疑問と答え
翌朝。
耳にぼんやりと、何やら楽しそうに話す声が聞こえてくる。
陽気な女の子の声と、抑揚が抑えめの子供の声。
声の主の二人は、何やら二人で会話に花を咲かせているようだ。
楽しそうだなと思って聞いていると、光がぼんやりと目に感じられた。
「ううん……」
意図せず自然と声が漏れる。
キャロンは窓から入って来た朝陽に起こされるようにして目を開けた。
「キャロンが起きました!おはようございます、キャロン」
「あっ新人さん、起きたんですねっ。ポプリたち、うるさくし過ぎちゃいましたかね?体調はどうですかっ?!」
大きな尻尾がフサフサ揺れる音と、元気な声がすぐそこで聞こえた。
声のした方に顔を向ければ、枕元のイクルと使用人仲間の一人のポプリがキャロンの顔を覗き込んできた。
「イクル、ポプリさん……まだ朝、ですよね……?」
「そうですよっ!でもまだ辛いのなら寝ていていいんですよ?」
「……ありがとうございます。きっともう大丈夫です。頭痛も大分収まりました」
「そうですか?本当ですか?ポプリたち使用人は、一昨日の晩に砦から帰ってきたエルフリート様が新人さんを抱いてて、しかも新人さんは気絶してるし血痕は付いてるし汚れてくさいしでびっくりしたんですよ!エルフリート様とイクルちゃんから大体の事は聞いて、今は事情は分かりましたけども!」
ポプリは言いながら当時の驚きを思い出したのか、興奮した顔でキャロンに迫ってきた。
どうやら一昨日、散々な状態で砦から帰ってきたキャロンの汚れを落として綺麗にしてくれたのはポプリのようだった。
キャロンは砦の件が終わってから一度目覚めた以外はずっと眠っていたので、こうしてポプリの顔を見たのは随分と久々な気もする。
「し、か、も!!新人さんが人間で奥方様だったなんて初めて知りました!ほんっとうに驚きましたよっ」
「そのことについては……ごめんなさい……」
言う機会がなかったとはいえ、大切なことを伝えていなかったキャロンはしょぼんと頭を下げた。
もし人間だから友達を辞めると言われたらどうしようかと心配になったキャロンだったが、それは杞憂だった。
「まあポプリは新人さんの種族が何だろうと友達だからいいですけどっ。でもポプリ、奥方様はデブでブスで引き籠りだってずっと思ってましたから腰を抜かしましたよっ!」
言いながらポプリは両手を伸ばし、キャロンの頬をふわっと包んだ。
「でもポプリたち、実は嬉しいんですよね。だって新人さんみたいな方が奥方様なんですから。ポプリたちと一緒にご飯食べたり掃除したりしてくれて、不思議な手品で助けてくれて、可愛くて優しいんですもん」
「ポプリさん……」
ポプリが心底嬉しそうに微笑んだので、キャロンの心もふわっと温かくなった。
だが平和な空気が流れたのも束の間、キャロンの頬を包んでいたポプリの両手がぎゅっとキャロンの顔を挟んだ。
「でもポプリ、奥方様がこんなに可愛くていい子だって分かった今、エルフリート様がずっと新人さんを避けていたことが不思議でならないんですよね。こんなお嫁さん貰ったら、ポプリなら一瞬で大好きになるのに、エルフリート様は新人さんの何が不満なんですかね!?」
「あの、ポプリさ……それには……訳が……」
キャロンがくさいから、特に鼻の利くエルフリートには嫌われてもしょうがないのだと説明しようとしたが、なかなか上手く喋れない。
ふくれっ面になったポプリに頬をむぎゅむぎゅと挟まれているので、口が思うように開かないのだ。
「一応エルフリート様には昨日の夜、ポプリが使用人を代表して新人さんの可愛さと優しさと働きっぷりを散々プレゼンしておきましたけどっ!」
「ひょひゅりさん……(ポプリさん)」
「新人さんは肌も綺麗になって髪も健康になって、本当に可愛くなったのに!」
「ありゅがとうごじゃいましゅ……(ありがとうございます)」
「それでもエルフリート様の態度が変わらなかったら、今度ポプリが一肌脱いで飛び切り可愛い新人さんをエルフリート様に見せてあげなきゃいけませんかねっ?!まあポプリは新人さんにお化粧するの好きだからいいですけどっ」
言いたいことを言い切って、ポプリはようやくキャロンの頬の拘束も解いてくれた。
傍で静かにしていたイクルが、キャロンの手を労わるように小さく擦ってくれている。
やっと自由になってキャロンがホッと一息ついていると、ポプリが何かを思い出してポンと手を打った。
「……そういえば新人さんが寝ている間に新人さんにお客さんが来ましたよっ」
「お客さん、ですか?」
「はい、そうです。すらっとしたかっこいい顔の男の人で、これまた嗅いだことの無い不思議な種族の匂いがしました。尻尾もあったんですけど街で見る事は決してないような感じの尻尾で……。どこかで見たことあるような尻尾だったんですけど」
「ふむ。私を訪ねてきてくれるような方に覚えは無いのですけれど、ご用件は何だったのでしょう」
「それはポプリにも分からないです。エルフリート様が対応してて、なんだか丁重な感じでお帰り頂いたようでした」
「そうでしたか……」
首をかしげながら考えてみるが、やっぱり良く分からない。
キャロンには見舞いに来てくれるような知り合いの宛はない。しかも男の人だなんて、益々誰か分からない。
獣人の国で出会ったのはエルフリートとその従者、それから屋敷の皆とイクルくらいだ。
キャロンに会いたいという人は愚か、キャロンの存在を知っているような人はそれ以外に誰もいないはずだ。
(人違い……とかでしょうか?)
