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2.理想の相手

 俺と澄恵は、昼休みになるといつも揃って教室を出て行く。

 売店に行くわけではない。互いに弁当を抱えた俺たちは、ふたりきりになれるベストスポットで優雅に昼食を楽しむのだ。


 その場所とは、実習棟の階段を登りきり、屋上に続く出入り口が設けられた空間だ。

 我が校はどの棟も四階建だが、屋上へ出入りする場所だけ五階のような狭い空間がある。ネットで調べたところ『塔屋とうや』と呼ばれる場所らしいが、あまり一般的ではないので、俺はそのまま『五階』と呼んでいる。

 

 天気のいい日は屋上に出たいと思うこともあるが、残念ながら屋上へ続く扉は施錠されている。

 しかしながら、鍵のかかった扉しかない五階を訪れる者はいないため、人気のない場所を好む俺と澄恵の隠れた食事場所になっているのだ。


 今日もそんな場所を訪れた俺と澄恵は、持参したレジャーシートを手際よく敷き、母親の作ってくれた弁当を広げて二人だけの昼食を始める。

 すると、俺の隣に座った澄恵が、箸で串刺しにしたミートボールを突き出してきた。刺し箸は行儀が悪いぞ。


「はい、カゲくんのぶん」


「くれるの?」


「あげるって約束したじゃんよ~。数学の課題見せてくれたお礼」


 そういえば、そんな約束をしていた気がする。

 あれはその場ノリで本当はお礼なんていらないのだが、好意は素直に受け取っておこう。


「あーん」


 と、俺は澄恵に向けて大きく口を開ける。

 その瞬間、ミートボールを俺の弁当箱へ移動させようとしていた澄恵の動きが止まった。


 くっくっく、これぞ俺が即興で思いついた策略だ。

 俺が要求したのは、俗にいう『あーん』行為だ。恥ずかしげもないようだが、今の俺は「面倒だから直接口に入れて」的な雰囲気をかもし出すことで、「あーん」が自然な行為ムーブであるかのような空気感を演出している。(たぶん)


 本当に澄恵が俺を異性として意識していないなら、『あーん』くらい平然と応じてくれるだろう。すると俺は寂しさを覚える一方で、好きな女の子からの『あーん』行為を合法的に堪能することができる。

 逆に澄恵が拒否してきたら「お前、本当は俺のこと意識してんじゃね?」的な雰囲気を出すことで、思わせぶりな澄恵の心を揺さぶることができる。

 即興にしては完璧な作戦だ。


 と、そんな思惑のもとで俺が口を開けて待機していると、澄恵はなぜかミートボールを一旦回収し、箸で掴み直す。

 そして、ミートボールを浮かせたまま何やら腕を広げて不穏なポーズをとった。


「それじゃ、いくよ~」


 その瞬間、俺は澄恵のやろうとしていることを看破した。


 コイツまさか、そこそこ汁気のあるミートボールを投擲とうてきし、俺に口でキャッチさせる気なのか。

 ちょっぴりおバカな澄恵らしい発想だ。行儀が悪いとかいう以前に、失敗した時に俺が被るダメージを考えていない。普通に考えて大惨事になる。


 そんな風にして俺が狼狽していると、澄恵はすでに投擲とうてきモーションに入っていた。


「やめろおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 俺は慌てて澄恵に飛び付き、ミートボールが投擲とうてきされる前に食らいつく。

 すると、ミートボールの捕食には成功したが、勢い余って澄恵に抱きつく形になってしまった。


 澄恵のささやかな懐でもぐもぐとミートボールを噛んでいると、澄恵はどこか呆れた目で俺を見下ろしてくる。


「ミートボールなんて投げるわけないじゃんよ~。落としたら勿体ないじゃん」


「冗談でもそんなフリしちゃいけません!」


 そう叫んだ俺は、まったく痛みを感じないレベルに手加減した勢いで澄恵の頬をビンタする。

 すると澄恵は、オーバーにのけぞり茶番に付き合ってくれた。


「うう、アタイが悪かったよ……ごめんよミートボールくん。たとえ冷凍食品でも、君はお弁当の王様だよ……これからは大事に食べてあげるからね……」


「わかればいいんだ……たとえ冷凍食品でも、チンしてお弁当に詰めてくれるお母さんに感謝して大事に食べなさい……」


 と、謎のノリで意気投合した俺と澄恵は、泣き真似をしながら抱きしめ合う。

 なんか冷静になるとむちゃくちゃ恥ずかしい構図だが、合意の下で抱き合えたと思えば得した気分だ。


 そんなわけで、5秒くらい抱き合って冷静さを取り戻した俺たちは、淡々と距離をとって再び弁当を食べ始める。

 俺と澄恵は、一緒にいる時いつもこんな調子だ。昔からやっているので、ノリで触れあうことにも抵抗がない。


 しかし、よく考えたらそれは健全なことなのだろうか。

 年頃の男女にとって、ボディタッチはそれなりに踏み込んだスキンシップだ。互いの関係を意識するには十分すぎる行為だろう。

 というより、近頃の俺はかなり意識している。さっきもドキドキしたし、ほんのり幸せな気分になれた。


 だが、人間には『慣れ』というものがある。

 俺と澄恵の関係が進展せず、ベタベタすることだけに慣れてしまうと、感覚が歪みかねない。

 しまいにはディープな接触も平然とするようになり、エッチなことすら友達感覚で興じてしまうようになるかもしれない。まさに性の乱れだ。


 俺は澄恵とそんな関係になることを望んでいるわけではない。

 ごく普通に「手、繋ごっか(イケボ)」「うん……(カワボ)」みたいな甘酸っぱい関係を望んでいるのだ。(自分で妄想してちょっとキモいと思った)


