少しづつ
誤字報告、感想、ブックマークやいいねなど、本当にありがとうございます!!
特に誤字が多かったのに丁寧に教えてくださった方、とても助かりました…!!
「イクル、もう少しでしょうか」
「はい、もう少しです」
すっかり体調も良くなって仕事もできるようになったキャロンはイクルと共に、陽が暮れた窓の外を見ながら少しだけソワソワしていた。
もう少しでエルフリートが帰ってくる時間になる。
先日の話し合いで、エルフリートは誤解をしていたことを謝ってくれた。
キャロンとしては謝られるようなことは一つもされていないと思っていたからそれについてはあまり実感はないが、臭いにおいがしないと言われたことはとても嬉しい事だった。
確かに臭いと言われることは仕方がないのだと受け入れてはいたけれど、やっぱり臭くないと言ってもらえた事実はキャロンの心を軽くした。
エルフリートを避けるために神経を尖らせなくてもよくなったし、廊下で彼に会えば少しづつ話をするようにもなった。
そればかりか、今朝は勇気を出してエルフリートの見送りまでできた。
嫌われていたのにいきなり挨拶をし出すなんてと白い目で見られたらどうしようとキャロンは一瞬思ったが、それは杞憂に終わった。
気を付けてくださいと言えば、エルフリートは少し笑って返してくれた。
以前は気づかれないように窓の向こうで無事を祈るだけだったけれど、今回は返事までしてもらえたのだ。
それはキャロンにとって、ものすごく感慨深い事だった。
だからキャロンは、今日エルフリートが帰ってきた時も挨拶をしようと思っているのだ。
ソワソワと時計と窓の外に視線を行ったり来たりさせていると、向こうの方で玄関の大きな扉が開く音がした。
エルフリートが帰ってきたようだ。
キャロンはイクルと共に玄関脇の荷物置き場にスタンバイしていたので、音を聞いてすくっと立ち上がり、小走りに玄関へと向かった。
しかしすでに使用人が何人かエルフリートを出迎えていたので、キャロンとイクルはその横に慌てて並んで頭を下げた。
「お、お帰りなさいませ、エルフリート様」
「おかえりなさいませ」
「ただいま。二人とも出迎えまでありがとう。だがそんなに深く頭を下げることはないのに」
エルフリートは笑ったような困ったような、絶妙な表情をしながらキャロンの前までやって来た。
「それと、これを食べるか?」
「え?」
エルフリートは持っていた荷物の中から綺麗な箱を取り出し、驚くキャロンに手渡した。
手渡されたそれにはしっとりとした重量があるが、これをキャロンにくれるのだろうか。
「あの、私が受け取ってしまって良いのですか?」
「ああ。君にあげようと思って買って来た」
「えっ、ほ、本当に私が受け取っていいのですか?」
リボンで包装がされている箱はいかにも高級そうで、不釣り合いな贈り物にキャロンの手は思わず汗ばんでしまう。
「なんだか……申し訳ありません」
「いや、申し訳なさそうにしてもらいたかったわけじゃないんだ。その中身は菓子なんだが、君は菓子が好きだとボルト爺に聞いたから」
「あ、えっと……わざわざありがとうございます」
「ああ。食べたら感想を教えてくれると嬉しい」
「それは、はい。勿論です!」
それから貰った獣人の国の高級な菓子を食べ終わったキャロンは、数日後に感想をしっかりとエルフリートに報告した。
人間の国のものとは違って少し硬めだと思ったけれど、甘くて美味しかったと伝えれば、エルフリートは菓子を買ってきてはキャロンにくれるようになった。
最初は一週間に一回くらいだったのに、段々と一日おきになって、それから最終的に何故か花まで買って来てくれるようになった。
「君は花は好きか?」
「あ、はい。でもこんな花束、どうして……」
「帰りにたまたま見かけたんだ」
小さくても上品で可愛らしい花束には、季節の花がふんだんにあしらわれている。
お菓子もそうだったが、誰かから花を貰う事も無かったキャロンは再び目を白黒させていた。
