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意地悪な姉に代わって結婚したら「くさい。酷い匂いがする」なんて言われてしまいましたが、今日も元気に生きています!  作者: 木の実山ユクラ


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防衛戦③





「何故君が……こんなところに」


流石のエルフリートも驚き過ぎて、動揺が隠せなかった。


灰や砂がついて汚いし、水を滴らせて物凄く臭い下水のにおいを放っているが、その女性は確かに斥候に探して避難させるように命じていたキャロンだった。


エルフリートはこれ以上の動揺を見せることの無いように気をつけながら、キャロンに問いかけた。


「何故君が兵たちに紛れているんだ」


「爆発が来るから逃げろって声が聞こえたので、皆さんが逃げる方向に向かったらここに辿り着いたのです……」


「なるほど……いや、そもそも何故この砦に入ってきている」


「あの、道に迷ってしまって……」


「道に迷った?」


さすがに意味が分からない。

どう道に迷ったら、こんな戦禍真っただ中の砦に来れるのだろうか。

エルフリートは再び質問を重ねてしまいそうになったが、それはぐっとこらえ、傍にいた兵士に声をかけた。


「彼女を避難場所まで護衛して送り届けてくれるか」


しかし兵士が返事をする前に、キャロンが再び声を上げた。


「少し待ってください!そのことなのですが、私、役に立てるかもしれません」


「この状況でか?意味が分からないな」


エルフリートは今度は本気で眉根を寄せた。


この戦場で彼女が役に立てるだって?

先ほどまで兵たちの中に紛れてエルフリートたちの話を聞いていたのだから、いくらキャロンでも状況の把握くらいは出来ているだろう。

力の強い獣人でもってしても事態は絶望的だというのに、この人間に何ができるというのだろう。

彼女は恐怖で気でも触れたのだろうか。


しかしキャロンの瞳を見てみれば、それはとても真っすぐにエルフリートを射抜いてきた。

初めて顔を合わせた時の後ろめたそうな顔でもなく、結婚式の時の嫌そうな顔でもない。

何故か強い希望の宿った瞳だった。

悲し気に覚悟した目をした兵士ばかりの中で、それは少しばかり異色だった。


だがそれが何なのかなど、エルフリートが気にかけている余裕などもうない。

今すぐにでもあの化け物が体勢を立て直して、攻撃を最後の西塔に放ってくるかもしれないのだ。


「すまないが、これ以上訳を聞いている余裕もない。君は早急に避難してくれ」


エルフリートはキャロンの腕を取って立たせて、素早く隣にいた兵士に引き渡した。


「時間がない。早急に彼女の護送を頼む」


エルフリートに頼まれた兵士は頷いてキャロンの腕を軽く引いた。

だがキャロンは踏ん張って動かず、まだエルフリートに何か訴えかけてくる。


「私は、あの化け物が攻撃後に約二〇秒くらい動かなくなることを数えていました!だから……!」


「だから何だと言うんだ。まさかその攻撃後の隙をついてはどうかと言うつもりか?残念ながらそれでは遅い。最後の砦が焼かれては終わりなんだ。私たちは援護が来るまで決してこの砦を落としてはならない」


エルフリートはこれ以上の問答は時間の無駄だと判断し、くるりと踵を返した。

グリシスをあとに残し、傍に控えていた兵士にもキャロンを即刻連れて全速力で砦から離れるように再び言い含めて、最上階へ向かうために階段を上がっていく。




「待ってください!エルフリート様!待ってください!」


閉めた扉の向こうで、必死なキャロンの声が大きく聞こえた。

返事をする気はないが、エルフリートは階段を駆け足で登りながら小さく振り返った。


(あんな大きな声も出せたのか)


エルフリートは、最後までキャロンの事をよく知ろうとはしてこなかった。

男好きとか姉を虐める酷い性格だとか、そういう事しか知らなかった。信頼関係は何一つ築けなかった。

だが何の因果か、最期の時に顔を見る事になった。

もちろん、彼女との間に良い思い出など無い。

キャロンは結婚式当日の嫌なにおいに始まり、最後まで下水のくさいにおいを纏っていた。獣人の中でも特に鼻の利くエルフリートとキャロンの結婚は本当に酷いものだった。

だけど、それでも最後に彼女の顔を見られてよかったとエルフリートは何となく思った。

夫となったエルフリートは直ぐに死ぬことになるだろうが、まあ彼女の事だからまた色々な男性と仲良く楽しくやっていくだろう。


(嫌っていた私が死んで自由になれるだろうし、彼女は喜ぶだろうな)


