157話
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかしら。なぜコンクールで勝てないかを」
痺れを切らしたレティシアは、だいたいはわかったのでそろそろ結論が欲しい。なにせ、ベルのことについて今のところなにも説明がないのだ。足の爪先でトントンと急かしたくなるところ。
まぁ焦るな、とベアトリスはレティシアの突き上げに気づきつつも、あえて丁寧に説明を入れる。
「言っただろう、『理論上は』と。だが、普通はできない。不可能だ。高速で動かす指を小刻みに揺らして弾くなど、そんな余裕はない。そんなことをしていたら、次の鍵盤が間に合わない」
ヴァイオリンなどは弦楽器だが、ピアノは打楽器でもある。震わせる部分がない、というほうが正しいか。
そこでやっと点と点が繋がったレティシアは、納得、という笑み。
「なるほど。ベルはそれをさせたがる、ってわけね。それができない、ということがメンタル的な不安定と演奏に関係していると。しかし、なぜあの子はそれをしたがるのかしら? 家のピアノならできるとでも?」
「おそらくだが」
推測の域を出ないベアトリスの同意。続けて、そこから導き出される答え。
「表現力を完璧に出せるとしたら、あいつ自身のピアノしかない。むしろ、それ以外のピアノではあいつは全く輝けない」
技術よりも、筋力などの身体的な能力よりも、なによりも精神が大きく影響する事柄は多い。八割はメンタル、とまで言い切るメジャーリーガーもいるほど、様々な分野で大きな割合を占める。ピアノでもそれが当てはまる人物は見受けられる。
「ピアニストにとって、弾きやすいピアノは、技術が出せること以上に精神の安定を保つ。コンクールや音楽院などでは完璧に調律されたピアノが用意されるからな。あいつの鍵盤のビブラートの振れ幅は度を超している」
大きなコンクールであればあるほど、じっくりと調律師がそのホールにおいて、最適な状態のピアノを作り上げる。様々なメーカーのピアノがあり、それぞれに調律師がつく。それを多数のピアニストが弾く前提なので、誰かひとりのための調律はできない。
その観点から言えば、あえてグラつかせるなどもってのほかだ。ほぼ全てのピアニストはそんなことしない。グラつきが大きいと弾きづらさにも繋がる。ましてやコンクールという、一大イベントでそんなことが許されるピアニストなどいない。
声のトーンをさらに下げ、ベアトリスは口惜しそうに続けた。
「……一度あいつのいない時に、自宅で使用するピアノを見に行った。あいつの母親に頼まれてな。結果、鍵盤の振れ幅が○・○一ミリ単位で八八鍵全て整えてある。恐ろしいほどの調律の腕前だ。身震いがする」
それと同時に、これを弾きこなせるあいつ自身、自分の可能性に気づいていない。おそらく『なんとなく』の感覚でやっている。だからこそ、この練習方法は賭けでもある。どう転ぶのかは、誰にもわからない。