「私、こんな素晴らしいものを貰ったことなんてなくて」
「もし気に入ったのならまた買ってくる」
「えっ。いえいえいえ!気を遣わないでください!こんな綺麗な花、私には使い道も分かりませんし……」
「飾っておけばいいと思うが。あとはまあ、絵を描く時の参考にでもしてはどうだ」
「そ……そうですかね。じゃあそうさせていただきます。ありがとうございます」
確かに綺麗な花は嬉しいけれど、キャロンには動揺する気持ちも大きかった。
エルフリートは何の為にお菓子や花をキャロンにくれるのだろう。
誤解をしていたことへのお詫びという事なのだろうか。
だけどキャロンは元々何かされたと思っていたわけでは無いし、もう十分すぎる程お詫びのお菓子は受け取っている。
食べきれないから、使用人の皆で休憩時間に頂いているくらいだ。
エルフリートが元々優しい人なのは知っていたが、最近はキャロンなんかに気を遣いすぎなのではないだろうか。
イクルと共に部屋に帰ったキャロンは、厨房から瓶を借りてきて貰った花を水に差した。
人間の国ではあまり見ないような良い匂いがする花ばかりで、一目で高級なのだろうということが分かる。
キャロンが暫くその見慣れない花を見つめていると、クイクイと服の裾を引っ張るものがあった。
「イクル、どうしたのですか?」
服を引っ張っていたのはキャロンの足元のイクルで、彼はキャロンの顔をじっと見つめている。
「キャロンはお花、あまり嬉しくなかったのですか?」
花を見て考え事をしていたのが顔にも出てしまっていたらしい。
キャロンは小さく苦笑いをした。
「いえ、お花が嬉しくないという訳ではないんです。でもちょっとびっくりしてしまって。それにお菓子もお花もいただいて、エルフリート様に物凄く気を遣わせてしまっている気がして」
そのままキャロンは、イクルを抱き上げてそっと頭を撫でた。
キャロンのような人間を養ってくれているだけで有難いというのに、こんなに気を遣われては申し訳ないと思ってしまう。
「エルフリートさんからお花をもらっても嬉しくなかったということですか?」
「うーん。なんというか、エルフリート様が気を遣って疲れてしまうのではないかと思ったのです」
「それは違うと思います」
「え?」
キャロンが問い返しながらベッドに腰かけると、膝の上に座る形になったイクルはゴシゴシと両手で獣耳を擦ってから、理由を説明しだした。
「エルフリートさんの尻尾は揺れていたので、疲れていないと思います」
「え……そうでしたか?そんなことなかったと思いますけれど」
獣人の尻尾は意識して律するのが難しく、反射的に感情が現れてしまいやすい部位であるということはキャロンも知っている。
だが、あのエルフリートの尻尾が揺れた瞬間などあっただろうか。
いや、キャロンの目で見ていた限り、そんな瞬間はなかったように思う。
キャロンは首をひねったが、イクルは断言していた。
「少し動くだけでしたが、多分キャロンがいってらっしゃいとお帰りを言ってくれるので嬉しいのだと思います」
「ええ?……それはないですよ、イクル。エルフリート様はそんなことで喜んだりはしないと思いますよ」
「なんでですか?僕はキャロンがいってらっしゃいとお帰りを言ってくれるのなら嬉しいです。だからエルフリート様もそうなんだと思います」
「うーん。そもそも尻尾が動いていたのも、風で動いただけかもしれませんよ。ほらエルフリート様の尻尾はフワフワですから」
「僕が見ていた時、風はなかったです」
「じゃあほら、虫がとまっていたのかも」
「虫はいませんでした」
イクルにも意見を変える気配がないので、キャロンは再び唸った。
イクルは適当なことを言う子ではないけれど、こればっかりはにわかには信じられない。
エルフリートはキャロンの事を臭くないとは言ったが、事実はただそれだけで、別にキャロンに好感を持っているわけでは無いと思う。
