2. ブラックウルフ
颯空が『恵みの森』を抜けたのは、シフと分かれてから三日後のことだった。万が一城の連中と鉢合わせる可能性を考慮して、目指したのは入ってきた側とは真逆の出口だ。獣道とも呼べない鬱蒼と植物が生い茂る藪の中を、かき分けながら進んだ結果、ようやく舗装された道に出たまではよかったが、そこでちょっとしたトラブルに見舞われていた。
シフと過ごした三ヶ月、当然戦闘訓練をメインに行ってきてはいたが、それと同じくらいに颯空は生きる術を学んだ。それは魔物の血抜きから素材の採取、料理の仕方から裁縫まで多岐に渡る。今、颯空が着ている黒いロングコートも、シフに教わりながら自分で作ったものだった。通気性と撥水性が高く、体温調整に優れているブラックウルフの毛皮を素材としているため、大抵の環境においてこれ一つで生活することができる優れモノだ。だが、その優秀な服が今、この状況を引き起こした音言っても過言ではない。
「……なんだお前ら? お礼参りでもしにきたのか?」
自分を取り囲むブラックウルフの群れを見ながら、颯空は小さく息を吐いた。夜の闇に溶け込むような体毛をしているこの狼の魔物は、颯空達がいた森の最奥部でポピュラーだった。危険度で言えば中級程度だろう。そのランク帯にしては、かなり知能の高い魔物だ。颯空が自分達の仲間からはぎ取った素材を身に着ける怨敵である事を理解するくらいには賢かった。
「もう何着もお前らでコートは作ってるんだ、これ以上素材は必要ない。大人しく森へ帰るんなら見逃してやってもいいぜ?」
言葉が通じる相手なのか定かではないが、とりあえず颯空が話しかけてみる。敵意丸出しの唸り声を聞く限り、どうやら交渉は決裂したようだ。
「そうか……ならしょうがねぇな。来い、干将莫邪」
颯空の呼び出しに応じ、亀裂模様の雄剣と水波模様の雌剣が颯空の手の中に現れる。それを向けながら、颯空は悠然とブラックウルフ達を見据えた。
「俺の前に立ちはだかった奴は容赦なく排除する……悪いな」
その言葉と共に、颯空はブラックウルフの群れに飛び込んでいった。
*
「くっ……まさかここまで来て魔物に襲われるとは……!!」
今にも襲い掛かってきそうな黒い狼達を前に、スコットは思わず悪態をついた。
「どうするよ、グラン。こいつは結構まずいぞ」
スコットは銀のエストックを構えながら、隣でレイピアを携える燕尾服を着た老紳士に尋ねる。
「私も多少は武術の心得はありますが……この数のブラックウルフとなると……」
額から冷や汗をかきながらグランは言葉を切った。
ブラックウルフ。冒険者ギルドが設定した危険度ではランクCとされる魔獣。個々の戦闘能力はランクD程度の実力なのだが、奴らの恐ろしいところは集団戦闘に長けている事である。監視役、斥候役、囮役など、シチュエーションに合わせた役割分担を行い、確実に獲物を仕留める。一匹見つけたら十匹はいると思え、それが冒険者の中では有名な格言だった。
「そうは言ってもよぉ、執事のあんたはともかく、護衛の俺が尻尾巻いて逃げ出すわけにはいかねーべよ。まぁ狼の十匹くらいこのスコット様がかるーく料理してやりますか」
強気の発言をするスコットではあるが、その表情には一切の余裕が感じられない。ブラックウルフ達の動向に注視を向けながら、ちらりと背後にある馬車へ視線をやった。
「依頼主だけでも無事に街に届けたいところではあるが……」
「こうも囲まれてしまっては、この魔物達を殲滅以外に道はありませんね」
不可能に近い事など分かっている。だが、それしか選択肢がないのであればやらざるを得ない。
「デルッ!!」
覚悟を決めたスコットが怒声を上げると、御者の男がひょっこり顔を出した。
「兄貴! 手伝いますか?」
「お前がいなくなったら俺達が馬車を引いていかなきゃならなくなる! だから、お前は自分の身を守れ! ついでに護衛対象と可愛いメイドさんもな!」
