Noir-12 逃れられない始末書
「ねーねー、ノワー」
「なんだ」
「そろそろあきたー」
「……」
博物館跡地。
お子様があり余ったスタミナを発散している間に、瓦礫に残存した魔術回路や戦闘痕の解析を行っていたノワールは、フージュの台詞に眉を寄せた。
なお、解析結果は予想通り思わしくない。全体像を把握するために必要な部分は根こそぎ破壊されており、残った回路も島全体に広がっていたジャミングの影響を受けたのか、奇妙な混線が随所にあり、原形を留めていない。戦闘痕にいたっては魔力の痕跡すら残っていなかった。一部は自身の魔力で吹き飛ばしてしまったのだろうが、それにしても嫌がらせでしかない証拠隠滅ぶりであった。
捗らない作業に苛立ちを覚えていたところに、フージュの発言だ。ノワールは苛立ちを滲ませた声で素っ気なく返す。
「飽きるならそれを完全に塵にしてからにしろ」
「だってー。どれだけ切り刻んでも、核、どこにもないよー?」
「……何だと?」
これにはノワールも顔を上げざるを得なかった。言われてみれば、結構な時間をこのじゃじゃ馬に任せていたにも関わらず、戦闘が終わっていない。これだけの時間放置すれば、このベルセルクは寸刻みに刻み上げて跡形も残さないはずである。
研究に夢中になると周りが見えなくなるという自身の欠点は棚に上げ、ノワールはようやくワイトの観察に入る。すいと眼を眇めた。
「……面倒な」
「どうしたのー?」
「予め、回復魔法を全身に施している……いや、薬を使っているのか」
回復魔法は怪我以外の身体不調──疲労、貧血、簡易な病までをカバーするものが一般的だが、治癒を専門にする魔法使いになると、現代医療顔負けの治療を行えるものもいる。世紀単位で生きるモノになれば、擬似的に不老不死を生み出すことすら可能だ。
ワイトはどうやら、戦闘前に高度な回復魔法効果を持つ薬を与えられているようだ。特に核に対して強く作用しているのだろう、フージュが切り刻んでも即時回復しているらしい。幹部級の力を認められているとはいえ、一兵に対して随分と気前の良い話である。
「……噂は本物だな。資金源は魔法薬か? 出所を調査する必要がある……が」
1つ溜息をついて、腕を一閃。魔法陣が地面に浮かび上がり、宙に浮いていたワイトがどしゃりと墜落した。
「あちこちに戦端が開かれている現状では、調査もままならない、か。……本当に始末書の下書きでもしておくか……」
今回の任務の最終目標がアスク・ラピウスの排除だとしても、不死の国を設立し、曲がりなりにも運営していた手法や背景の潜入調査こそが本来の任務。一応、博物館内からめぼしい情報はかき集めてあるが、あくまでアンデッド化の魔術的理論のみ。随所に設置された魔術トラップの材料や、ワイトに使用されている回復魔法薬の出所あるいは出資者を調べられないとすれば……災厄や最悪とまたもや接触し、取り逃がしている事も含め、始末書は逃れられまい。
「はあ……本当に、あいつ等と関わると碌な事がない……」
深々と溜息をつき、1つ頭を振ったノワールは、冷徹な視線を地面にのめり込んだワイトに向ける。重力魔法に抗おうとあらゆる魔法を試しているようだが、無駄だろう。
ワイトになったといえど、所詮は魔法士1級程度。
魔法士幹部であり、闇属性特化のノワールが操る闇属性の魔法を打ち破れるだけの技量など、持ち合わせてはいない。
そのまま大地に磨り潰されるか、回復魔法薬の効果を解除する術式を編むノワールによってただの死体へと還されるかの瀬戸際にいたワイトは──その場で掻き消えた。
「……なに?」
「あれっ、消えたよー?」
ノワールが目を見開く。直ぐに表情を引き締めて魔法陣を展開したが、少しして痛烈な舌打ちを零した。
「召喚魔法陣……予め仕込んでいたのか」
ワイトが唐突に掻き消えた場所を睨み付け、ノワールはもう1度舌打ちをうつ。視線を巡らせ、王宮へと止めた。
「本陣へと召喚……アスク・ラピウスもあっちに移動したのか。あいつら相手に徹底抗戦とはな」
