Infi-08 選手交代
鼻も曲がる強烈な腐敗臭が地上に蔓延していた。
たった一体のアンデッドが存在するだけでそうなってしまったのだから、そいつがいかに他のゾンビとは一線を画するかわかるというものだろう。
悪臭の源泉たるドラウグルは竜胆が引き受けているが、あまりに臭いため逃げ回るのがやっとのようだ。ぶっちゃけウロボロスもあんなところで戦いたくはない。臭いが移って取れなくなって紘也に「くせぇ」とか言われた日には自滅――自分を食い尽くして消滅すること――も考えてしまうだろう。
だからなんとか頑張れ、ワンコ!
「……てか、ドラゴン・ゾンビの魔力が一向に消えねぇのはどういうことなんですかね?」
ウロボロスはドラゴン・ゾンビを投げ飛ばした方角を見やる。そこには憎き龍殺しとついでに馬鹿がいるはずなのだが、戦闘になっている気配すらしない。
ドラゴン・ゾンビもこちらに戻って来ない。あの龍殺しが腐竜を殺し切れずに逃げ回っているのか、腐竜が龍殺しにビビッて隠れているのか。
「なんでもいいですけど、さっさと殺っちまえねえとは使えない龍殺しですねぇ。せっかくこのウロボロスさんが出番を与えてやったってのに」
とはいえ、このままウロボロスもなにもしなかったら無能扱いは確定だ。本当は面倒だが、そろそろドラウグルを仕留めに下りる必要があるだろう。臭いが移ったら脱皮でもすればいい。
「まずは臭いごとぶっ飛ばしちまいますかね」
ウロボロスは掌を地上へと翳す。〝無限〟に等しい魔力を集約し、圧縮し、バスケットボールサイズの砲弾として撃ち放つ。
「――ムッ?」
「ちょ、あんのウロボロ――」
ちゅどぉおおおおおおおおおおおん!!
魔力弾に気づいた両者がなにかしらの反応を示したようだが、だからどうしたと言わんばかりの大爆発が周辺一帯を容赦なく吹き飛ばした。
「さあて、真打ち登場です。まさか今のでくたばっちゃいねえでしょうね?」
黄金色の翼を羽ばたかせてクレーターの中心に舞い降りてきたウロボロスがドヤ顔で指を差す。最初にガラガラと瓦礫を押しのけて起き上がってきたのは――
「殺す気か!?」
ワンコだった。
「生きてんじゃあねえですか?」
「生きてるけども!」
衝撃が直撃する前に建物の陰にでも身を隠していたのだろう、竜胆は汚れてこそいたが目立った外傷はなかった。
「……呪詛はもういいのか?」
「ええ、あんなもん五分前には抜け切ってますよ」
「だったらもっと早く……ああ、もういい。とにかく交代してくれるんだろ?」
文句を諦めた竜胆は、よくわからないがこういう状況に慣れているようだった。
「そのつもりですよ。ワンコは適当に他の応援にでも行ってください」
「ワンコじゃねえ!」
そこだけはしっかり否定する竜胆である。
「……ヨクモヤッテクレタナ」
と、遅れてドラウグルが生き埋め状態から這い上がってきた。その瞬間、思わず鼻を摘まみたくなる悪臭が立ち込め始める。
ウロボロスは空間に手を伸ばし――
「さて、始めますかね」
ガスマスクを取り出して装着した。
「ちょっと待て」
「なんですか? まだなにか? しゅこー」
ガスマスクをつけたまま振り返ると、竜胆が物凄く納得いかない顔をしていた。
「そんなもんがあるなら俺に貸してくれてもよかったんじゃ?」
「悪いですね、ワンコ。このガスマスクは一人用なんです」
「そりゃそうだろうけど!? あとワンコじゃねえ!?」
「無駄話してないで、さっさと消えた方がいいですよ? ほら、臭いは大丈夫ですか?」
「うっ……くそっ」
鼻を押さえ、若干涙目になった竜胆は堪らずその場を離脱した。まだ文句を言い足りなさそうだったが、これ以上この場で呼吸していると意識が飛んでいただろう。
ウロボロスは改めて臨戦態勢のドラウグルに向き直る。
「ワンコが仕留められる前に選手交代しましたが、構いませんね?」
「主ノ敵ハ全テ滅ボス。順番ガ変ワッタダケダ」
魔剣を構え、ドラウグルは突撃を開始する。
ウロボロスも黄金色の大剣を取り出し、迎え撃つ。
「生憎とこっちものんびりできねえんで、シュババビブシャン! って速攻で終わらせてやりますよ!」
***
大聖堂。祭壇の間。
それぞれの切り札級アンデッドが敵と衝突している間、アスク・ラピウスはただそれを傍観しているだけではなかった。
あの魔法士の青年から受けた助言を参考に、島全体を覆う大規模術式を誰にも気づかれないよう密かに編み込んでいた。
陣となるのは電線や地下に埋まっている水道管などのライフライン。そこに魔力を流し、繋ぎ、少しずつ大掛かりな魔法陣を形成していく。
「奴らは充分に足止めしてくれているようだが……」
この術式が発動すれば、生ある者だけを対象に即死させることができる。厄介なのは〝不死〟の特性を持つウロボロスくらいだが、そちらも後程対策術式を練り上げる予定だ。
そのはずだが――
「陣の形成が思うようにいかんな。この島全体を包む呪いが妨害しているようだが、奴らの中にこれほどの呪術を操れる者がいるというのか?」