コンコン。
答えが出ていないまま、キャロンの思考は部屋の扉を叩く音に遮られた。
キャロンが慌てて返事をすると、扉の向こうからエルフリートの声が聞こえた。
エルフリートは砦の戦いの療養期間として数日の休みを貰っているらしく、いつもなら砦に向かっているはずの朝の時間も屋敷にいるのだ。
少しだけ緊張したキャロンの横で、ポプリが立ち上がる。
「じゃあポプリ、今はもう行きますけどまた来ますねっ!エルフリート様には新人さんとじっくり話して良さを知ってもらわなくっちゃですから!」とキャロンに耳打ちしてから、扉を開けたエルフリートと入れ違いに部屋を出て行った。
「起きていたのか」
静かに部屋に入ってきたエルフリートの手には、昨日と同じように水の入ったたらいが収まっていた。
「体調はどうだろうか?」
たらいをテーブルに置いたエルフリートは自然な動作で椅子を引き、キャロンのベッドの横で腰掛ける。
キャロンはさりげなくブランケットを引っ張って全身を覆い、エルフリートからおずおずと距離を取った。
「あ、あの、体調ですが、おかげさまで頭痛はすっかりなくなりました。頂いた薬もとても良く効いたようです」
「そうか良かった。だがあの薬、苦くはなかったか?」
「は、はい。確かに少し苦かったです」
「すまなかったな。効きが良くて飲みやすい薬と言うものが無くてな」
「そ、そんな、謝るようなことではないです!良薬口に苦しと言いますし、お薬を戴けただけでとても有り難いです!」
キャロンが慌てて首を振ると、エルフリートが安心したように小さく眉を動かした。
エルフリートはキャロンに対していつも冷ややかな表情だったので、ささやかな表情の変化でも新鮮に見える。
盗むようにその珍しい顔を見ていると、エルフリートとバチッと目が合った。
「そうだ……腹は減っているだろうか。今度こそ果物でも用意してこようか」
「あ、えっと、それなら自分でとりに……」
確かにもう長い間何も食べていなくてキャロンのおなかは減っているけれど、流石にエルフリートに食べ物を取りに行かせるのは気が引ける。
「いや、私がとって来よう。君はまだ病み上がりだ」
キャロンはベッドから体を起こしたが、それよりも遥かに早くエルフリートはすっと立ち上がって、さっさと部屋を出て行ってしまった。
エルフリートに取りに行かせてしまったことも恐れ多いし、エルフリートがまた戻ってくると思うとやっぱり緊張する。
昨晩はずっと寝ていたから、お風呂にも入っていない。絶対にくさいに違いない。
キャロンは隣にいたイクルに「イクル、あの、私臭くありませんか?」とコッソリと聞いてみた。
イクルはキャロンの腕に尻尾を巻きつけて「くさいですか?キャロンがですか?キャロンはいい匂いです」と言ってくれた。
だけどやっぱりエルフリート本人を目の前にするとイクルの言葉を信じたくても、また臭い思いをさせたらどうしようと不安になってしまう。
皮がむかれた果物を持って帰ってきたエルフリートはベッド脇の椅子の上に戻り、ベッドに背を凭れて座ったキャロンに果物の皿を手渡してくれた。
キャロンはエルフリートから不自然でないギリギリの距離を取って、腕を伸ばして果物の皿を受け取った。
臭いにおいがどうか届きませんようにと祈りながら、礼を言う。
「あ、ありがとうございます。厨房まで取りに行かせてしまってごめんなさい」
「いや、全く大したことではない。私は厨房の料理人に用意してくれるよう頼んだだけだから」
「それでもありがとうございます。では、い、戴きます」
小さく手を合わせ、キャロンは皿に盛られた果物を見つめる。
見たことがない不思議な水色をしているが、半透明で瑞々しくておいしそうだった。
くうとキャロンのお腹が鳴った。
たまらず果物をぷるんとフォークに刺して、口の中に入れる。
「ん!」
ぶわっと豊かな香りと甘味が口の中に広がった。
そしてそれだけでなく、見た目通りに果汁が多くてちゅるんちゅるんと不思議な食感。
数日何も食べなかった体に沁みるような果物だ。
(乾いた体に行き渡るような果物……おいしいです……!)