それについては、特に憎いとも悔しいとも思わなかった。


今のエルフリートはただ、砦を守る者として課された役割を全うするのみだ。

何も考えず全力で、死んでも全うする。




そして西塔の最上階に到着したエルフリートは、三つ首の化け物と上位魔族のゲシュタルと相対した。


「エルフリートちゃん何のつもり?あ、もしかして僕ちゃんじゃなくて化け物の方だったら自分でも倒せるって思って出てきちゃった?んー、悪くない考察!この子は試作品だからその可能性はあるかもね。でもエルフリートちゃんがとどめを刺す前に、きっとこの子がドカーンってこの塔ごと焼き払っちゃうから、エルフリートちゃんは結局何もできずに死んじゃうと思うよ。悔しいよね、あはあはあは!」


ゲシュタルは相変わらず下品に笑っている。


「じゃあ、僕ちゃんはエルフリートちゃんが無残に散っていくところを高みの見物としようかな。美形が無意味に死ぬところって僕ちゃん大好き!あはあはあは!」


塔を破壊するべく攻撃の準備を始めた三つ首の化け物を残して、ゲシュタルはエルフリートの手の届かないところまで舞い上がった。


エルフリートはもうゲシュタルには目もくれず三つ首の化け物だけを見て、長年の相棒を務めてくれていた槍を構える。


そして助走をつけて走り出す。

もう既に浮遊しながら攻撃態勢に入っている化け物に飛び移る為だ。


化け物は照準を合わせているのか、攻撃態勢をとったあとは大きく動くことはしない。

塔の最上階からでも距離のある場所に浮いているが、エルフリートなら跳んで届かない距離ではない。

飛び移り、刺し違える覚悟で化け物を倒す。



しかしエルフリートが助走を走り切り、踏み切ろうとしたその瞬間。


「!!」


目の前にいきなり人影が飛び出して来た。

突如として現れた障害物にエルフリートは一瞬足をとられ、助走を失敗させて脇に飛び退いた。


するとその障害物はすかさずエルフリートに飛び掛かって来て、全身でエルフリートにしがみ付いた。


「死んだりしては駄目です!!」


障害物は大声をあげる。


見れば、エルフリートにしがみ付いているその障害物はキャロンだった。

兵士にキャロンはしっかりと避難させるようにと念を押したのに、なぜ彼女はここにいる。


「くさくてごめんなさい!引っ付いてしまってごめんなさい!でもあなたがいなくなったらみんなが悲しみます!!私もあなたに死んでほしくありません!!」


彼女が兵士の制止を振り切ってここまで来れたことも疑問だが、何故キャロンはこんなに必死なのか。


先に不義理を働いたのがキャロンとはいえ、エルフリートはキャロンにこれっぽっちも優しくなんてしてやれなかったのに、キャロンはなぜそこまで必死にエルフリートを引き留めるのか。

最低な夫など勝手に死なせて自分は安全なところにいいものを。



「ああ、もう意味が分からない!頼むから早く避難をしてくれ!」


しかしエルフリートがキャロンの背中を押しても、キャロンは頑なに首を振って動かなかった。

そればかりか、床に膨大な量の紙を敷き詰め始めた。

キャロンのエプロンのポケットから次から次へと出てくるそれには、何やら絵が描き込んである。


「私が!この残った砦と皆さんを守ります。エルフリート様、あなたもです」


「いや、意味が……」


「塔が守られるなら、あなたは攻撃前のあの化け物に突っ込んでいったりしないのですよね?ならば、私が必ずあの化け物の攻撃を耐えてみせます。だからエルフリート様は攻撃後の隙をついてあの化け物をやっつけてください!」


「は……?」


「私があの化け物の攻撃からこの塔を守りますから!」


エルフリートは思わず首を傾げた。

キャロンが真剣な顔で言った言葉の意味が良く分からない。


彼女が?

守る?

この西塔を、ここにいる全員を守る?

非力な彼女が、何をどうやって。

どういう理屈であの業火からエルフリートたちを守ってくれるというのだろう。


無理だ。

彼女の事など何一つも知らないが、これだけは分かる。

獣人でさえ右往左往しているような有様なのだから、彼女のようなただの人間の女性ではあの業火を食い止めることなど不可能だ。


しかしキャロンはやけに静かな声ではっきりと言った。


「私、今ならできます。私はずっと何の取り柄も何もなかったけれど、この国に来てから色々なことが出来るようになりました。あなたや屋敷のみんな、色々な方に優しくしてもらったおかげです。だからこの砦を守ります。あなたを守ります。皆さんがボロボロになって頑張っているんだから、私も絶対にやり切ってみせます」