 となれば、これからはボディタッチではなく、言葉によるアプローチを重視する必要があるだろう。

 コミュ障の俺にとって苦手な分野だが、澄恵が相手なら堂々と会話くらいはできる。


 というわけで、弁当を食い終えて互いにスマホ弄りタイムに入ったところで、俺は適当に話を振ってゆさぶりをかけてみた。


「スミちゃんってさぁ、男っ気ないけど好きな男のタイプとかあんの?」


 言った直後で冷静になってみるとかなりキモい質問な気がするが、ニブチンの澄恵が手なら問題なかろう。


「え~、別に理想とかないよ~。強いて言えば養ってくれる人かな~」


 とりあえず話には乗ってくれたが、澄恵の答えは好きなタイプと言うより理想の結婚相手だろう。なんとも澄恵らしいズレた回答だ。

 それでも俺は、澄恵を養う気マンマンなので条件をクリアしている。こう見えて俺は世話好きなのだ。


 ここで定番の「なら、相手は俺でもいいんだ(イケボ)」と言うカードを切って理想の相手として俺のことを意識させてもいいが、まだ早いだろう。

 もう少し、澄恵の理想像を深める必要がある。


「でもさ、超ド変態野郎とかDV癖のあるやつとかに養ってもらおうとは思わないでしょ。もうちょっと理想とかあるんじゃない?」


 俺の問いに対し、澄恵は「う~ん」と唸って頭を捻る。


「そりゃ、イケメンがいいとか、優しい人がいいとかあるけどさ~、ボクなんかが高望みしても虚しいだけじゃんよ~。顔も性格も赤点じゃなければいいよ~」


 いい流れだ。俺はイケメンでもなければ、さして優しくもない。意外と澄恵の理想は高くないようだ。


 しかし、考えてみれば澄恵とこういう話をするのは初めてかもしれない。

 今まではお互いに男女の間柄を意識する話は避けていたのだろう。

 

 俺と澄恵は、互いに異性であることを意識していないから、友達同士でいられている。仮に、俺と澄恵が性別を意識していたら、すでに付き合っているか距離を置くかしているだろう。それが思春期の男女というものだ。

 クラスメイトの夏川は俺と澄恵の関係をからかっていたが、俺だって女子の澄恵とベタベタしながら友達同士だと言い張ることが普通じゃないという自覚はある。


 だが、高校に入る少し前に、俺は澄恵のことを異性として好きになってしまった。友達として仲がいいだけじゃ満足できなくなってしまった。

 それを澄恵がどう思うかはわからないが、好きになってしまったものは仕方ない。今さら、この感情をなかったことになどできないのだ。それが、恋というものだろう。


 だからこそ、俺はここで「なら、相手は俺でもいいんだ(イケボ)」と言い放つ必要がある。

 澄恵がその問いかけに答えようとすれば、俺を異性として意識せざるを得ないだろう。なぜなら、俺の言葉は澄恵の結婚相手として立候補しているようなものだからだ。


 もちろん、この揺さぶりが原因で澄恵と気まずくなるリスクはある。

 だが俺は、リスクを負ってでも澄恵と距離を縮めたい。どうしても、澄恵と付き合って毎日イチャイチャしたいのだ。


 そんな決意と共に、覚悟を決めた俺はゆっくりと口を動かす。


「なっ、なら、相手は――」


「でも、カゲくんじゃダメだろうな~。だって、カゲくんが大人になったらお給料安そうだもん。申し訳なくて養ってなんかもらえないよ~」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の決意と覚悟は一瞬で消し飛び、かわりに頭の中で何かがプチっとキレる音がした。


「ほ、ほほーん。まあ確かに、俺みたいな頭もよくないクソ陰キャは給料のいい会社になんて務められないだろうなぁ……まあでも、俺もスミちゃんを養う気はないから安心してよ。俺、尽くしてくれる女の子が好みなんだけど、スミちゃんは寄生虫タイプみたいだからなぁ」


「き、寄生虫……」


 すると、スマホから顔をあげた澄恵は、仮面のように張り付いた笑みを浮かべて俺に視線を向ける。心なしか、眉と口元がヒクついているように見える。


「そ、そっか~。じゃあ、お互い気の迷いで付き合わなくてよかったね~。甲斐性なしと寄生虫じゃ、一緒に暮らしていけないもんね~。何かの間違いで子供ができちゃったら大変だよ~」


「か、甲斐性なし……いやぁ、興味ない相手との間に子供なんてできないから大丈夫だよ。スミちゃんは心配性だなぁ」


「それもそっか~。興味なきゃ何も起きないもんね~」


 そんな言葉を交わし、俺と澄恵は声を出して笑い合う。

 その笑いは、本当に清々しいくらい、息の合った大笑いだった。


 だが、笑いが止んでから放課後になるまで、俺と澄恵が言葉を交わすことはなかった。


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