Cent-09 ドビーちゃんの悲しくも切ない物語(笑)
昔々あるところに、一匹の醜いドラゴンがいました。
ドラゴンは口に収まりきらない大きな牙を持ち、長く鋭い爪が指ではないところからも生え、角は蔦のようにうねりながらそれぞれ別の向きに伸びていました。
そのドラゴンはドラゴンの王様として栄えた一族の末っ子でしたが、その醜さから周囲のドラゴンだけでなく、実の父や兄姉からも忌み嫌われていました。
巣穴にいれば兄から炎を吐かれ、森にいれば姉から罵倒され、空を飛べば父に叩き落され、地を歩けば他のドラゴンたちに岩を投げられました。
ただ唯一、母だけはドラゴンに優しかったですが、それは誰も見ていない時だけで、普段父や兄姉と連れ立っているときは、一緒になってドラゴンを居ないものとして無視しました。
それが嫌で嫌で、ドラゴンは縄張りを出ていく決心をしました。
ドラゴンは夜のうちに巣穴から遠く離れた海の小さな島までやってきました。
ドラゴンがいなくなっても誰も気にすることもなく、誰も探しに来ませんでした。
島についてから、ドラゴンは初めて静かな時間を過ごしました。
誰からも責められない。
どこも痛くない。
そんなこと、生まれて初めてでした。
ですがある時、海で魚を食べているのを人間の船に見られてしまいました。
魚が捕れないのは、あの醜いドラゴンのせい。
海が荒れるのは、あの醜いドラゴンのせい。
船が沈むのは、あの醜いドラゴンのせい。
島に大勢の人間が押しかけ、ドラゴンに矢を放ちました。
それが嫌で嫌で、ドラゴンはまた、逃げ出しました。
ドラゴンは、今度こそ周囲に誰もいない山の奥までやってきました。
木と木の間に巣を作り、そこで身を丸め、どうか今度こそ誰も来ませんようにと願いながら毎夜眠りにつきました。
そんなある夜、山の獣ではない匂いに気付いてドラゴンが目を覚ますと、目の前に人間の女の子がいました。
ドラゴンは、また逃げなければと身構えましたが、それにしては様子が変です。
女の子はドラゴンに近づくと、何本も生えた醜い爪を撫でながら、にっこりと笑いました。
ドラゴンはその表情がどのような感情を意味するのかまるで分かりませんでしたが、それでも、生まれてからずっと感じた「嫌な感じ」は全くありませんでした。
その夜、女の子はドラゴンの尻尾に抱き着いたまま眠りに落ちました。
「あのね、わたし、ずっと遠くの人間の街から来たの」
朝、目が覚めると女の子はドラゴンに自分のことを話してくれました。
「パパとママとお兄ちゃんと、友達がいっぱいいる街から来たの。でも今年は夏が寒くてご飯が取れなかったから、この山にご飯を探しに来たの。でも気が付いたらパパもママもいなくなっちゃってて。どこまでご飯探しに行ったんだろうねー」
ドラゴンの色が混ざり合った汚い模様の鱗を指でなぞりながら、女の子は首を傾げました。
ドラゴンには人間の街の事は良く分かりませんでしたが、なんとなく、女の子の親は探しには来ないだろうと想像できました。
ドラゴンは女の子に食べられる木の実や野草、キノコを教えました。
最初はただの気紛れでした。
妙に懐いてくる女の子が自分の巣の周りで死ぬのは気持ちのいいものではなかったし、何より女の子から「嫌な感じ」がしなったからです。
女の子はとにかくよく笑いました。
街にいた頃に友達としたいたずらを面白おかしく話し、それに自分で笑いました。
人の顔のような木のうろを見つけるとお腹を抱えて笑いました。
うっかり木の根に躓いて転ぶとちょっと拗ねたように笑いました。
そんな女の子と過ごすうちに、ドラゴンもまた少しずつ笑うようになってきました。
何でもないことでお互い笑い、それに対してまた笑う。
一匹と一人しかいない山奥は常に笑いで溢れていました。
ですが。
「ねえ、パパとママ……いつになったら迎えに来てくれるのかな」