一応、戦略としては間違っていないだろう。博物館は瓦礫と帰し、いつの間にやら大聖堂は文字通り消滅していた。残る本拠地を複数人で襲撃されているとなれば、もはや各個撃破も適わない。総力戦を仕掛ける時と判断したようだ。
問題は、総力戦の陣営だ。
対多数戦特化の瀧宮家当主。
最悪の黒。
災厄。
身喰らう蛇。
……後、何やら胡乱な力を纏った化け物や、大聖堂でやたらめったら喧しい悲鳴を響き渡らせていた別要素がいるようだが、然程脅威には感じなかったから置いておくとして。
標準世界と名を打ちながら、埒外の力を持つ彼らが迎え撃つ中、果たしてアスク・ラピウスに勝ち目があるのか。やり取りを交わした数回で判断した限りでは、アスク・ラピウスの方が限りなく分が悪いとノワールは判断した。
アスク・ラピウスが何か他の──それこそ世界規模を巻き込むような切り札を持ち合わせていなければ、だが。
「……はあ」
切り札を持っていたならばそれの見極めが、持っていないならば滅される前にペプレドを寄越した意図の追求が必要だ。もう本当にあの連中とは心の底から関わり合いになりたくないのだが、任務なのだから仕方ない。始末書はどうせ不可避だ。
「……王宮に行くぞ」
「いいけどー、王様のところにいくなら、大聖堂から行かなきゃだめじゃなかったの?」
こてんとフージュが首を傾げた。実際、最初にノワールが到着した際、アスク・ラピウスの元へと向かう通路は、大聖堂の紋様魔術を起動させる事で通ることの出来る、一種の別空間だった。ただ王宮に向かうだけでは、ゾンビに出迎えられるだけ出迎えられて、本陣には辿り着けないようになっている。
だからこそ、王宮へと乗り込む彼らを止めなかったのだが──
「アスク・ラピウスが本陣へと戻り、配下をかき集めて総力戦をするとなれば、切り札を切る際にはあいつらの前に現れる必要がある。わざわざ本陣に行かなくても、あいつらを追えば否応なく鉢合わせるだろう」
「???」
「……アスク・ラピウスは敵と戦う為に姿を見せるから、こちらから行く必要は無い、ということだ」
「あっ! 分かった!」
嬉しそうに跳ねるフージュに溜息を漏らして、ノワールは踵を返した。
「行くぞ。とはいえしばらくはあいつらが好き勝手に暴れている。急いだところで、俺達も戦力扱いされるだけだ。身体強化無しで適当に走れば丁度良いだろう」
「えー、つまんないー」
フージュが唇を尖らせたが、ノワールは譲らない。面倒事は最小限にすべきだ、始末書の枚数は出来るだけ少ない方がいいに決まっている。
などと非常に後ろ向きな思考に囚われながらも、ノワールは確実に「間違えた選択肢」と理解しながらも渋々王宮へと足を向けた。
***
「しっかし、ホントゾンビだらけなのな、うらあっ!」
ドガン!
無造作に突き出された拳の衝撃波だけで、群がるゾンビ共が一瞬で蒸発する。
ぽっかりと空いた空間は、しかし直ぐに新たなゾンビで埋め尽くされた。
「どんどん増えて参りますわねー。白羽の出番が楽しみですわ。あははっ♪」
「はあ……」
楽しげに愛らしく笑う白羽の台詞に、竜胆は溜息をついた。先頭でゾンビ相手に殴る蹴るで応戦する羽黒を眺めて、もう1度溜息をつく。
「ったく、何してんだよ……」
二重の意味で呟き、竜胆はちらりと視線を余所へ向けた。殺る気満々で交代待ちの白羽が首を傾げている。
通路は相変わらず狭いままだが、ゾンビはひっきりなしに前方から波状攻撃を仕掛けてくる。明らかに竜胆たち一行をピンポイントに狙ってきているゾンビ達は、こちらの戦力分散もお構いなしの一直線という猪突猛進ぶりだ。
まるで吸い寄せられているかのような襲撃の原因は、羽黒が王宮到着時から魔力をばらまいている事に尽きる。妙に臭いが濃くなった辺りで当人に尋ねれば、
「なんかどこからもゾンビの気配がするだろ? あっちこっち行って撃退すんのも面倒くせえ。トラップも多いし、あちらさんに出て来て貰った方が楽じゃん」
……と答えやがったので、この兄妹に戦闘を任せることへの罪悪感は綺麗さっぱり消え失せた。自分でやったことは自分で責任取れ。
