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19. 飯島美奈

 飯島美奈は苛立っていた。新しいクラス分けを昇降口で見たときは天にも昇る思いだったのに、その気持ちは今地に落ちている。


「なんであの女なんかと……!!」


 ぎりりと奥歯を噛みしめた。ホームルームが終わると、自分の思い人である御子柴颯空が当然のようにあの地味な白雪彩萌と教室を出て行った。まるで恋人同士のように。

 噂では聞いていた。彩萌が颯空達と仲を深めていることを。ただここまで仲良くなっているとは思っていなかった。その現実を目の当たりにした美奈は、苛立つ気持ちを抑えられないでいた。


「せっかく御子柴と同じクラスになれたのに……!!」


 無意識のうちに親指の爪を噛む。新学期初日という事で他のクラスメートはそそくさと帰ってしまったため、今教室には美奈一人しかいない。


「あっ……」


 そんな誰もいないはずの教室で声がした。面倒くさそうに美奈が顔を向けると、そこに立つ人物を見て大きく目も開く。今まさに恨みを募らせていた相手、彩萌が自分を何とも言えない表情で見ていた。


「……何しに来たのよ?」


 とげとげしい様子を隠すこともせずに美奈は問いかける。


「え、えーっと……忘れ物を取りに来ました……」


 彩萌は弱弱しく言うと、自分の席に足早に向かって机の中から荷物を取り出した。その行動すら腹が立つ。


「……ちょっと待ちなさいよ」


 美奈が呼び止めると、彩萌は肩をビクッと震わせた。


「ご、ごめんなさい。颯空君を待たせていますので」


 ……颯空君? 今この女はそう言ったのか? 自分も名字でしか呼べないというのに。

 怒りが憎しみへと変貌していく。美奈は彩萌に薄ら笑いを浮かべた。


「へぇ……ずいぶんと仲がいいのね」

「…………」

「なに? あいつの彼女にでもなったの?」

「い、いえ。そういうわけじゃ……」


 怯えた目で自分を見ながら彩萌が答える。その反応が美奈の嗜虐心を刺激した。


「そうよね。あんたみたいなど地味な女が御子柴と付き合えるわけないよね。仲良くしてるのも小鳥遊のおこぼれなんでしょ? 友達を利用するなんて本当に汚い女」

「…………」

「言い返さないところを見ると、あたしの言う通りなのね。最低よ、あんた。人間の屑ね」


 彩萌の表情が苦しげなモノへと変わっていく。なんて気持ちがいいのだろうか。心臓が幸福で高鳴っているのを感じる。美奈は席を立つと少しずつ彩萌に近づいた。


「自分が分不相応の相手と仲良くしてることがわからない? あんたみたいなのは一生一人でいるのがお似合いなんだよ」

「わ、私も…」

「あ? なによ?」

「……私も不釣り合いなのは自覚してます」

「そうなの?」


 手が触れそうなほどに二人の距離が縮まっている。


「……それでも一緒にいると楽しいですし、みんなも楽しそうにしてるから」


 美奈は顔を歪めると、彩萌の髪を容赦なく掴み、自分の顔の前に引き寄せた。


「痛っ……!!」

「夢見てんじゃないわよ。あんたにはあんたの場所があるの。気づかない? あいつらに気を遣われてるのが」

「っ!? そ、そんなことは……!!」

「あんたが一緒にいることで、あいつらの評価が下がってるのよ」

「…………」


 美奈の言葉に彩萌が言葉を失う。そんな彼女に、美奈が憐れみを色濃く滲ませた目を向けた。


「可哀そうな白雪……自分の立場もわからずに、分不相応な相手と仲いい気になっているなんて。いえ、可哀そうなのはあんたと一緒にいる御子柴達の方ね」

「そ、そんな……!!」


 否定したいのに、彩萌は言葉を続けることができない。なぜなら、それは彩萌の心の隅にいつも存在していた不安だったからだ。そんな彩萌に、美奈はいやらしい笑みを向ける。


「そんな可哀そうなあんたに、優しいあたしが救いの手をさしのべてあげるわ」

