防衛戦②
ゲシュタルの指示に従い、三つ首の化け物が攻撃態勢に入った。
「っ、退避せよ!!!中央塔に居る者は直ちに退避!」
エルフリートは堪らず声を張り上げる。
エルフリートに反応したグリシスの声も、各部隊長たちの声も重なり、指示は一瞬で中央塔全域に伝わった。
武器を構えて下級の魔族の相手をしていた兵士たちは、洪水に押し流されるかのように退避を始める。
「退避!退避せよ!爆撃が来る!」
階段を駆け下りる足音、通路を走って擦れる防具の音、追い打ちをかけてくる魔族の雑兵に応戦しながらも退避する武器の音。
退避を。早く。
エルフリートは殿を務めながら、浮遊するゲシュタルと化け物を睨みつけた。
中央塔の真上では、あの三つ首の化け物がミチミチと音を立てながら首を寄せている。
先ほどのような爆撃が来る。
左側の塔を消し飛ばした業火が来てしまえば、エルフリートたちにはほとんど成す術がない。
どごおおおおお!!!!!
まるで編み込まれるように集まった化け物の三つの頭はやがて、カッと開いて巨大な獄炎の塊を吐き出した。
それが隕石のように一直線に落ちてきて、砦の一番大きな塔、中央塔に激突し爆発した。
再びの大きな破壊音。
再来した大地が揺れる爆発音。
更にもうもうと溢れ出てくる黒煙と灰。
一瞬で中央塔は見るも哀れな姿に変わり果てた。
砦がどんどんと侵略されていく。
左側にあった東塔と中央塔は破壊されてしまったので、今残っているのはエルフリートのいる西塔と中央塔の後ろにある宿舎だ。
宿舎は文字通り若手の兵士たちが寝起きする居住空間なので、魔族の兵達を迎え撃てる設備が残されているのは、もうこの西塔しかない。
この西塔を落とされてしまえば、この場所はあっという間に魔族の手に落ちてしまうだろう。
何としてでも、この西塔だけは守り抜かなくては。
一刻の猶予もない。
唇を噛みながら、エルフリートは振り返った。
「皆、無事か!!」
まずは西塔まで退避し終えた兵士たちに声をかける。
各小隊の小隊長たちから、報告の声が上がってくる。
幾つもある隊での損害は思ったよりも低いものだったが、あの時地に落とされた小隊長の声は無く、他の何人かの姿も見当たらなかった。
怪我をして痛みに顔を歪ませている兵士の姿も見える。
エルフリートは一瞬顔を伏せたが、すぐに前を向いた。
この砦の指揮官はエルフリートだ。
エルフリートには砦を死守する義務と、最善の行動を指示し続ける責任がある。
砦の後ろには町がある。
人々が暮らす国がある。
そこには魔族と戦う力さえない者たちが多くいる。
この砦より先に、魔族の侵略を許すわけにはいかない。
砦を奪取され国の中に魔族を入れてしまえば、残酷な魔族が民に何をするかなんて容易に想像がつく。
だから歴代のどの大隊長たちも、任された砦だけは守り抜いてきた。
この砦を守る者は、たとえ死んでもこの場所を守り切らなくてはいけない。
たとえ業火を受けて灰も残らない最期を迎えるとしても、エルフリートは覚悟を決めなくてはならない。
そして願わくば、もう誰一人欠かすことなく終わらせたい。
「あの業火を受けきることは、到底出来ないだろう」
エルフリートは全軍に静かに告げた。
三つ首の化け物が放つ二回の攻撃に、エルフリートたちはほとんど抵抗も出来ず、残る塔は一つのみ。
次回もあの攻撃に耐えられるとは思えない。
「だが、業火の攻撃前にあの化け物を打ち取れれば可能性はあるかもしれない。だから、私がやろう」
エルフリートの言葉に、兵士たちはしんと静まり返った。
皆、緊張した面持ちでエルフリートの次の言葉を待っている。