いつからか、不意に女の子から笑みが消えることが増えるようになりました。
お前は捨てられたんだよ――ドラゴンに、そのことを伝える勇気はありませんでした。
そしてある日。
「パパとママを探しに行ってきます。会えたら二人を連れてすぐ戻ります。またドラゴンさんとたくさんおしゃべりしたいな」
地面に木の枝でそう書き残し、女の子は姿を消しました。
どうせ見つけられない。
街まで下りられたとしても、すぐまた捨てられる。
そうすれば、また女の子はここに戻ってくる。
また、女の子とおしゃべりできる。
笑いあえる。
万が一、女の子の両親が彼女を再び迎え入れたとしても、彼女は書置きの通り戻ってくる。
ドラゴンは信じて、彼女が戻ってくるのを待ちました。
書置きが雨で崩れないように体で覆いました。
書置きが風で消えないように翼で隠しました。
書置きが踏まれないように生き物を追い払いました。
ドラゴンは信じて待ち続けました。
女の子が帰ってくるのを待ち続けました。
あの子が戻ったらどんな話をしよう。
色々な物語を考え、それに自分で笑いました。
何年も何年も、待ち続けました。
書置きを覆う体が腐り、翼が骨だけになり、すべての生き物が山から勝手に逃げていくまで、待ち続けました。
山には、ドラゴンの気味の悪い笑い声が常に響いていました。
女の子は、帰ってきませんでした。
* * *
「まあそのドラゴンとウチは全く関係ないんだけどね!! アハハハハハハハハ!!☆」
「じゃあ何なのその話!?」
「え、ウチが今さっき考えた与太話だゾ☆」
「実在すらしなかった!」
ドラゴンゾンビことドビーに抱えられながら、瑠依は空を飛んでいた。
羽黒が瑠依とドビーの仮契約状態をなんとかしようとリンクを弄繰り回し、その際の痛みで悲鳴を上げていたのだが、その痛みが消えてようやく呼吸を整えた瑠依が「俺のリンクどうなりました?」と聞く間もなくドビーに拉致同然の強引さで担がれ、今に至る。
わあ、大聖堂があんなに小さく見える。
「ンっしょ、この辺りかな?」
「え、あの? ドビーさん? 何をしようとしてるんですかね?」
「ンー」
肉付きの薄い細っこい腕からは想像できないドラゴンの膂力で抱えられ、ろくに抵抗もできなかった瑠依が今改めて顔を青ざめながらドビーに尋ねる。いま彼女は目線で今いる位置から大聖堂までの距離を確認し、瑠依を肩に担ぎ直した――遠投の構えである。
「龍殺しのおっさんが、ゴシュジンを大聖堂に投げ込めば面白いモノが見れるっていうから、やってみるだけだゾ☆」
「この高さから!? 死ぬわ!?」
「え、ウソ。こんなとこから落ちたってかすり傷一つつかねーゾ。ウチは元々傷だらけだけどな! アハハハハ!」
「お前はな!? 人間は落ちたら死ぬの!!」
「にん……げん……?」
「何そのリアクション!?」
「ゴシュジン、そのジョークは面白くない」
「ジョークじゃない!!」
「んじゃゴシュジン、とりまレッツラゴーだゾ☆ あ、あとあそこにはラピウス様――ウチらのボスがいるけど気にしないでね!」
「え、はっ!?」
「どーん!」
「あぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!??」
無駄に華麗なフォームで投げ飛ばされ、サイレンのような悲鳴を上げながら真っすぐ大聖堂目掛けて飛んでいく瑠依。ドビーとしては大聖堂の中でも礼拝所の辺りを目掛けて投げたつもりだったのだが、残念ながらわずかに右に逸れてしまい、修道院の辺りの区画(現:ゾンビ詰め所)に着弾してしまった。
当然のようにこの高さから落ちても死ななかった瑠依は、周囲のゾンビを蹴散らしながら走り回っている。その術の無茶苦茶さと無駄な派手さ、あと情けない悲鳴のコントラストが素晴らしい。
「アハハハ! こりゃ確かにおもしれーゾ☆ やっぱしばらくはあのゴシュジンについてこーっと!」
