表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sonora 【ソノラ】  作者: じゅん
アフェッツオーソ
98/320

98話

「代表的なワルツだ。どこかで聴いたことはあるだろう」


 タイトルは、と言いかけたが、ベアトリスはその役を晴れ晴れとした面持ちのセシルに譲る。


「『子犬のワルツ』、よ。ショパンのね」


 そう、それは自らもよく知る曲だった。オルゴールではわかりづらいが、軽快な旋律はショパンの友人であるデルフィナ・ポトツカ伯爵夫人の飼い犬が、自らの尻尾を追いかけ回る様子を表した変ニ長調。


「あたしの一番好きな曲で、一番練習した曲で、そして――」


「私が一番最初にあなたに弾いた曲、でしょう?」


 奪う形でセシルはベルを補足する。なぜかその部分は自分が言いたかったのだ。


「……うん。まるで魔法みたいだったの、今でも覚えてる」


 必死にならなくても、ふと目を閉じるだけでベルはその時のことを思い出せる。その衝撃はその後どんな名曲と言われるものを聴いたときも、どんな素晴らしい演奏を生で聴いた時も感じたことはない。とても特別な一曲なのだ。全ての始まりであり、ことあるごとに初心を思い出すためにベルはピアノで演奏をした。もはや自分は何度この子犬に助けられたのだろうか。


 子供の頃に体験する出来事。それは大人になってから体験するのとは異なる。後の人格の形成に多分に影響し、その頃に決まるといっても過言ではない。だがベルの場合、そんな時期に聴いたから、というだけではない。弾いてくれた人物が大いに影響していた。


「あの時もあまり軽快、とは言いづらいテンポだったわね。さすがにここまでではないけど」


 廻すだけとはいえ、ピアノと同じように演奏はできておらず、ちぐはぐになってはいた。それを露骨にセシル責めるが、その表情が嬉々としているため、破壊力は皆無と言っていい。


 シャルルの専売特許とも言える頬の膨らましをベルも生成し、余裕を見せつけるセシルを睨むが、その溜めた空気を「ふっ」と吐き出し、手作りのオルゴールをそっと抱いた。


「あの時は曲名も作曲者もわからなかったけど、今もあたしにとっては特別な曲。ずっと、これからも」


 まるで祈るようにも、感謝するようにも見えるベルの姿。その対象は誰なのかはわからないが、真心の込もったそれは、光の粒子の一粒一粒も支えるかのように輝きが増して見えた。


「……なんでか、あの人も私が初めて弾いた『古風なメヌエット』を好きになったの。そしてあなたは子犬。名は体を表す、ってこのことかしらね」


 その推測に混ぜられたセシルの感情は呆れ、というよりも納得の色が濃い。だとすると、自分の好きな曲はバダジェフスカの『乙女の祈り』。なんだか気恥ずかしくなった。


「わかんないよ……でも……」


 強く噛んだ下唇を緩め、ベルは続ける。


「ママが弾いたから、ママだからなんだと思うの。たぶん、心に響くって……そういうこと」


「……ベル」


 名前を呼びたくなった。髪に触れたいと思った。その香りを包み込みたい。そして……抱きしめたいと思ったその時には、すでに娘は腕の中にいた。そして小さく呟く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