雑巾水とタヌキのポプリ②
使用人用の浴場は一階の使用人棟にあった。
ポプリの案内で脱衣所を使い、それからその先にある大浴場の扉を押し開ける。
扉を開けた瞬間ぶわり、と湯気が溢れてきた。
湯気に包まれた先に、大きな浴槽が見える。
実家である侯爵家は使用人用の大浴場などなかったし、この屋敷に来てからも自室に備え付けられた浴槽を使うだけだったので、キャロンは初めて見る大きな湯船にごくりと息を呑んだ。
「さ、まずは体を洗って綺麗にしましょ」
タオルを持って立ち尽くすキャロンの手を、ポプリが引いてくれた。
「それより思ったんですけど、やっぱり新人さん、貧乳ですねっ」
浴槽に浸かる前に体を洗うため桶に湯を汲んでいたら、キャロンを隣で眺めていたポプリに、いきなりそんなことを言われた。
確かにキャロンの胸は本当にささやかだ。
ポプリの胸をちらりと見ると、キャロンの貧乳とは比べ物にならないくらいの巨乳だった。
「ポプリさんに比べたら確かに貧乳ですけど」
「新人さんは細すぎるんですよ。ポプリなんてほら、ちょっとぽっちゃりだからおっぱいも大きいんです。新人さん、なんでそんなに細いんですかっ?ちゃんと食べてます?」
「はい、ここではお腹いっぱい食べさせてもらってます」
「そっか、ならいいんですけど。ここのご飯、美味しいですよねえ。最近厨房の腕も上がってきたみたいですし、レシピの数も増えて、見たことないような料理を出してくれるようにもなりましたしっ」
ポプリはお喋りをしながら、キャロンを石で作られた椅子に座らせた。
そして青っぽい色のまあるい石鹸を泡立てて、ふくよかな手でキャロンの背中を洗い始めた。
先ほど雑巾水をかけてしまったお詫びと石鹸のお礼ということなので、キャロンは大人しくされるがままになっていた。
モコモコ、ゴシゴシ。
ポプリは優しい手つきでキャロンの背中から頭までマッサージしてくれた。
獣人は皆人間より体温が高いのか、ポプリの手は暖かくて柔らかくて気持ちがいい。
キャロンは思わず目を細めてゆったりとしてしまう。
「気持ちいですか〜?」
「はい〜」
「力加減大丈夫ですか〜?」
「はい〜」
「痒いところはございませんか〜?」
「ないです〜」
「では洗い流しますね〜」
「はい〜」
ポプリはモコモコと羊のようになったキャロンについた泡を、汲んできたお湯で洗い流してくれた。
「はい、綺麗になりましたっ」
「ありがとうございます……。すごく気持ちがよかったです」
「それはよかったです。ポプリ、実は専属侍女というやつを目指しているので、将来どこかの銘家の奥様に仕えるためにメイクやマッサージなんかも勉強してるんですよっ」
「そうだったのですね。たしかに侍女は色々な事ができなければいけないですもんね」
「はい。だから侍女を選ぶために試験を行う貴族もいますし、専属侍女になるのは相当難しいんです。でも頑張る価値はあります。名の有る方の専属侍女ともなればみんなから一目置かれるようにもなりますし、お給料だってたくさんもらえますっ」
「なるほど。良いお仕事なのですね」
「はいっ。だからポプリずっと専属侍女目指して頑張ってきました。でもポプリはおっちょこちょいだから、前のお屋敷は何度かクビになりました。お嬢様の髪を巻こうとして焦がしちゃったり、眉毛をそり落としちゃったり、奥様のドレスを破いちゃったり」
ポプリは悲しげにエヘヘと笑った。
キャロンに雑巾水をぶちまけたことからも、ポプリのおっちょこちょいぶりは簡単に想像がついてしまう。
下手な慰めは出来ないけれど、頑張っているポプリが報われてほしいと思ったのはキャロンの本心だ。
「きっと、大丈夫です。きっと次があります。ポプリさんはずっと頑張ってきたのですから、次はきっと誰かの良い侍女になれますよ」
「……そうならいいんですけど」
「きっと、大丈夫です。頑張って、ポプリさん」
「うんっ、そうですよねっ。新人さんが応援してくれるならポプリももっと頑張らなきゃ」
体を洗い終わり、二人は湯船に移動した。
湯気の立つ温かいそれにつかる。
かぽーん。
広い湯船に2人きり。
昼に入るこの湯船の甘美な背徳感。
ふう、気持ちがいい。
キャロンは顎までお湯につかって目を細めた。
そしてとなりのポプリは、ふうと大きく息をつくキャロンをまじまじと観察していた。
「ねえ新人さん。さっきの話の続きなんですけど、ポプリの侍女の訓練の練習台になってくれませんかっ?」
「えっ?」
「侍女って主人の身の回りのこと全部受け持つじゃないですか。それってさっきも言ったんですけど、メイクとか着付けとかもしなきゃなんです。ポプリ、勉強はしてきましたけど、やっぱりメイクとかは人にしてあげる練習がしたいんですっ」