そしてもう1つが、単独行動が過ぎると訴えてから30分も経たないうちに姿を消した疾である。一応、建物内にいるようだが、あの集団行動の出来なさはどうにかならないものか。一度話あっておこうと心に決める。
後ついでに、いい加減ドラウグルを地形ごとまとめて消し飛ばしたウロボロスが帰ってこないのが疑問だ。まさかと思うが、ドラウグルを倒しただけで自分の仕事は終わりだとでも言うつもりだろうか。疾じゃあるまいし。
「どうかしましたの、竜胆先輩?」
「あー悪い。アイツどこ行ったんだろうなっつうのと、ウロボロスはまだ合流しねえのなって思ってよ」
考え込んでいた竜胆に気付いた白羽に声をかけられ、竜胆は我に返った。謝罪ついでに疑問を口に出すと、白羽はふんと鼻を鳴らす。
「あの男がどこで何していようと、白羽は心底どうでも良いですわ。ウロボロスさんなら、先程大聖堂に向けて飛んでいくのがちらっと見えましたわよ」
何とも辛辣な発言はひとまず置いておいて(見る限り、大体は疾の言動のせいである)、竜胆は大聖堂の方角に目を向けた。
「……一応、俺の主がいるっつのは、分かってるよな? いきなり丸ごと呑み込んだりしないよな?」
「あー……まあ、大丈夫ではありませんの? たぶん」
「多分かよ」
「ぶっちゃけ白羽、あんな傍迷惑な方はウロボロスさんの無限空間に呑み込まれて「なかった」事にした方がいいと思いますの」
「俺の契約者だっつの!」
「その時は是非月波市にいらしてくださいな、お姉様に嫁いでくださるなら白羽めちゃくちゃ大歓迎ですわ!」
「だから嫁ぐっておかしいだろうが!」
白羽の暴言に思わず竜胆が喚いた瞬間──大きな力の気配が大聖堂の方から伝わってくる。
「っ、何だ!?」
「ウロボロスさんではありませんの? あ、大聖堂消えてますわ」
手近にあった窓から覗き込んだ白羽が指差したところを見ると、大聖堂があったはずのところは綺麗さっぱり消え失せている。
「瑠依は……っ、無事か」
「……むしろ何で無事ですの?」
「それは俺もわかんねえ……」
魔力リンクから契約者の生存を確認した竜胆に、白羽の大層胡乱げな眼差しが突き刺さる。竜胆はそっと目を逸らした。無限空間に呑み込まれても生き延びたのか、ギリギリで避けたのかは分からないが、本当に瑠依の悪運の強さは尋常じゃないと竜胆も思う。
「おし、そろそろ交代するぞー!」
「あはっ♪ ようやく出番ですわ!」
きらっきらのお子様笑顔で刀を携え、ゾンビ目掛けて突っ込んで行った白羽と交代するように、羽黒が戻ってきた。何とも言えない顔で白羽を見送っていた竜胆に声をかけた。
「なんだ、浮かない顔して?」
「浮かないっつか、引いてたんだよ。何で子供がゾンビ相手に喜んでんだ」
「瀧宮は基本血の気が多いからなー。戦闘楽しいじゃん」
「はあ……分かんねえわけじゃねえけど」
竜胆とて、戦闘に楽しさを覚えるタイプだから、羽黒の発言も一応理解出来る。出来るが、ここまで血の気が多いとなると、やはり異様さを感じてしまう。
「んで? 気にしてんのはあれか?」
羽黒は問いながら窓の外を指差した。跡形もない大聖堂にも驚きすら見せない剛胆さに内心呆れながら、竜胆は曖昧に頷く。
「まあ……一応、契約者は無事みたいだけど」
「寧ろ何で無事なん?」
「……まあ、怪我とかしてても俺にはわかんねーから、一応心配はしてる」
妹と同じ問いかけは全力でスルーし、竜胆は強引に話を変えた。
「あとは、どこで何してんだろうな、っつう」
「あー……。まあ、ぶっちゃけアイツ、ほっといた方が仕事する気がする」
「ああ、うん……いや別に、そもそもサボってるわけじゃねえけどな」
確かに今回の件で言えば、単独行動を取った博物館にいた間が、最も活躍していたことになる。とはいえ、白羽の言うような口だけというほど何もしていなかったわけでもない。ただただ、同伴しているだけで心象が悪化していくだけだ。
「……口が悪すぎるんだよなあ」
「それは否定しない。あと、性格」
「……それはあんたもだろ」
「いやあ、俺はそれほどでも──」
どごぉぉおん!