ポプリに世話を焼いてもらって幾らかましな見た目になったとはいえ、キャロンはエルフリートに釣り合うような女の子ではないし、地味で女性らしい華やかさも令嬢らしい上品さもない。
(だから、こんな私に挨拶をされても嬉しいわけではないと思いますけど……)
……
「エルフリート様、今日は俺を先に帰してわざわざ街に行ったかと思ったら、今度は花を買って来たんですか」
ノックもほどほどにしてエルフリートの書斎に入ってきたグリシスは手際よくお茶の準備を始めながら、ハアと溜息をついた。
エルフリートは部屋の中の肘掛椅子に掛けていて、読みかけだった本から顔を上げた。
「なんだグリシス。いきなり溜息とは」
「いえ、最近のエルフリート様はキャロンさんに色々贈りすぎなのではと思いまして」
「そうか?グリシスも欲しいのか?」
「まあ欲しいですけど……って、そういう話ではなくて」
実は先日使用人分の菓子も買って来たので、グリシスに渡すものも用意があるにはある。
そんなに欲しいのなら今ここで渡してやるか、とエルフリートは引き出しを探って包みを取り出した。
グリシスは甘いものが苦手だから、中身は塩味のクリームサンドだ。
グリシスは茶を注ぐ手を止めて、いそいそと近付いてきて「大事に食べます」といって菓子を受け取ったが、まだ質問の答えを貰えなくて表情は不服そうなままだった。
「エルフリート様は、キャロンさんがやってないと言ったことを鵜呑みにすると決めたようですが、それは百歩譲って俺が警戒しているのでいいとします。でも、あんなに沢山贈り物をするのは止めた方がいいですよ」
「別に私は申し訳なさから彼女に気を使っているわけでは無いぞ」
「気を使っている?……ハア。違いますよ」
グリシスは淹れたてのお茶の入ったティーカップをエルフリートの文机に置き、再びわざとらしい溜息をついた。
「気を使っているとは一言も言っていませんよ。むしろエルフリート様が彼女の気を引いているようにしか見えません、と言っているんです」
「えっ」
グリシスの言葉に、ティーカップを持ち上げたエルフリートは思わず声を上げ、普段悠々としている筈の大きな尻尾は一瞬ピキッと固まった。
「えっじゃないですよ。あんなの傍から見たらそうとしか思えませんよ」
「い、いや。気を引くとか、そんなつもりは。ただ彼女は恩人だから……」
「それだけが理由ですか?その割にはキャロンさんにお礼言われるとき、尻尾揺れてましたけど」
「いや、そんなはずはない。見間違いだろう」
「いってらっしゃいって言われた時も、お帰りなさいって言われた時も揺れてましたよ」
「いや、そんなはずは」
「それから帰宅時、玄関の扉を開ける前に軍服整えたり埃払ったりもしてますよね。それってキャロンさんが出迎えてくれるからじゃないですか?どうせ無意識なんでしょうけど、以前のエルフリート様は特にそんなことはしなかったですよ」
「そ……」
……そんなはずはない、筈だ。
確かに彼女は派手ではないが綺麗だし、控えめに笑う顔も可愛いし、絵も上手だし、なにより優しさと強い心を持っている。
確かにキャロンとは話せば話す程、真面目で善良な人間なのだと分かって好感が持てる。
だがエルフリートは、今更キャロンの気を引こうだなんて、そんなことは思っていない。
キャロンは優しいから今までのエルフリートの非礼を許してくれたが、だからといってエルフリートは過去を全部水に流して、ふてぶてしく彼女の気を引こうなんてつもりは全くないのだ。
彼女の事は丁寧に扱う。慎重にもてなす。エルフリートにそれ以外の感情はない筈だ。
今回の件は、ただ彼女が甘いものが好きで喜んでくれるからお菓子を贈って、でも菓子ばかりで面白くない男だと思われるかもしれないから、綺麗な花も贈ってみただけなのだ。
服を整えて屋敷に帰るのだって、汚いより少しでも清潔な方がいいだろうと思っただけで、それ以上でもそれ以下でもない。
……筈である。




