30. 旅の連れ
コールの屋敷からタマモを連れ出した颯空は、とりあえず西地区の歓楽街に足を延ばした。
「さて、と。どこ行くかな。……なんか食いたいもんはあるか?」
「…………別にないのじゃ」
フードを目深に引っ張りながらタマモが小さい声で言う。今タマモが来ているのはグランが用意してくれたフード付きのパーカーだ。この街で亜人族が歩くのは少々目立ちすぎるという事で、気を利かしてくれた。尻尾は隠せても、頭にある狐耳は誤魔化しようがないので、颯空にとってはありがたかった。
「じゃあ、俺の行きつけの店にでも行くか」
「…………なぁ、サク。どうしてこんな事を」
「いいから行くぞ」
まるで聞く耳を持たない颯空にため息を吐きながら、タマモは黙ってその後についていく。
「……お? 常連様がおいでなすったな」
この街に来てからほぼ毎日通い続けている酒場ハウンドドッグ。その店主であるダンクが颯空を見てにやりと笑うと、すぐにおまけがいる事に気が付く。
「……おいおい。ここんとこ顔見せなかったのはガキをこしらえてたからか?」
「バカ言うな。歳考えろ」
「つーことはあれか? これか?」
ダンクが小指をたてながら、いつものようにカウンターに座った颯空の前にラム酒を置いた。
「サクよぉ……女の趣味は人それぞれだからあんまりとやかく言いたくはねぇが、超えちゃならねぇ一線ってもんがあんだろ?」
「下らねぇこと言ってないで、さっさとこいつに食わせるもん用意しろ」
自分の隣にちょこんっと座ったタマモを親指で指しながら颯空が言った。
「流石に嬢ちゃんには酒は勧めらんねぇな。フルーツジュースでいいか?」
「え……あ……な、なんでもいいのじゃ」
自分の目を見ながら問いかけてきたダンクに、タマモが若干狼狽えながら答える。その様子を颯空は静かに観察していた。やはり、金色の眼に不信感を抱いてはいないようだ。五十年前の常識は、今では希薄なっているという判断で間違いない。
「ほらよ。すぐにうめぇもん食わせてやっから、これ飲んで待っとけ」
タマモの飲み物を用意すると、ダンクはさっさと調理場に向かった。不思議そうにフルーツジュースを見ていたタマモは、恐る恐るグラスに手を伸ばし、一口だけ飲んでみる。はっとした表情を浮かべ、また一口。またしてもはっとした表情を浮かべると、今度は一気にグラスを傾けた。
「……いい飲みっぷりじゃねぇか」
頬杖をついて自分もグラスに口をつけながら、フルーツジュースの味に目を丸くしているタマモを見て、颯空が小さく笑う。
「お、美味しいのじゃ……こんなに美味しい飲み物は初めてじゃ……!!」
「店が汚くて店主も面倒くせぇ親父だが、味は保証するぜ」
「誰が面倒くせぇって?」
今さっき調理場に行ったばかりのダンクが、両手に皿を持って戻ってきた。
「おらよ。ペスカトーレだ。冷めねぇうちに食え」
自分の前に置かれた皿から美味しそうな匂いが立ち昇っている。口からよだれを垂らしながらタマモが颯空の方を見ると、颯空小さく頷いた。
フォークを手に取り、ドキドキしながらパスタを頬張る。その瞬間、フードの下にあるタマモの耳がピンッと立った。一瞬焦りを覚えた颯空だったが、がつがつと食べているタマモを親のような顔で見ているダンクには気づかれていなかったようで、ほっと胸をなでおろす。
「そういや凄かったみたいだな」
「あ? 凄かったって何がだよ?」
「魔物大暴走だよ。お前さんも冒険者なら招集がかかっただろ?」
ダンクの問いかけに颯空が無言でパスタを口へと運んだ。トマトソースに魚介のうまみがしっかりにじみ出ている。
「なんだ? さぼった組か? 魔物大暴走の対処はギルド依頼だから、下手すると降格もんだぞ?」
「関係ねぇな。面倒事にはかかわらねぇ主義だ」
「そういうのはもうちょい高ランクになってから言わねぇと格好がつかねぇぞ」
からかうような口調で言われ、颯空が顔をしかめた。
「……で? 何が凄かったんだよ?」
「今回はいつもの魔物大暴走とは違ったみたいでな、サガットギルド長直々に、街に防御壁を立てたのよ」
「そいつは知ってる」