「了解っす!!」
デルと呼ばれた小柄な男は腰から短剣を抜くと、御者台から馬車の中へと入っていく。それを確認したスコットがエストックを持つ手に力を込めた。
「しゃあ、こっちも行くとするか!」
「背中はお守りします!」
ブラックウルフ達目がけて走り出したスコットの後ろにグランが付く。こちらに向かって突進してくる二匹のブラックウルフに向けてスコットは剣を振り下ろした。斬られたのは一匹だけで、もう一匹は横へとかわし、そのまま飛び掛かってくる。
「甘い!!」
その動きを読んでいたグランの突きがブラックウルフに命中した。悲痛な鳴き声を上げながら、ブラックウルフがレイピアから逃げていく。
「やるなぁ! 執事にしておくのはもったいない! 休みの日に俺達と組んで冒険者やらないか?」
「次、来ますよ!!」
軽口を叩くスコットにグランが鋭い口調で言った。だが、スコットもプロの冒険者。口では暢気なことを言いつつも、全神経はブラックウルフに集中している。ブラックウルフの嚙みつきをさらりと躱し、逆に自分のエストックをお見舞いした。
「Cランク冒険者の俺がブラックウルフなんぞに後れを取る事なんてねぇ!! ……と、言いたいところではあるが」
「……数が多すぎますね」
四方八方から襲い掛かってくるブラックウルフに死に物狂いで対応しながらグランが言った。これこそがブラックウルフの恐ろしいところだ。数は力。それを身をもって教えてくれる。
「このままでは……!!」
徐々に追いつめられていくこの状況に、グランは焦りを隠すことができなかった。スコットも懸命に剣を振ってはいるが、倒したのは数匹程度。ブラックウルフ達も学習し、連携を駆使して襲い掛かってくるようになっていた。
「ぐぁぁぁ!!」
一瞬のスキを突き、ブラックウルフがスコットの右腕に噛みつく。
「スコットさん!!」
「この野郎!! は、離れやがれ!!」
スコットが殴りつけるもブラックウルフはしっかりとその腕に喰らいついていた。慌てて援護に入ろうとするも、他のブラックウルフ達がその行く手を塞いでくる。
「く、くそが……利き腕を……!!」
既に鎧は貫通し、ブラックウルフの牙の間からはかなりの血が流れ出ていた。腕の感覚が徐々になくなっていく。
なんとかスコットの元までたどり着いたグランが、スコットに噛みついているブラックウルフの脳天目がけて力任せにレイピアをお見舞いする。なんとかスコットはブラックウルフの牙から逃れる事は出来たものの、その反動でグランのレイピアはぽきりと折れてしまった。
「大丈夫ですか!?」
折れたレイピアを投げ捨て、腕を押さえて膝をつくスコットに駆け寄る。出血量を見ても明らかに重症だ。この腕では剣を握る事などできない。
「……どうやら年貢の納め時ってやつか?」
じりじりとにじり寄ってくるブラックウルフ達を見ながら、スコットが冷や汗塗れの顔で笑った。頼みの剣は握れない。相棒の剣は折れている。まさに万事休すといったところか。冒険者である以上、どこで命を落とそうが文句は言えない。ただ、一つ心残りなのは護衛の依頼で、依頼主を守ることができなかった事だ。
今にも襲い掛かってきそうなブラックウルフの群れを見ながら、スコットはそんな事を考えていた。
「――"闇牙"」
何の前触れもなく飛来する無数の黒い斬撃。突如として現れたその死神の鎌は、一寸の狂いもなくブラックウルフ達の首をはねていく。
突然起こった事に全く理解の及ばないスコットとグラン。さっきまでは自分達を嬲り殺すだけの存在が、目の前でなすすべなく地に付していく様を呆然と見ている事しかできなかった。ある種の虐殺を目の当たりにし、呆然自失となっていた二人の前に黒い影がひらりと舞い降りる。
「あ? ……なんだよ、人間か」
二本の美しい刀を手に持つ男は、まったく理解の追い付いていない二人を見て、心底つまらなさそうにそう呟いたのであった。




