれたが、ここまでだ」
ぎょろりと落ちくぼんだ目が動き、羽黒達を睥睨する。
「我も甘く見ていたが、正真正銘の切り札を持って——この世界を死者の国としてくれる」
瘴気が、溢れかえった。