キャロンは獣人の国の果物の中ではモモスが一番好きだったけれど、この得体の知れない果物もかなり好みだ。
一口飲みこんで空腹が更に増したような感覚に襲われ、キャロンは夢中で食べ進めた。
パクパクパク。
ちゅるんちゅるんちゅるん。
おいしいおいしい。
皿の上の果物はあっという間になくなり、キャロンのお腹を優しく満たしてくれた。
無心で食べ終わったキャロンがご馳走様と呟くと、エルフリートがほんの少しだけ表情を緩めた気配がした。
「気に入っただろうか」
「はい、とても美味しかったです!」
「君はとても美味しそうに食べていたし、本当にそうだったんだろうな」
「はい、本当においしかったです」
「よかった。……ああそれと、ハンカチを使うか?頬に少しだが果汁が付いている。その果汁は水色でよく目立つんだ」
白く清潔なハンカチを差し出すエルフリートに指摘され、キャロンは慌てて口を覆った。
もう既に汚いと認識されているキャロンだが、ますます下品で意地汚い奴と思われることになったらどうしよう。
「す、すみません、見苦しいところを見せてしまいました!」
エルフリートのハンカチを汚すことになっても忍びないので、キャロンは服の裾を引っ張ってごしごしと口周りを拭いた。
服の裾で口周りを拭くこと自体も品が無いと言えばそうなのだが、気が動転していたこの時のキャロンはそこまで頭が回らなかった。
「と、取れたでしょうか」
「いや、果汁が付いているのは君の右頬なんだ。果物をフォークに刺した時に飛んだんだろう。これを使ってくれ」
ハンカチを差し出したままの姿勢だったエルフリートが、少しだけ前に乗り出してきた。
そして何時まで経ってもハンカチを受け取ろうとしないキャロンの手に、ハンカチを握らせてくれた。
しかしその時に少しだけエルフリートの指が手に触れて、キャロンの肩がビクリと震えてしまった。
キャロン自身も過剰な反応だったとは自覚しているが、男性にこうやって近づかれたことなど人生で数えるくらいしかないし、ましてや相手がこんなに綺麗な男性で、嫌われているならともかく何故か今だけは優し気な手つきだったのだから、免疫ゼロのキャロンにとっては仕方のない事だった。
(び、びっくりしました……。でもそんなに私に近づいては、絶対にくさかったですよね……)
まだ緊張したまま、ぎこちなくハンカチで頬に着いた果汁を拭う。
果汁を拭い終わってからもなんとなくエルフリートの方を見ることは出来なくて、横にちょこんと座っていたイクルを思わず抱き寄せてしまった。
(ま、まあ今のはただの事故ですから。エルフリート様に嫌われている臭い私が変に緊張するのも、それはそれで失礼と言うものですよね)
されるがままにキャロンの腕の中に納まったイクルの狐耳をしばらく見ていたら、少しづつ落ち着いてきた。
(そうですね、もう落ち着けたので大丈夫です……)
しかし本当に落ち着いたのも束の間。
キャロンはまたしても驚きで肩を震わせることになってしまった。
真剣な顔をしたエルフリートが何か決めたように口を開き、「以前少し話をしたいと言ってあったと思うが」と前置きした上で、キャロンに質問を投げかけたのだ。
その質問がキャロンの予期せぬ、全く突拍子もないものだった。
「単刀直入に聞くとまず、君は男性を誑かすのが好きで、結婚式の日の朝まで遊び歩いていたと思うが、改めて聞きたい。それは本当なのだろうか」