「あの化け物の首だけは、私が死んでも討ち取ろう。先ほど観察した限りでは、あの化け物の攻撃前には二〇秒程の予備動作がある。その間の座標は固定のようで、攻撃対象とさほど離れもしないようだし、飛び移ることも十分に可能だ。だから私は、その隙にあの怪物を刺し違えてでも処理する。君たちはその後、援軍が到着するまで何とか魔族の兵を押さえて持ちこたえてもらいたい」
兵士一人一人の顔を見て、エルフリートはそう告げた。
西塔に、冷たい沈黙が落ちる。
しかし直ぐに、飛び掛かるようにエルフリートの腕を掴んできたグリシスによってその沈黙は破られた。
「エルフリート様!特攻でもしようと言うのですか!そんなの俺が、みんなが許すと思ってるんですか!」
「だが他に可能性などないだろう。あの業火をもう一度でも食らえばこの砦はもう終わりだ」
既に涙目のグリシスに対して、エルフリートは必要以上に冷静に返事をした。
誰かが目の前で傷つくより自分が犠牲になった方がいいというのは、本当は残された者の負担になる事だって知っている。
エルフリートは残された側の気持ちも経験してきているから、痛いほど分かる。
だけど、次がエルフリートの番だ。
誰かに身を挺して守ってもらって、仲間が倒れるのを散々見てきたが、次は仲間を守る為に自分がそれをやる番だ。
覚悟ならとうの昔にできている。
「そんなのいけません!俺がやります!化け物を止める役は俺にやらせてください!」
グリシスがエルフリートの腕にぎゅっと抱きついて半泣きで叫んだ。
だが、エルフリートは涼しい顔を崩さない。
「いや。この中でこの作戦の成功率を最大まで高められるのは、やはり私しかいない」
血の気が引いて顔面蒼白になっているグリシスを見て、エルフリートの胸が痛んだ。
本当は、ずっと忠誠を誓ってついてきてくれたグリシスと別れるのは辛い。
それに、ガヴィンなんかの気の置けない友人と軽口を言い合う瞬間がもう来ないのだと思うと残念だ。
考え始めれば、心残りなんてゴロゴロ出てくる。
賜った人間は酷い人物だったからと何一つ優しくしてやれなかったし、陛下の期待に沿うことも出来なかった。
兄の仇にかすり傷一つ付けられず散っていくことも無念だし、最後にもう一度くらいあのクロワッサンを食べたかったし、まだまだやり残したことがたくさんある。
本当は、エルフリートはこんな終わりなんて望んでいない。
でも自分の命よりも、砦と皆を守ることの方が大切だ。
「大丈夫だ。きっと成功させて見せる。後の指揮は頼んだ、グリシス」
首を横に振るグリシスを小さく励まし、エルフリートはその肩を優しく叩いた。
エルフリートは全ての感情を覚悟で覆い隠して、小さく笑顔を作った。
指示を出した者が不安そうな顔をしていては、成功するものも成功しない。
そしてエルフリートは愛用の大きな槍を手に取った。
何があろうとあの化け物に齧り付き、この槍で攻撃態勢に入った化け物を止めるのだ。
「皆も、頼んだぞ」
エルフリートの呼びかけに、西塔が死んだように静かになる。
いつもならば我先にと返事をするのに、今は誰もが口を閉ざした。
誰も、何も言葉を発せないでいた。
……たった一人、彼女を除いて。
「あの……」
控えめな声と、おずおずと挙がった手があった。
軍では聞き慣れないその声に、エルフリートは振り返った。
兵士たちの視線も、一斉に手を上げた彼女に注がれる。
そこにいたのは、くすんだ青い髪のか細い女性。
何故かずぶ濡れで汚くて、同じく物凄く汚い小さな子供を連れた女性。
この彼女が砦にいるなんて、誰が予想しただろうか。




