特訓と友達
三日後の、ポプリの休日。
その日のキャロンは昼間に変わらず働いてから、月が出始めた頃にポプリの部屋を訪ねていた。
「ようこそっ!」
扉を勢いよく開けて出迎えてくれたポプリはキャロンの手を引いて、中に案内してくれた。
キャロンが使わせてもらっている部屋よりは狭いが、使い勝手の良さそうな清潔な部屋。
ポプリが好きそうなピンクのカーテンやレースのベッドがある。
こまごまとしたものが飾られた棚も白くてかわいくて、人形や何故か額に入れられたハンカチなどがあった。
ポプリは部屋を見回しているキャロンを呼んで、小さな化粧台の前に座らせてくれた。
「さ~て。まずはボサボサに伸びた新人さんの髪の毛から整えていきますよっ」
ばさりと布がキャロンに被せられる。
切り落とされた髪が服に着かないようカバーの役割を果たしてくれる布だ。
「ふう、ちょっと緊張してきましたけど、ポプリ頑張りますっ」
「大丈夫です。あまり気負わず頑張ってください」
キャロンの励ましにポプリが頷く。
ポケットのたくさんついた道具入れを腰に巻いていたポプリは、その中から銀色の鋏を取り出した。
そしてゆっくりと、キャロンの伸び散らかった髪に刃を入れた。
じゃきん。
じゃきんじゃきんじゃきん。
慎重に切る部分を見定め、豪快に鋏を入れる。
ポプリの顔は真剣そのものだ。
キャロンはその集中力を切ることが無いよう声には出さず、心の中でポプリにエールを送っていた。
途中で「あっ、間違えて布切っちゃったっ。どうしよう……」「あれっ、これヘアオイルじゃなくて虫油だっ。どうして間違えて持ってきちゃったのっ……」なんてポプリのドジなアクシデントはあったけれど、なんとか無事に髪は切り終えた。
キャロンの顔についていた細かい毛を払い、ポプリは手に持っていた鋏をコトンとテーブルに置く。
「できましたっ」
ポプリは手鏡をキャロンの後ろで持って、後ろ髪がどのようになったかまで丁寧にキャロンに見せてくれた。
腰ほどまであった長くて重ったらしかった髪は胸の高さ辺りにまで短くなって、ふわりと跳ねるように軽くなっている。
なんだか、とってもいい感じ。
キャロンの地味な顔は変わらないけれど、髪の毛だけでこんなに違う。
「いい感じですね、新人さんっ!」
「はい。ポプリさんすごいです!」
「へへへっ、ポプリに任せてください!でも、やっぱり何回かドジしちゃいました。ポプリ、そこはまだまだでした……」
ポプリはガクッと肩を落としていたいたが、キャロンはニコニコ顔だった。
ポプリが精いっぱいキャロンを可愛くしようと頑張っているのが伝わったから嬉しいし、一生懸命なポプリが整えてくれた髪は明らかにキャロンの顔を明るく見せてくれいる。
いつものボサボサ髪とは天と地ほどの差がある。
ポプリはドジはするけれど、長い間努力してきただけの素晴らしい技術は持っている。
長い前髪で隠し気味にしていた顔が出てしまっているのは少し恥ずかしいけれど、キャロンはこの髪型が好きだ。
「ポプリさん、少々ドジしたくらいで落ち込んだりしないでください。私はこの髪型、気に入りましたよ」
「本当ですかっ?」
「はい。本当です。とってもセンスがあると思います。だって私、髪を切ってもらっただけでこんなに変わりました。全然違う人みたいです」
「新人さんが喜んでくれて嬉しいけど、でもポプリはドジするから侍女としてはダメダメなんですよね……」
最初は喜んではいたものの何度もドジをした事を反省し出したのか、ポプリは悔し気に奥歯を噛んでい渋い顔になった。
そんなポプリを見て、キャロンは優しく背中をポンポンと叩く。
「ダメダメなんてことは有りませんから大丈夫ですよ、ポプリさん」
「でも……」
「練習はまだ始まったばかりではありませんか。それに、私は丸坊主にされるかもしれないって気持ちで臨みましたが、ポプリさんはそんなおっちょこちょいなことはしませんでした。全然ダメダメなんかじゃないです」
「……ぷ、あはは。いくらポプリがドジでも丸坊主は流石にしないですよっ」
「丸坊主になったらなったで頭を洗うのが楽になりそうだなあと思っていたのですが」
「あはは、新人さんが丸坊主になったところを想像したら、あはは、おもしろいですっ」
ひとしきり二人で笑ってから、ポプリはすっかり立ち直ったようだった。
「じゃあ気持ちを入れ替えて、次はお化粧の練習の前に美肌ケアをしていきますっ。お化粧を綺麗にするためにも綺麗な土台作りは必須ですからっ」
そう言ったポプリは腰のポケットからいくつかの瓶を取り出して、化粧台に並べ始めた。
街で売られていそうなお洒落な物もあれば、お手製のラベルが貼られた素朴な物もある。
「これは藍色菜草の美白化粧水、こっちはポポタンのしっとり乳液、それからバラの香りの美容液、瓜から作ったポプリ特製フェイスマスクもありますっ」
「ほう……!」
肌の事などずっと気にすることなく生きてきたキャロンは、思わず感嘆の吐息を漏らした。
無意識のうちに自分の頬を触ってしまう。
手入れなどされていなくてカサカサで、まともな食事と睡眠のおかげで最近はマシになってきたとは言えまだまだボロボロだった。