無理だ。

キャロンに向かってそう言ってやりたかったが、そんな時間さえ残されていないことをエルフリートは悟った。


三つ首の化け物が攻撃準備に使う二〇秒。

それはキャロンの妨害により、もう残り五秒も残っていない。

いくらエルフリートでも、残り五秒であの化け物の攻撃を封じることは出来そうになかった。




化け物が攻撃準備を始めてから一七秒。

一八、一九、二〇。


「きっと、守ってみせます」


化け物が放った業火の迫りくる音にかき消される前に、キャロンはそう呟いた。

それは確信にも似た響きだった。

その横顔は何故かとても美しく見えたが、すでに全てを諦めていたエルフリートは、次の瞬間にはそっと瞼を閉じていた。


この砦は魔族に奪取される。

エルフリートは守り切れなかった。

歴代の砦の指揮官は皆その責務を全うしてきたというのに、エルフリートは彼らのようにはなれなかった。

不甲斐ない。


轟音を上げて迫りくる業火の攻撃が放たれたと同時に、エルフリートの体は勝手にキャロンを庇っていた。

エルフリートが全てを諦めながらも目の前にいる者を庇ってしまったのは助けられると思ったからではなく、ただの長年軍人としてやってきた反射のようなものだった。




……




キャロンは二度目の爆発を見て、イクルの手を引いて逃げ隠れしながら、高くそびえる結界や攻撃を断絶する障壁の絵を描き続けていた。


魔族に対する知識はほとんどなかったが、黒い煙の間に一瞬だけ見えた三つ首の化け物の姿がどことなく姉のエイルが召喚していた魔獣に似ていたので、もしかしたら魔法で対抗することが出来るかもしれないと考えて備えていたのだ。

魔獣は魔法を使うモンスターだが、魔族と違って魔法耐性はない。

だから魔獣の魔法攻撃ならば、物理で受けるよりも魔法で相殺する方が防げる可能性が格段に上がる。



そして兵士たちの人の波に押されたキャロンとイクルが西塔に紛れた時、エルフリートから作戦の話を聞かされた。

自身が犠牲になることも辞さないと言ったエルフリートは冷静だったように見えたが、キャロンは居ても立ってもいられなかった。

だから声を上げた。


体の中にある魔力の量はしっかりと感じられるほど大きくなっているし、エルフリートを助けることが出来る可能性があるとすれば、あの場ではきっとキャロンだけだという確信があった。

そして、絶対に死なせたくないという強い思いのまま動いた。


エルフリートは案の定びっくりしていたし、おまけにキャロンがくさかったようで眉を寄せたが、キャロンは引かなかった。

避難するように言われたが、それも受け入れるわけにはいかなかった。


そしてイクルの助けを借りて避難させようとする兵士の拘束を何とか抜け出したキャロンは、こうして塔の最上階でエルフリートを引き留めていた。



エルフリートには死んでほしくない。

キャロンはくさくて不細工だけれど、エルフリートはふかふかベッドに広い部屋、清潔な衣服や食事のみならず、絵の具やキャンバスまで与えてくれた。

キャロンはエルフリートに感謝している。

望まれていないキャロンでは妻としてその恩を返すことは出来ないが、せめてエルフリートにこれ以上の不幸が降りかからないように。





化け物が攻撃準備を始めてから一七秒。

一八、一九、二〇。


キャロンが引き留めた所為で時間切れとなり、エルフリートは何もかもを諦めたような顔をしていた。

だが軍人の性なのか、三つ首の化け物が業火を発射した瞬間、咄嗟にその身でキャロンを庇ってくれた。

くさくて不細工なキャロンにも、とても優しい人だ。

やっぱり死んでほしくはない。




「きっと、守ってみせます」


キャロンは絵に触れている指先に力を込めた。


大丈夫。

この場所には私が指一本触れさせない。絶対に。



指を躍らせるようにして最初に絵から引き抜いたのは、巨大な障壁。

数枚の紙に渡って描かれたそれらは次々と具現化され、数枚がかりで三つ首の怪物の攻撃の衝撃を受け止めた。

勢いを殺された怪物の攻撃を相殺するために、続いて具現化されたのは高く聳える結界。

キャロンが絞り出した全力の魔法で作り上げたそれらは、業火から伝わる熱を冷却していく。

白い湯気をもうもうと上げて燃える業火に一瞬押されそうになったが、追加で数枚具現化して持ち直す。


化け物の業火を受けているせいで熱風に襲われて、汗が滴る。

髪がバサバサと音を立てる。

だけど瞬きをしている余裕もない。

集中のし過ぎが原因なのか鼻から血が出てきたような感覚もあったけれど、拭き取っている余裕もない。


ぐっと奥歯を食いしばる。

キャロンは、我慢することは得意だ。


もうそろそろ魔力も尽きる頃かと思ったが、駄目押しに高い断崖も具現化した。

これでもかと全力をぶつけて、化け物の攻撃が小さくなっていくまで耐えた。



攻撃が完全に無力化されるまでずっと奥歯を噛んで踏ん張って、ついにキャロンは何とか最後までしのぎ切った。

攻撃を防ぎ切った。

ならばあとは、化け物の攻撃後の隙をついて、エルフリートが何とかしてくれる。


そうしてキャロンが鼻血を拭ったら、目の前が真っ白になった。

安堵と疲労から手足の力が抜けて、頭から崩れ落ちた。


キャロンは気を失って、それからのことは覚えていない。


気が付いたら、屋敷の自室のベッドの上に寝かされていた。












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