「でも私、不細工だからいい練習台になれないかもですよ……?」
いつもエイルに不細工と言われてきたキャロンだ。
結婚式の日もお化粧はしてもらったが、やってきたエイルに笑われた。
もしかしたらキャロンは不細工すぎて、お化粧をしても綺麗になれないかもしれない。
こんなキャロンでは、いくらポプリのメイクの腕が良くても満足のいく仕上がりにならないのではないか。
そんな心配が脳裏をよぎる。
「新人さんっ。不細工なんてことはないと思いますっ!髪はボサボサで肌も荒れ気味で、ガリガリでお洒落っ気も全然ないけど、新人さんのそばかすは魅力的だし、目は綺麗で素敵ですっ!」
「えっ。そんなこと初めて言われました」
「新人さんはど田舎出身だって聞いたから、おしゃれに無頓着だったとしても仕方がないとは分かってます。でも磨けば光ると思うんですっ!」
「そんな事は……」
「あります!ポプリに任せてください!ポプリ、新人さんをめちゃくちゃ可愛くしてみせますっ!それを今月の課題にしますっ!」
ポプリはキャロンの両肩をガシッと掴み、そう宣言した。
キャロンをじっと見つめるポプリの目は真剣だ。
「……では、良い素材かはやっぱり分からないですが、私でお役に立てるならいくらでも使ってください」
こくり、とキャロンはゆっくり頷いた。
ポプリ本人がキャロンの顔でいいと言っているのなら、キャロンが断る理由はない。
キャロンはポプリの助けになれたらいいなと思っているし、有難いことに働きづめだった以前のキャロンとは違い、今は練習に付き合うくらいの時間だってある。
「よ〜し、決まりです。ポプリ、今度は絶対ドジして髪を焦がしたりしませんからっ!」
「ちょっとくらい焦がしたって構いませんよ。私の髪は無駄に長いですし」
「ダメですよっ。髪は女の命です。……でも、新人さんの髪は確かに長くてボサボサですから、少し切ってもいいかもですねっ」
ポプリはそう言いながら、キャロンの濡れた髪を手櫛ですきはじめた。
「前髪をもっと短くして、量ももっと減らして」なんてブツブツ言っている。
練習とはいえ、とても真剣に考えてくれているようだ。
それがヒシヒシと伝わってきたので、キャロンはポプリの集中した横顔に向かって微笑んだ。
「ポプリさん、お好きにしてくださっていいですからね」
「じゃあ新人さんをポプリのお好きにして、絶対可愛くしますからねっ!肌荒れを治してハーブオイルで髪もツヤツヤにして、唇もプルプルにして、ほっぺもモチモチにします。それから街で流行りの化粧品を使ってうんと可愛くしますっ」
熱く語るポプリを見ながら、キャロンは頷く。
「じゃあ次のポプリの休みから早速練習してもいいですか?!」
「はい、よろしくお願いします!」
「ありがとうございますっ。じゃあ三日後に使用人棟のポプリの部屋に集合です!」
早速約束を取り付けて、がしっと握手をする。
なんだか、二人ともやる気満々だ。
キャロンはポプリと顔を見合わせて笑いあった。
正直に言うと、楽しみだ。
キャロンは自分が不細工なことは百も承知だけれど、やっぱり楽しみだと思わずにはいられなかった。
心の奥底に閉じ込めたキャロンの乙女心が、たとえ練習台でもお化粧をして綺麗にしてもらえるなんて嬉しい!と言って笑って頬を染めたような気がする。
「……本当に、楽しみです」
キャロンが呟いて、それを見ていたポプリが一瞬動きを止めた。
「それ!それです!新人さん、今の顔ですよっ!」
「え?」
「笑った顔、めちゃくちゃ可愛いですっ!ポプリ今、女の子同士なのにキューンとしました!!」
バチャバチャバチャ。
ポプリの尻尾が大きく振れて、お湯が跳ねて音を立てた。
まるでポプリの興奮を表現しているかのような大きな音だ。
獣人の尻尾は感情が最も素直に現れるパーツなので、ポプリが心から誉めてくれている事が分かる。
お世辞でもなく可愛い、なんて。
笑った顔が可愛いなんて、両親が死んでからは言われたことがなかった。
それはキャロンが侯爵家で働き詰めで楽しいと笑う余裕もなかったからなのだけど、それでも可愛いなんて言われた事がない。
慣れない言葉は恥ずかしかったけれど、でも嬉しかった。
こんなキャロンでも、また可愛いと言ってもらうことは出来るだろうか。
くさくて不細工なキャロンが少しでも可愛くなったら、エルフリートの嫌悪感も少しは拭えるだろうか。
せめて視界にいれても気分が悪くならないくらいに思ってもらえるようになったら嬉しい。
「私も、少しだけでも可愛くなれたらいいなと思います。が、頑張ります」
「はい!ポプリが保証します!ポプリ、新人さんのあの笑顔がもっと見たいです!だからポプリもこれからの新人さんとの練習、頑張っちゃいますねっ!」