激しい縦揺れが竜胆たちを襲う。咄嗟に姿勢を低くした竜胆と羽黒だったが、直ぐ近くから聞こえた悲鳴に思わず首を巡らせた。
「きゃー! なんですのなんですの!?」
戦闘中で完全に不意打ちだったらしい白羽が悲鳴を上げている。切迫感がないが何事かと視線を向けると、ゾンビが何故か抱きつき合っていた。
「…………は?」
「うげえ」
思わず目を点にした竜胆の傍ら、羽黒が心底嫌そうな声を上げる。
「ここであいつかよ……ん?」
「何だ、知ってるのか……は?」
「気持ち悪いですわ! なんですのあれ……え?」
もうもうと立ちこめていた煙が晴れた先、視界に入ったものを理解するのを、竜胆の脳みそが咄嗟に拒否した。
「ウ腐腐……ウ腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐……あぁあああ゛ああああ」
「はっ、うざってえ。バグもここまで行けばいっそ見事だなあ?」
襤褸のような黒いドレスを身に纏う、骨と筋だらけの女が狂ったように笑っては魔術を乱射している。それを軽く躱し、あるいは魔術で逸らしながら、嘲笑を浮かべながら銃を撃ち、女の身体を撃ち抜いているのは、竜胆もよく知る人物だ。
「……いや、あいつ何してんの」
羽黒が思わずと言った様子で呟くとほぼ同時、疾が踏み込む。魔術の途切れた間を狙い澄ましたように間合いを詰めた疾は、何の迷いも無く女をゾンビの群の方へと蹴り飛ばした。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「だから、うっせえっての」
疾が銃を発砲する。宙に浮かび上がった魔法陣に魔力が供給され、幾条もの雷がゾンビごと女のいる場所を撃ち抜いた。
耳障りな悲鳴に眉一つ動かさず、疾が指を鳴らす。途端浮き上がった無数の炎を纏った矢が追撃した。
「ウ腐腐、無駄ですよ……っ!?」
炎が揺らいで消える。優悦の笑みを浮かべていた女は、しかし自身の身に深々と突き刺さった矢に驚愕の表情を浮かべて動きを止める。
「てめえの抵抗は無駄だな、確かに」
口元をうっすらと孤の形に持ち上げ、疾が引き金を引く。過たず矢に突き刺さった銃弾が溶けるように消え、矢が爆発する。
「ぎゃああああ!?」
「ほんとうっせえな。悪趣味の極みっつう魔術を乱射しておいて、いざ自分がやられる側になったら通り一辺倒の反応とはな。つまんねえやつ」
……いくら敵とはいえ、苦鳴を上げる相手に更に悪態を投げつけるという暴挙に、竜胆は思わず額に手を当てた。
「うっわ、えげつねーなーおい」
「どん引きですわ……」
いつの間にか竜胆の側まで退避していた白羽が、文字通り心の底からの感想を口にした。羽黒は何故か半ば楽しそうなのだが、本当に感性どうにかしている。
「にしても、なんでわざわざ魔術で対抗してんのかね。おまえさん、ああいうの相手ならそれこそ本領発揮のチャンスじゃね?」
「そう思うんだけどな……」
白羽に配慮してか「鬼狩り」の言葉を出さずに尋ねてくる羽黒の疑問はもっともで、鬼狩りの中でも異彩を放つほど、疾の異形に対する神力はずば抜けている。それこそ、異能を込めた銃で攻撃すれば、即時にこの女の形をした異形を滅ぼせるだけの力を持つはずなのに、何故魔術で攻撃を続けているのだろうか。
「……まさかと思うんですけれど」
ぽつりと呟いた白羽に、竜胆と羽黒の視線が集まる。白羽は真剣な表情で疾を見つめて、言った。
「……あの男、いたぶる為にわざわざ魔術を使っているんじゃありませんわよね?」
「……」
「……」
「……ありうる」
「否定出来ねえのかよ」
「本当に、あの男……」
どん引きした顔で羽黒と白羽が竜胆に視線を向けた。返答を避け、竜胆はそっと目を逸らす。そういえば明らかに実力差がある魔術師も、やけに時間を込めて心を折りにかかっていたのを見た覚えがある。
「とはいえこれじゃ埒が明かんな。おーい」
手でメガホンを作って羽黒が呼びかけると、今も魔術を連射して女をいたぶっていた疾が視線もくれずに応じた。
「何か用か、こっちはこれでも取り込み中なんだが」
「お楽しみ中悪いが、そろそろ片を付けてくれねえと、他のゾンビがめっちゃ集まってきてんだが?」
「さっさと片付くならとうに片付けてるっつうの。こんな悪趣味落丁本、長々と遊ぶ価値あるわけねえだろ」
「お?」
羽黒が首を傾げた。竜胆も意外に思い、疾を見直す。また怪我を隠しているような気配も無いし、疾が苦戦する要因は見当たらないのだが──
「つーか、とっとと片付けてぇのはこっちの台詞だ。早くしねえとまたぞろあの馬鹿が……っ」
何やら嫌な予感を竜胆に与える台詞の途中で、疾が大きく飛び退いた。素早く張り巡らされた障壁が疾だけを守っているのを見て、竜胆と羽黒は身構え、白羽は当たり前のように竜胆の後ろに隠れた。
「おい! おかしいだろ!?」
「竜胆先輩なら守ってくれると信じてますわ!」
「守るけども! 兄貴はどうした!?」
身内の方に逃げ込めと竜胆が訴えたその時──
「あんぎゃあぁああああああ!?」
「あははははマジうけるぅうううううう!」
ちゅどぉおおおおおおん!
…………非常に情けのない悲鳴と共に、王宮の壁がごっそり吹き飛んだ。