上空から眺めながら腹を抱えて笑ったドビーは、もう少し近くで見てやろうと骨の翼をはためかせ、ゆっくりと降下していった。
* * *
「お、もう帰って来たのか」
廃墟どころか瓦礫の山と化した住宅街だった区画を一人歩きながら、羽黒は不意に立ち止まって虚空に向かって話しかけた。
「……どうやって気付いた」
と、先程まで何もいなかった空間から声が返り、まばたきした次の瞬間にはそこにラフな格好の青年が不機嫌そうに眉間にしわを寄せながら立っていた。
「オレは今、普通に気配を消してたんだが?」
「いや、お前さんの実力ならそろそろ帰ってくる頃かなーってテキトーに喋ったんだが、マジでドンピシャで俺もちょいとビビってる」
「……ちっ」
隠そうともせず舌打ちをし、青年――朔夜は苛々と刀の鞘と鍔をカチカチとぶつける。その様子に羽黒は肩を竦め、一応の戦果報告を尋ねる。
「聞くまでもないとは思うが、どうだった」
「瓶の中身をあらかじめ塗ったコイツで首を刎ねて、ついでに髪も置いてきた」
「お、やるねえ。完璧かよ。で、やっこさんの様子はどうだった」
「……どうもこうもあるか。なんだあの気色悪いの。想定以上だ。オレたちみてぇに魔力を一切持ってねえのにポンポン魔術を打ってきやがるからやりにくくって仕方ねえ」
「それがリッチってやつだ。ま、そう言いつつしっかり一度は首刎ね落としてんだからお前さんも大概だが」
「お褒めに預かりどーも」
吐き捨てるようにヤケクソ気味に応える朔夜。何を言っても機嫌は直りそうにないので羽黒はため息交じりに話を進める。
「そんで、お前さんこれからどうするね。また暗殺しに行くか?」
「そりゃ意味ねえなぁ。この妖刀で首落としても復活されるんじゃ、オレにできることはねえ」
「んじゃあ帰るか? 港にボートは残してきたし、沖の連中と合流しても良いぜ?」
「あんなところに合流しろってか? 冗談にしちゃあ笑えねえなぁ」
そう言いながら朔夜は顎をくいっと持ち上げ、海の方を指す。
そこには何本もの小規模な竜巻が海面を巻き上げ、それが即座に凍り付いて巨大な氷柱となり、かと思えば次の瞬間には粉々に砕かれるというちょっとした地獄が延々と繰り返されていた。アンデッドのワイバーンと思しき巨大な翼を持つ骨が何匹も飛び回っているほか、時折海中から巨大な腐った鮫が凍った海面を突き破って跳び回っているため、例の独立秘匿遊撃隊の面々が襲撃されているらしい。
「どうせいつもの内輪揉めをしながら戦り合ってんだろ。あんなところにホイホイ突っ込んでみろ。身一つ刀一本でどう生き残れってんだ。オレはどこにでもいるただの人間だぞ」
「それこそ笑えない冗談だろ? だとしてもお前さんなら何とかなりそうな気がするが。つーか、あのど真ん中にいるはずの修吾はなんで無事なんだろうな」
あと、結局名前を聞けなかった女魔術師も。こちらに関しては実力云々より悪運で結果として生き残っている気がするが。
「まあいいや。ついてくるならご自由に。単独行動するなら気を付けて。そのうちこの島ふっとばすから逃げ遅れないようにな」
「はいはいっと。んじゃ遊撃隊は遊撃隊らしく、遊撃に徹するとするよ」
「ああ、あと今大聖堂には近寄んなよ?」
「あぁ?」
「危ねえから」
ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
「あんぎゃあああああああああああああああっ!?」
「アハハハハハハハハハハハ!! チョーウケるゾ☆」
「…………」
何やら爆発とともに情けない悲鳴とウザったい爆笑が聞こえてきた気がする。かなり離れてるのに。
「アレに巻き込まれるとギャグ時空の人間になるぞ。気を付けろ」
「……おう」
珍しく素直に頷いた朔夜に満足げに手を振って羽黒はその場を後にした。