「そのお肌、しっかり綺麗にしましょう!まずは洗顔していきますねっ」
ポプリはぬるま湯をたらいに汲んで来てくれて、化粧台の上にドンッと置いた。
勢いがつき過ぎて湯が半分程飛び出して来てキャロンに掛かったが、まあこれもご愛敬だ。
急いで謝りながらタオルで拭いてくれたポプリは、気を取り直してキャロンの顔を丁寧に洗ってくれた。
そして瓶を倒して割りかけるというハプニングはあったものの何とか無事に乗り越えて、化粧水や乳液をキャロンの肌に優しく塗りこんでくれた。
「こうやって優しく塗っていきます。途中でツボも押していきますねっ。美肌のツボ、むくみ取りのツボ、ぱっちり目のツボですっ」
「なるほど、とっても気持ちがいいです~」
キャロンはぺたぺたと乳液を塗られながら、溶ける様な溜息をついていた。
同時にこめかみのツボや眉間のツボを的確に押されて、疲れた筋肉がほぐれていくような気持よさがたまらない。
「ポプリ、マッサージするのが一番得意なんです。新人さん、ポプリはこうして毎日マッサージはしてあげられないですけど、化粧水と乳液を分けてあげますから、毎日自分でお手入れもしてくださいねっ」
ポプリはそう言いながら、新品の化粧水と乳液を引き出しから出して来て、きんちゃく袋に入れてキャロンに持たせてくれた。
「えっ。分けてもらっていいのですか?」
「当り前じゃないですか。美は一日にしてならずですよっ」
「でもこの化粧水と乳液、高い物ですよね?街で売っていそうな……」
「まあポプリのお給料を考えたら安いものじゃないですけど。特別にいいですよっ」
「で、でもそこまでしてもらうのは悪いです。じゃあお代を……」
と言いかけたキャロンは自らのポケットを探る。
だが生憎、お金というものは持ち合わせていなかった。
じゃあ何か代わりになりそうな価値のあるものを、とポケットを再び探ったが、その手はポプリによって止められた。
「も~!いいったらいいんですっ。ポプリと新人さん、友達じゃないですかっ!」
何やら聞き慣れない言葉が耳に飛び込んで来て、キャロンは動きを止めた。
恐る恐る、聞き返してみる。
「い、今なんて」
「今ですか?」
「その、と、ともって」
「ああ。と、も、だ、ちですっ!」
(と、ともだち?!)
ともだち。
友達。
それって。
「友達ですか……?!」
「はい、友達ですよっ!友達ですよね?ポプリ、友達だと思ってました!もしかして新人さんはポプリの事他人って思ってましたか?!」
「い、いいえ!友達がいいです!!」
「あはは!うん、友達ですっ!!」
キャロンが急いで言うと、ポプリは楽しそうに笑ってくれた。
ともだち。
友達。
予期せぬところで、友達が出来た。
これが友達。
一生働いて、一生誰からも気にかけられないままなのがキャロンの人生だと思っていた。
キャロンには友達なんて勿論一生できないと思っていた。
のに。なのに、キャロンに友達が出来た。
奇跡だろうか。
奇跡とは、こうしてひょんな時に降ってくるものなんだろうか。
分からない。
でも一つ分かることは、嬉しい。
友達が出来て嬉しい。
可愛くしてあげると言われた時だって舞い上がるくらいうれしかったのに、友達までできてしまった。
キャロンはニコニコと笑って尻尾を揺らすポプリを見て、感動で鼻の奥がツンとした。
悲しくても痛くても涙は出なかったけど、嬉しいと簡単に涙は出てくる。
涙なんてずっと存在さえ忘れていたくらいなのに、ここに来てから思い出せた。
「あれ、新人さん、目から汗が出てますよっ?大袈裟ですねえ」
「いいえ、これは汗なのでお気になさらず……」
キャロンが涙をごまかして笑おうとしたその瞬間。
ぐん。
何かが体の中で渦巻いた。
それはむくむくと膨れ上がり、グルグルと渦を巻く。
待っていたとばかりに大きくなる。
もう少しだとばかりに伸び上がる。
複数に伸びるそれは絡まって編まれ、キャロンの体の中で緻密な模様を描く。
少しづつ少しづつ広がっていく。
それが何か、見ることは出来ない。
でも、感じる。
大きくなりつつある。
まだ溢れ出たりはしないけれど、確かに膨らんでいる。
(魔力が……!)
キャロンは自分の体の中の魔力が大きくなったのを、今度は正確に感じ取っていた。
きっかけは、明らかだった。
キャロンが幸せだと思った瞬間だった。
この人生では絶対に手に入らないと諦めていたものを手に入れた時だった。
長らく欠けていたものを見つけたその一瞬だった。
今回は良く聞こえた。
ピースが一つ、パチリとはまった音がした。
しかしキャロンが自身の変化を感じて驚いていた最中、それすら一瞬忘れてしまうような出来事が突然起こった。
遠くないどこかで、大きな音が響いたのだ。
それは人間の国にある砦の大砲を思わせるような轟音だった。
地面が大きく揺れ、棚の上にあったものが倒れて音を立てる。
「きゃあっ!」
叫びをあげたポプリが床に蹲った。
我に返ったキャロンは素早くポプリの手を引き、二人して化粧台の下に滑り込んだ。
揺れはまだ続く。
得体の知れない飛翔音。
良く分からない人の叫び声のようなもの。
キャロンは驚きのあまり尻尾の毛を逆立てていたポプリを抱きしめたまま、化粧台の下でじっとしていた。




