28. 偽りの自分
城にある王国騎士の訓練場。そこでただ一人、剣を振り続ける少女を北村穂乃果は静かに見守っていた。上段に構えた木剣を振り下ろすだけの動き。そこには一切の迷いがない。いや、迷いをかき消すためだけに、一心不乱で振っているようにも見えた。ガイアスの話を聞いてから数時間、一言も発さずに藤ヶ谷澪は手にした剣を振り続けている。
穂乃果自身、何も手につかない状態だった。御子柴颯空の死、その事実がどれだけ彼女を悲しませたのか。それは穂乃果の赤く腫れあがった瞼が如実に示している。
だが、澪はそんな穂乃果とは全く逆の反応を見せた。不自然なほどに無言を貫き、その表情からは完全に感情をシャットアウト。隣で泣き続ける穂乃果にすら声をかけずに、話が終わるとそのままどこかへ消えてしまった。
落ち着きを取り戻した穂乃果が城内を探しまわったところ、訓練場にいるのを見つけ、それから今に至るまで、流れる汗もいとわず剣を振り続けている。声をかけることも憚られる様子に、穂乃果は黙ってみていることしかできなかった。
「澪……」
無意識に親友の名前を呟く。落ち込むどころか涙すら見せない澪の姿に、穂乃果は心を痛めていた。
「まったく……強がっているのが見え見えだよね」
不意に聞こえた声に驚いた穂乃果が振り返ると、少しだけ寂しそうな顔で澪を見ている氷室凪が立っていた。
「氷室君……?」
「やぁ、北村さん。藤ヶ谷さんはずっとあそこで剣を振っているのかい?」
「え? あぁ、うん。ガイアスさんから話を聞いてからずっとここにいるよ」
クラスメートの一人が命を落としたというのに、普段と変わらぬ様子で話しかけてくる凪に、穂乃果は思わず面食らった。
「話を聞いてから……という事は、三時間以上も剣を振っているわけだ。北村さんも大変だね」
「へ?」
「だって、そんな長い間彼女に付き合ってるわけしょ?」
「そんな……別に大変じゃないよ。私が好きでここにいるだけだから」
ニコニコと笑顔を向けてくる凪に穂乃果は困ったような表情を浮かべる。学校でもほとんど接したことない凪から話しかけられた穂乃果は、何を考えているのかいまいちよくわからない男と、どのように接したらいいかわからなかった。
「氷室君はどうしてここに?」
会話が途切れるのがいたたまれなかった穂乃果はとりあえず疑問に思ったことを凪に聞いてみた。
「んー……悪役がいなくなってお姫様が落ち込んでるんじゃないか気になってね」
「悪役?」
言っている意味が分からず首をかしげる穂乃果に、凪は何も言わずに微笑みかける。すると、訓練場に置かれている木箱から木剣を取り出し、つかつかと澪の方へ歩いて行った。
「藤ヶ谷さん」
名前を呼ばれた澪がピタリと動きを止める。振り返ったその顔は、まるで能面のようだった。
「暇だから稽古つけてくれない?」
それを見てもまったく笑顔を崩さない凪を、澪は無言で見つめる。
「軽く打ち合うだけでいいからさ。だめかな?」
「……いいわよ」
抑揚のない声でそう言うと、澪はそのまま正眼の構えをとった。そんな澪とは対照的に、凪は特に構える事をせずに、澪が向かってくるのを待つ。
空気が張り詰める。全神経を集中させて凪を見据えていた澪がカッと目を開くと、一直線に凪へと向かっていった。
「中々の太刀筋だね。'聖騎士'は伊達じゃないってことかな?」
鋭く振り下ろされた一撃を、凪は難なく受け流す。彼の言う通り、澪の持つ'聖騎士'のギフトは聖魔法と剣技に秀でたものであった。そのため、彼女の剣の腕はもはや騎士団の連中すら凌駕している。その剣を容易くいなしてしまう凪の剣さばきはそれだけ常軌を逸していた。
「……'剣聖'のあなたに褒められるとは光栄だわ」
言葉とは裏腹にまったく嬉しそうではない澪が猛然と凪に襲い掛かる。
ぶつかり合う剣と剣。その回数は既に百を超えていた。二人の間に言葉はなく、無言で打ち合い続けている。
涼しい顔で剣を振るう凪に対し、澪は鬼気迫る勢いであった。そんな二人の様子を固唾をのんで見守っていた穂乃果だったが、心に余裕がまるでない親友を見て不安な気持を抑えることができない。
「……随分と必死だね。まるで何かから逃げているみたいだ」
それまで澪の様子を観察していた凪が唐突に話しかける。その声量は穂乃果には聞こえないほどのものであったが、澪にははっきりと聞き取ることができた。
「……なんですって?」
いままで何かに取りつかれた様に剣を振っていた澪が初めて距離をとる。凪は澪を追うこともなく、その場で軽く肩をすくめた。
「そんなに怖い顔しなくてもいいじゃないか。そう見えたってだけの話さ」
「……別に私は逃げてなんかないわ」
何かを抑えつけるような声で澪が答える。そして、再び凪に向かって剣を繰り出した。
「……むきになってるところを見る限り、図星だったってことだね」
「べ、別にむきになんかなって……!!」
「ほら、剣筋が乱れているよ? それだけ心も乱れてるって証拠だね」