「まぁ、それでもやる事はいつもと同じなんだがな。魔物が迫ってくる南地区に冒険者が集められ、機を見て開けられた門を通って一気に狩りつくす。今回もそれでいく予定だったんだが……」
タマモのグラスにフルーツジュースを注ぎながら、ダンクが意味ありげな笑みを浮かべる。
「門が空いたらびっくり仰天、そこにあったのは無数の魔物の死骸だったって話だ」
「…………」
無表情のままパスタを食べ続ける颯空に、タマモがちらりと視線を向けた。
「噂じゃどっかの頭のイカれた冒険者が一人でそれをやっちまったんだとよ。どっちが魔物かわからねぇよな?」
「……そうだな」
イカれてない、と否定したい気持ちをぐっと堪えて、颯空が静かに同意する。自分の浅はかさに頭が痛くなるようだった。あんな事をしでかせば、当然こんな話が街に広まるのは予想できたはずなのに。完全にタマモの事で頭がいっぱいだったので、その後の事など考えていなかった。
このまま話を続けているとボロが出そうだったので、颯空は早々に店を後にする。といっても、タマモが三回もおかわりをしたので、早々にというわけにはいかなかったが。
「ふぅ……めちゃくちゃ美味しかったのじゃ!」
どうやらタマモに気に入ってもらえたようだ。店のチョイスは間違っていなかったらしい。
続いて足を運んだのは南地区の弁財天通り。所狭しと並んでいる出店を、タマモは目をキラキラさせながら眺めていた。今の彼女に、屋敷を出たばかりのおどおどした様子はない。
「ぬ!? なにかいい匂いがするのう!!」
「ん? ……あぁ、ヌガーか。食ってみるか?」
「のじゃ!」
あれだけ食べてまだ入るのか、と若干呆れつつも、ヌガーを一切れ買ってタマモに与える。
「ふぉぉ!? な、なんじゃこれは!? とっても甘いのじゃ!!」
「まぁ、ヌガーだからな」
「美味しい!!」
甘いお菓子にご満悦だったタマモの動きがピタリと止まった。
「どうした?」
「…………」
颯空が顔を向けると、タマモがヌガーに食いついたまま硬直していた。どうやらヌガーがくっついたらしい。ため息を吐きながらとってやると、タマモが怯えた目でヌガーを見る。
「ま、まさかこんな罠が仕掛けてあったとは……美味しいのに恐ろしいのじゃ」
「がっつき過ぎなんだよ、お前は」
慎重にヌガーを食べるようになったタマモを連れて、颯空は万屋コーランへとやってきた。
「いらしゃい……ひぃっ!!」
愛想よく話しかけてきた店員、もとい店長のエドガーが、颯空の顔を見て小さな悲鳴を上げる。それを見た颯空が悪魔のような笑みを浮かべた。
「おいおい、ここの従業員は客の顔を見て悲鳴を上げんのか?」
「め、滅相もございません! ようこそいらっしゃいました、サク様!!」
流石はコールの店の店長を任される男。すぐに飛び切りの営業スマイルを顔に張り付ける。
「おや? 今日は珍しくお連れ様もいらっしゃるのですね」
颯空の横にいるタマモに気が付いたエドガーがさりげなくそちらに視線を向けた。
「あぁ。今日はこいつに店のものを見せようと思ってな。買い物する気はねぇよ」
「そ、そうですか……!!」
エドガーが明らかにほっとした表情を見せる。本来であれば冷やかしの客など迷惑でしかないのだが、颯空だけは別だ。買い叩かれて店に損失を出すくらいなら、何も買わない方がありがたい。
「……まぁ、今日は買わねぇけど、たぶん必要なもんがたらふく出てくると思うから、そん時はよろしくな」
「あ……はい……」
地獄の買い物が先延ばしになっただけという事実を知ったエドガーがガクッと肩を落とした。
この店はタマモにとって宝物庫のようであった。全てが見た事もない不思議なもの。火をつけるだけの安価な魔道具でさえ、タマモにとっては未知との遭遇であった。
タマモの気の済むまで付き合った結果、店を出たのは日が陰り始めた頃だった。
「……そろそろいい頃合いか」
空の具合を確かめた颯空がぼそりと呟くと、不意にタマモを抱き上げる。
「のじゃ!?」
「しっかりつかまってろよ」
そう言うと同時に、颯空はその場で跳躍し、建物の壁を蹴って上へと昇って行った。そのまま屋根伝いに、移動していく。
