1743 簡単には去れそうにない
グリューナス法王の体調不良は顔色の悪さで一目瞭然の状態だ。
すでにサリュースだけじゃなくてポーン枢機卿も気づいている。
それでも当人は誰にもバレていないと思っているようだ。
法王も意外と天然気質だな。
たぶん指摘しても認めないとは思うけど。
気合いと根性の人は頑固な人でもあるからな。
「分かりました」
にこやかに答える法王の笑顔が痛々しく見える。
「頑張って体力をつけますね」
「そこは頑張るじゃないと思うぞ」
思わずツッコミを入れてしまったさ。
気合いと根性で体調が回復するなら苦労はしない。
そんなのは単なる思い込みであって本当に回復したとは言えないからな。
それを繰り返した果てに待っているのは過労死である。
「そうですか?」
だというのに平然と聞き返してくる始末だ。
自分の常識が間違っているとは夢にも思っていないらしい。
この法王はどこまで社畜的根性が染みついているのだろうか。
「ゆっくり休むと言ってほしいものだね」
「え?」
意外な言葉を聞いたとばかりに驚く法王。
「休んでいては法王は務まりません」
真顔でそう返されてしまった。
ブラック企業の上司が聞けば当然だと同意したことだろう。
しかしながら、ここは劣悪な環境の職場ではない。
人手不足ではあるものの処理案件が追いつかないほど酷くもないのだ。
呼び寄せた助っ人も環境の違いに慣れてきたし。
今後は効率も上がってくるはずである。
問題は、この法王様がそういう部分に対する目配りができていなかったりすることだ。
能力がない訳ではないはずなんだけどな。
自分が何とかしなきゃと思うあまり全体の把握がおろそかになるだけだろう。
視野狭窄というか猪突猛進というか。
もう少し何とかならないものだろうかと思う。
これはこのまま立ち去ると碌でもないことになりそうだ。
ハイさようならで帰ってしまうと次に会う時は葬式でしたなんてことも……
シャレにもならんぞ。
縁起でもないことを考えてしまったが、その恐れは大いにあり得るのが怖いんだよな。
少なくとも釘は刺しておかねばなるまい。
「何でもかんでも自分でやろうとするのは良くないな」
逆に丸投げするのも良くないんだけどね。
とにかく釘は刺しておかねばなるまい。
「人に優しく自分に厳しくするのが悪いとは言わない」
グリューナス法王は極端だけどな。
おらが村の村長さんなら、そのやり方で問題なかったと思う。
だが、ここはノーム法王国だ。
小さいとはいえ村ではなく歴とした国である。
単純な決裁だけで終わる仕事ばかりではない。
予算の配分ひとつをとっても熟慮せねばならないことがあるのだ。
間違っても、どんぶり勘定はすべきではない。
すれば数年と経たずして国は荒廃するだろう。
「だが、すべてを自分で抱え込むのは人に優しい訳ではないぞ」
それが許されるのはソロで活動する者だけだ。
冒険者がその代表格か。
商人や職人などもいるだろうが名をあげるほどの存在になるならばね。
責任はすべて自己責任として己に跳ね返ってくるけれど。
それでも国と対等という訳ではない。
国民を抱えるという重みが越えられない差を生み出すからだ。
その重みは1人で抱え込めるものではない。
「自分が倒れて動けなくなった場合はどうするというんだ?」
俺は容赦なく疑問を投げかけた。
「あるいは、いつか来る引き継ぎの時はスムーズに終わらせられるのか?」
答えは否だ。
専門性の高い情報が多すぎて引き継ぎ相手はパニックを起こしかねない。
間違いなく修羅場と化すであろう。
法王はそのことをまるで考えていないのだ。
気づいているかどうかは別にしてな。
そういう意味でも配下の者たちに専門性の高い技能を身につけさせる必要がある。
分かっちゃいるけど諸事情により実行を躊躇っている状態なのかもしれないが。
それでも実行可能なことをしないのは分かっていないのと同じだ。
果たして法王はどちらの状態なのか。
「─────────────────────────っ!?」
俺の言葉はよほど意外だったのか法王がギョッとした顔になって固まってしまった。
この様子だと気づいていなかったようだな。
「そんなんじゃ周りの者は何時までたっても仕事をこなせないままだ」
気付いたとして、仕事をこなせるように指示出しや指導ができるかは別問題だけどな。
「いざという時に右往左往するばかりの無能の集団を作りたい訳じゃないだろう?」
少し厳しめな言いようかもしれないとは思いながらも俺はあえてそう問うた。
「……………」
法王は固まったままだ。
どんだけショックだったんだよ。
こうまで驚かせては心理的な負荷は相当なものだろう。
病み上がりに刺激を与えすぎたことは疑いようもない。
明らかに失策を犯したことで俺は内心で己の間抜けさに舌打ちしていた。
法王は、まだ何とか耐えている。
俺の話に耳を傾け考えるだけの余力はあるようだ。
これ以上は悪化しないように微妙に回復系の魔法をかけておくことにした。
法王自身に気づかれると、回復してほしいと頼まれる恐れがあるので気休め程度だ。
今の状況だと回復すれば絶対に無理をするからな。
本格的に回復させるとするなら眠っている時などに限定すべきだろう。
それもバレないよう一気に回復させないようにしないと。
なかなか面倒なことである。
「やってみせ言って聞かせてさせてみせ褒めてやらねば人は動かじという言葉がある」
現代日本では割と有名な言葉だが、ルベルスの世界では一般的ではない。
「グリューナス法王、アンタは人を動かす気がないのも同然なんだよ」
やってみせてすらいないんだからな。
隠れて仕事をしている訳ではないだろうから、その姿を見ている者はいるとは思う。
故に職人のように親方や兄弟子の仕事を見て覚えるようなことは不可能ではない。
だが、それでは限度がある。
なにより覚える側に求められるものが多い。
覚悟も工夫も、そして努力も。
失敗することも多々あるだろう。
それが悪い訳ではないが事務方の仕事には向かないやり方だと思う。
引き継ぎや指導による手法の方が確実であるし致命的なことにはならないはずだからな。
法王に誰かを指導する意図があったのかについては疑問符がついてしまう。
いや、無かったと言うべきだろう。
簡単な仕事を割り振るつもりはあっても指導することまではね。
読んでくれてありがとう。