攻め立てていたと思っていたのに、いつの間にやら澪の方が防戦一方になっていた。
「無我夢中で剣を振って何か変わった? 何かに没頭すれば嫌な現実を忘れられると思った? 残念ながらそう都合よくはいかないよね。人間はもっと複雑だ」
「くっ……!!」
凪の猛攻を何とかしのぎながら、澪が唇を噛みしめる。彼女にとって凪の言葉は今振るわれている木剣以上の切れ味だった。全て見透かされている。十年以上前からの付き合いだ、この男に隠し事などできるわけもない。
「……凪は何とも思わないのっ!?」
感情を爆発させ一気に攻めに転じながら澪が叫んだ。
「颯空が死んじゃったんだよっ!? 子供の頃から一緒にいたあの颯空がっ!! そんなの……そんなの受け止められるわけがないじゃないっ!!」
「…………」
凪の顔からいつの間にか笑みが消えている。ただ、まっすぐに澪の目を見ながら、その剣を受け止めていた。
「私は颯空に言ったのよ!? 『恵みの森』に行かないで欲しいって!! 颯空に戦う力がないのは凪も知ってるでしょ!?」
「……あぁ、知ってるよ。剣も碌に振れないってね」
「そうよ!! だから、私は止めたのに……!! あの時、私がもっと真剣に颯空を止めていれば……!! あんな事には……!!」
後悔の念が雪崩のように襲い掛かり、澪が苦痛に表情を歪める。そんな彼女の剣に、凪が力強く自分の剣をぶつけた。
「仮に澪が泣き叫んで止めようとしても、あいつは『恵みの森』に来てたよ。戦う力がないなら無理にでも力をつけようとする……そういう奴さ。澪もよく知ってるでしょ?」
「…………」
「だから、澪が自分を責める必要はない」
鍔迫り合いの形になりながら、真剣な表情で凪に言われ、澪がはっとした表情を浮かべる。颯空を失った悲しみだけではない。失った原因が自分にもあると感じて、その重荷に耐えられず剣を振っていた。それを察して、凪は声をかけてきたのだろう。涙が込み上げてくる。
「……昔から困った奴だよ、あいつは」
少しだけ遠い目をしながら凪が言った。
「ぶっきらぼうで、大事なことは何も言わないで、後先考えずに行動する……振り回されるこっちの身にもなって欲しいよ」
「本当……そうだよね」
剣を交えているというのに、澪は朗らかに笑う。笑いながら涙を流していた。
「……やっと昔の顔を見せてくれたね」
「え?」
「‘あの日‘からずっと眉間にしわ寄せて怖い顔してたからさ」
「あっ……」
あの日……親友を一人失った日から自分は変わろうとした。傷ついたもう一人の親友を支えるために。だが、実際どうなのだろうか。ただただ空回りしていただけな気がする。
「またよくない顔に戻ってるよ」
「うぅ……」
凪がむっとした表情で澪の頬を指でぐりぐりと押した。
「そんなに思い詰めないの。せっかく新しい世界に来たんだ、もっと楽しく生きようよ。自由に振舞ってさ」
「……ふふっ、颯空にも同じこと言われた」
「あいつが?」
「うん。もっと自分勝手に生きろ、って」
「へぇ……」
凪が意外そうな表情を見せる。昔の颯空であれば別に不思議にも思わなかったが、今の颯空からそんな言葉出るとは思っていなかった。
「なんだかんだ二人は似た者同士だもんね」
「……一緒にされるとは心外だよ」
僅かに顔をしかめた凪に澪が笑いかける。彼女の表情を見て、これ以上の助けは必要ないと判断した。
「……やっぱり澪は笑っている顔が一番素敵だね」
「ふぇ!? い、いきなり何よ!?」
「だから、もうこれ以上自分を偽らないの。あんな仏頂面してたら、せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
「はわわわわ……!!」
それだけ言うと、顔を真っ赤にしている澪を置いて凪はスタスタと歩き始めた。そして、少し離れたところで二人のやり取りをじっと見ていた穂乃果のそばで足を止める。
「親友を借りちゃってごめんね」
「ちょっと妬けちゃったな?」
穂乃果が茶目っ気を交えながら答えつつ、真面目な顔で凪を見た。
「ありがとうございました」
「ん? 何かお礼を言われるようなことをしたかな?」
「氷室君がいなきゃ、あの子は押しつぶされてた。氷室君のおかげであの子は立ち直れたんだよ」
「……ははっ。あんまり自覚はないけど、どういたしまして、と言っておこうかな」
いつものように軽い口調で凪が答える。そのまま歩き出そうとした凪だったが、少しの間立ち止まり、穂乃果に向き直った。
「……藤ヶ谷さんの事、支えてあげてね」
凪は穂乃果に向かって微笑むと、再び歩みを進める。離れていく凪の背中にぺこりと頭を下げると、穂乃果は澪のもとに駆け足で近づいていく。
城に入る直前、凪は振り返り、寄り添う穂乃果に涙を見せる澪に目を向けた。その光景をじっと見ながら小さい声で呟く。
「澪を泣かせるなんて……今度は一発殴るだけじゃすまないな」
その視線はしっかりと『恵みの森』に向けられていた。