「サ、サ、サク!? な、な、なにを……!?」
「舌嚙むぞ。黙っとけ」
腕の中であたふたしているタマモにそれだけ言うと、颯空は目的地に向かって一直線に跳んだ。
タマモを抱きかかえてやって来たのはこの街で最も高い位置にある鐘楼だった。
「ふぅ……なんとか間に合ったみたいだな」
ゆっくりとタマモを下ろす。颯空の意図がまるで分らないタマモが困惑した顔で颯空を見た。
「うちをこんな所に連れてきたのはなぜじゃ?」
「……ほら、見てみろよ」
タマモの問いには答えず、颯空は彼女の頭を手を置き、その視線を動かす。
「あっ……」
思わず声が漏れた。
赤く染まる空。
沈みゆく夕日。
その光を一身に受け、宝石のように光り輝く街。
日の沈む様など、幾度となく目にしたというのに。
昨日も一人で眺めたというのに。
どうして、こんなにも美しいのだろうか。
どうして、こんなにも心揺さぶられるのだろうか。
「正直、あの山で見る夕日の方が絵になるんだけどな。こういうのは新鮮さが大事だろ? いくら奇麗な景色でも、見飽きたものじゃ感動できねぇしな」
颯空の言葉に、タマモは何の反応も示さなかった。だが、颯空は気にせず、この街を包み込む夕日へと目を向ける。
「……奇麗だよな。何の変哲もない夕日がだぞ? 言っちまえば曇ってなきゃ毎日だって拝める代物だ。でも、思わず魅入っちまう」
「…………」
「そういうのが、さ。この世界にはまだまだたくさんあるはずなんだよ。それを見てみたいんだよなぁ……なんたって、俺はこの世界の人間じゃねぇからよ」
「……へ?」
それまで食い入るように夕日を見つめていたタマモが、勢いよく振り返った。
「どこぞのお城に他の世界から呼び出されてよ。だから、正直魔族とか亜人族とかどうでもいいんだわ。……おまけに神様から与えられた俺のギフトは、どういうわけか呪われててな」
「なっ!?」
「つまり、偉そうに『自分は呪われた子だ』とか言ってたけど、それはお前の専売特許じゃねぇって話だ。ざまぁみやがれ」
ニカッと笑う颯空の顔を呆けた顔でタマモが見つめる。なんという突飛な話だろうか。呪われたギフト? 異世界から呼び出された? 騙すにしても、もっとましな嘘があるだろう。
だが、なぜかタマモは全てが信じられた。
「……そうか。サクは違う世界の人間なのか。どうりで他の者とは違う匂いがするわけじゃな」
「どんな匂いがするのか知らねぇが、そういう事だ」
それまで一心に颯空を見ていたタマモが視線を夕日へと戻す。
「……この世界には他にもこんな奇麗な景色があるのか。それは確かに、見てみたいというサクの気持ちもわかるのう」
遠い目をしながらタマモが言った。この夕日と同じように、心が洗われるような光景を見る事ができれば、どれほどいいか。いや、それだけではない。今日経験したように、食べた事のない料理に舌鼓を打ち、見た事のないものに心を躍らせる事が出来たら、どれほど素晴らしい事か。
だが、そんな事ができない事は百も承知だった。一人で生きていく事すら難しいちっぽけな狐人種の少女には過ぎた夢だ。
「やはりうちは……」
「俺の知り合いに」
少し強い口調で、颯空がタマモの言葉を遮る。
「この世界を旅しようって奴がいるんだ。そいつはガキ一人助けるために魔物が蔓延る山に一人で突貫するような酔狂な奴でよ……旅の連れにアホ面な狐っ子が一人くらいいてもいいか、って思ってるんだ」
「え……?」
驚いた顔でタマモが颯空を見た。颯空は顔を向けることなく、夕日を見たままスッとタマモに手を差し伸べる。
「……一緒に来るか? タマモ?」
「っ!?」
夕日が二人を照らす。夜よりも暗いコートを身にまとっている男が、太陽のように輝いているようにタマモの目には映った。零れる涙もいとわず、その体に飛びつく。
「ぐすっ。サ、サクはすぐに無理をするからのう。仕方がない……う、うちがしっかり面倒を見てやるのじゃ!!」
「はっ……口先だけは一丁前だな、お前は」
その小さく暖かな体を、颯空は優しく抱きしめた。