だとすれば失策だろう。アスク・ラピウスは多少の妨害を受けているものの、アンデッドたちは基本的に術式を乱された程度で戦闘力が落ちることはない。寧ろ奴ら側の魔術師に大打撃を与えていることだろう。
こちらにとっては都合がいい。
「あー、それとドラゴン・ゾンビの契約リンクが少々おかしいな。まあ、今は捨て置いて構わんか」
消滅していないのなら放置で問題ない。この術式が完成するまでの時間稼ぎができれば重畳だ。
災厄。
最悪の黒。
身喰らう蛇。
魔法士の青年。
奴らが連れてきた物騒なガキ共も、追加で召喚された少年たちも、島の外を飛び回る鬱陶しいハエも、今から大聖堂へ駆けたところでもはや間に合うことはない。
「さあ、終わりにしよう」
「そうだな。終わらせよう」
誰もいないはずの大聖堂に、アスク・ラピウス以外の声が響き渡った。
瞬間――斬! と。
アスク・ラピウスの首から上が分離し、宙を舞った。
「な……に……?」
なにが起こったのかわからなかった。
敵は全て足止めしていたはずだ。なのに、どうして――
「貴様、何者だ?」
床を転がった頭が口を開き、そこに現れた男に誰何する。
「ただの暗殺者だ。それ以上は知らなくていいぜ」
朱銀の光を反射する刀を手にした男は、真っ直ぐにアスク・ラピウスの頭部へと歩みより――消えた。
いや、違う。
「フン!」
アスク・ラピウスの胴体が杖を振るう。アンデッドとしての力が術式を省略して〈死の炎〉を射出する。
避けようと飛び退る男が微かに見える。
「他人の意識を外させる技術。魔力も感じぬとなれば……なるほど、これは想定外だった」
噂に聞く〈ラッフェンの子狼〉は特殊技術を身に着けただけの『普通の人間』だったはずだ。いや、魔力ゼロの時点で『普通』とは呼べないが、だとしても尚更この島では呼吸もできないはずだ。
それを忍ばせてくるとは敵の策に一杯食わされた。最悪の黒やウロボロスすら陽動。呪術による術式妨害もこの男をより発見され難くするための布石だったのだ。おかげでまんまと首を刎ねられるところまで許してしまった。
体を動かし、首を拾って繋げる。
「相手がただのクソ魔術師なら今ので死んでるんだがな。オレが〈朱桜〉で操れるアンデッドの規格も超えてやがる。クク、やはり人外相手はやりにきぃなぁ!」
男は狂気的に笑うと、再びアスク・ラピウスの意識の外へと消えた。
「同じ手は通じんぞ」
アスク・ラピウスは杖の尻で床を小突く。即座に魔法陣が展開し、祭壇の間の床いっぱいに広がった。
制度の高い探知魔術だ。呪術の妨害もあるが、この程度の術式なら強引に組み上げることができる。
どこから攻めようが、アスク・ラピウスの意識から消えていようが、全方位探知からは逃れることはできない。
そう思っていたが、アスク・ラピウスはまだあの男を甘く見ていた。
ザクリ、と。
刃が人間だったなら心臓のある場所へと突き刺さった。
「おやおや、同じ手が通じちゃったなぁー?」
「貴様、なぜ探知に引っかからない?」
「クソ魔術師の術式に囚われるほど三流じゃねえんでな」
まさか、術式の網目だけを踏んで来たとでも言うのだろうか?
「そうか、ただの藪蚊ではなかったようだ」
杖の先端に魔法陣を展開する。
が――
「おっと」
男が刀を振るうと、展開していた魔法陣が真っ二つに断ち切られて消滅した。
「ほう、術式を物理的に破壊するか」
「そう鍛えられたんでね!」
なるほど、これは確かに真正の『魔術師殺し』だ。アスク・ラピウスがまだ生前の頃だったのなら全く歯が立たず、それどころか存在にすら気づけず消されていただろう。
だが、今のアスク・ラピウスはアンデッドだ。
何度斬られようとも、奴の刃で倒れることはない。たとえアレが妖刀や魔剣の類だったとしても同じだ。
「――燃え朽ちよ」
刹那、予備動作もなくアスク・ラピウスの周囲から闇の炎が全方位に放たれた。
術式が破壊されるのなら、幻獣のように術式を使わない攻撃を行えばいいだけの話。それは最初に奴がかわしたことで通用することが証明されている。
所詮、人間の魔術師を殺すことに特化した存在だ。
アンデッドであるアスク・ラピウスの敵ではない。
「チッ」
闇の炎をギリギリでかわした男は、最後の抵抗とばかりに無数のナイフを投げつけてきた。
この程度なら避けるまでもない。ナイフはアスク・ラピウスの体に刺さることなく、金属音を奏でるだけで虚しく床に散らばった。
男は……いない。
また奇襲してくる可能性も考えて身構えていたが、それもない。
「フン、逃げたか」
懸命な判断だろう。追う必要はない。この島にいる以上、アスク・ラピウスの大規模術式が完成した瞬間死ぬのだから。
そう、大規模術式が完成したのならば――
「……壊されているな」
いつの間にか床に無数の刀傷がついていた。それがアスク・ラピウスの大規模術式を絶妙に妨害している。これでは最初からやり直しだ。
「やはり、次現れたら確実に息の根を止めるか」
そう愚痴りながらアスク・ラピウスは術式の再構成をするため作業に取り掛かる。
ローブの襟に付着した、一本の髪の毛に気づかないまま――。