「……え?」

「あたしがずっと側にいてあげる……登校する時も、お昼を食べる時も、帰る時も。ずっと、ずっとずっと一緒にいてあげる」

「な、なにを……!!」

「そうすればあいつらに迷惑もかからないし、あんたも寂しい思いをせずに済むでしょ?」


 嘘で塗り固められている慈愛に満ちた笑み。その笑みに恐怖を感じた彩萌は何も言うことができない。


「じゃあ明日からそうしましょう……もちろん、断ったりしないわよね?」


 無機質な声でそう告げると、彩萌は青白い顔で小さく頷いた。そして、そのまま逃げるように廊下を走っていく。美奈はそんな彩萌の様子を満足そうに眺めていた。



 それからは彩萌にとって地獄と等しい、美奈にとっては鬱憤をはらすだけの日々を過ごしていった。

 登下校時には美奈から罵詈雑言を受け、昼になれば当然のように弁当を地面に捨てられ、帰り道は奴隷の如く扱われた。日に日にひどくなる美奈の仕打ちに、彩萌はただただ黙って耐えることを選んだ。それでも、その手が緩むことはない。いくら彩萌を虐げても、乾ききった美奈の心が潤う事はなかった。


 そんな日々を過ごしていたらいつの間にか二ヶ月がたった。今日は彩萌の靴箱に牛乳をぶちまけてやった。この惨状を目にした時の彩萌の顔を想像すると笑いが込み上げてくる。下駄箱の陰に隠れて歓喜の瞬間を心待ちにしていると、予想をはるかに上回る結果が待っていた。

 なんと、そのみじめな姿をあの御子柴颯空に見られたのだ。これ以上の喜劇はあるだろうか。もはや笑いを抑える事ができない。


「……お前の仕業か? 飯島」


 心臓が高鳴った。颯空が目の前に立っている。そして、自分から話しかけてきた。心臓の鼓動が早くなるのを隠すように、美奈が慌てて視線をそらす。

 そこからの会話はあまり覚えていない。颯空と話ができる事が幸せすぎて、内容まで頭が回らなかった。風船の海に飛び込んだようなふわふわした気持ち。夢見心地とはまさにこういう事を言うのだろう。

 だが、夢とは須らく覚めるものだ。そして、幸せな夢であるほど、その落差に人は絶望する。


「お前の事は嫌いだ。吐き気がするほどにな」


 何を言われたのかすぐには理解できなかった。ただ一つ言えることは、すべての風船は無残にも破裂し、自分は無限地獄へ落ちたという事だけだ。視界が黒く染まる。息が苦しい。誰か助けて。


「つ、付き合ってらんないわっ!!」


 零れ落ちそうになる涙を必死に堪え、美奈はこの場から逃走する。颯空に背を向けた瞬間、涙があふれ出た。水の中にいるように視界がぼやけている。だが、少しでも颯空のもとから離れたかった美奈は、やみくもに廊下を歩いていく。


「美奈さん! 待ってください!」


 その声を聞いた瞬間、絶望は一瞬で憎しみへと変わった。美奈は足を止めると、涙でぐしゃぐしゃの顔で追いかけてきた彩萌を睨みつける。その顔を見た彩萌がはっと息をのんだ。


「……何の用よ?」

「あ、あの……その……さ、颯空君も本気で言ったわけじゃ……!!」

「その名前を呼ぶなぁぁぁぁぁぁ!!」


 廊下に美奈の絶叫が響き渡る。


「あんたが! あんたみたいのが!! 隣にいる事が許されて、なんであたしが許されないの!? ねぇ、なんで!? なんでなのよ!?」

「美奈さん……」


 その言葉で彩萌は全てを察した。悲しげな表情を浮かべる彩萌を見て、美奈の憎しみは更に加速していく。


「そんな顔すんじゃねぇぇぇぇぇ!! あたしを憐れむなぁぁぁぁ!!」

「…………」

「許さない……!! あんたもあいつも……!! 後悔させてやる……あたしを見ようともしなかったあの男を地獄に叩き落してやるわっ!!」


 血が出る勢いでそう言い放った美奈の顔は狂気に満ちていた。自分に背を向け去っていく美奈の背中を、彩萌は途方に暮れながら見送ることしかできなかった。


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