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第七十五話

「──そこまで」


 それは文字にすれば、たった4字のなんてことのない制止の言葉だった。篠崎の蹴りが当真瞳呼を捉えようとした瞬間、聞き覚えのない女の声が場に差し込まれ、同時に篠崎の体がバランスを失い墜落する。


「っ、剣太郎!」


 珍しく切羽詰まった声の篠崎の意図をはたして正しく伝わってか、(おそらく)蹴りの後の追撃として攻撃モーションに入っていたであろう刀山が即座に中断し後方へ下がる。


 当真瞳子はといえば、成田を抱え、私達のいる最前列の座席から手前の欄干にその足をかけていた。成田を救出するまで、という一対一の縛りを弁えていた篠崎と刀山の乱入に入れ替わる形で離脱していたわけだが、刀山と同様に状況を理解してか私や凜華、桐条さんに目もくれず対の方向へと身構える。


「いったい何が──」


「──少し黙って。今、あなたの相手をしている暇はないの」


 残念ながらね、と付け足したのは軽口のつもりだったのか。しかし、いつもの皮肉めいた煙の巻き方とは違い、どうにもおざなりといった感じ。余裕がないのは本当らしい。


 ややあって、刀山、篠崎の順でこちらへと戻ってくる。特に攻撃途中で不自然に倒れた篠崎は、態勢を即座に建て直し、当真瞳呼を牽制しつつの後退の中、結果的には無事に帰還出来た。ただそれも、ぎこちなく動かしていた片足を見るに事態は楽観的とはいかなそうだ。


 あの瞬間、何をされたかは知るよしもないけれど、状況から当真瞳呼の手妻とは思えない。月ヶ丘清臣の可能性も低いだろう。隅で棒立ちしていた『新世代』らは論外──我ながら白々しい。誰かは知らなくとも誰がやったかなど明らかだ。


「──まさか、当真瞳呼(その女)と組んでいたとわね。『調停者(ちょうていしゃ)』」


 当真瞳呼に向けた時の視線そのままに、さらに後方へと見据える当真瞳子。そこには一連の仕業の主であろう影が一つ。声、形から女であるのは間違いない。ちょうど当真瞳呼をすり抜けて歩く『調停者』と呼ばれる女。その出現に『新世代』達からざわめきが起こる。


 その名が出ただけで、成田を囲んでいた時も当真瞳子らが乱入した場面ですらなかったリアクション。味方の援軍ならば沸き立つのも無理はないけれど、ざわめきそのものは喜びというよりは戸惑いというのが近い。


 そこにどういう意味合いがあるのかはともかく、先ほどまでのような緊張めいた雰囲気が霧散されたのは間違いない──こちらの方が腕利きの異能者が多いにも関わらずに、だ。


「(──それほどの相手なの?)」


 やや細身の体型に、長く伸ばした髪をただ一つ後ろにまとめた姿はその身にまとう白のワンピースと相まって清楚なお嬢様と見えなくもない。ただし、ここが学園内という中での空気の読めない装い(『新世代』はもちろん、当真瞳呼ですら制服姿)は“露骨”さもあってか、微妙な胡散臭さがついてまわる。


「えぇ、戦力のバランスから今回は当真瞳呼(こちら)の陣営につかせてもらいました」


 どこか不自然に貼り付けた笑顔で女は言う。味方であるはずの『新世代』達が困惑するのもなるほど、と思う。その所作のほとんどが過剰に形式ばっていて本心が全く見えてこない。正直なところ、当真瞳子とのやり取りも会話の内容ほどコミュニケーションが成立しているのか疑わしい。


「いつ、こちらの味方になった事があったのよ──まぁ、仮にそうなったとしても御免だけど」


「そろそろ、彼女が誰なのか教えてもらっていいかしら?」


 毒づいた当真瞳子を尻目に質問の矛先を篠崎に向ける。当真瞳子の性格からして、敵に飛び出さないという事はいきなり戦闘が再開する可能性は低い。仮にも顔見知りである為か、能力の射程の関係か、いずれにしても、それどころでなくなる前に少しでもかやの外にならないよう事前知識は多い方がいい。


「──序列一位さ」


 自らの足が気になるのか、篠崎の返答は固い──もしかすれば、それ以外の理由からかもしれないが。しかし、なるほど、とまた一つ理解する。『序列持ち』と呼ばれる異能者が厄介なのはもはや身に染みている。その一位なら戦況を左右するのも、周りの反応の複雑さも察しようというもの。けれど、新たに一つ、疑問が生まれる。


「序列一位は成田ではなかったか?」


 私と同じ疑問を口にしたのは桐条さん。成田が序列一位なのを知ったのは当真瞳呼経由だったのでその場で直接聞いた分、反応もその先の行動も一歩早い。


「そんなの、私達が卒業した(抜けた)からに決まってるじゃない。私がいたら私が一位よ」


「私の相手をしている暇はなかったはずではなかったかしら、当真瞳子?」


 目線を固定したまま当真瞳子が会話に割り込んで返す。私の指摘など聞く耳を持つつもりはなくとも、我を張るのはこの段になっても変わらないらしい。──どうでもいいけれど、寝ているはずの成田の顔が凄い事になっているわよ。


「……でもあの女は違う。私の十四位、逆崎くんの十一位、『皇帝』の十位、空也の七位、『王国』の五位、剣太郎の三位の上にたつ、黄金と呼ばれた世代の序列一位──少なくとも当時はそうだった」


「なんでそれが向こうについたの」


「ちまたにいるでしょ? ナチュラリストだとか、ミニマリストだとか、古くはベジタリアンかな。自然主義を生活に組み込む面倒くさい連中が」


「──この際、言葉尻は問わないけれど、想像は出来るわ。要は主義に凝り固まったタイプね」


「あの女は極端に偏った状況を嫌うの。絶対に勝つ、負けるっていうのをね。その負けそうな陣営について、世の中の公平を保った気になっている痛い女よ」


「つまり、私達が有利って事?」


「どうかしらね。加わった時点で厄介だし、おの女、昔優之助に振られた事があるから腹いせもあるんじゃない? いるでしょ? 普段から守っているものを都合よく解釈して破るタイプ」


「優──御村が?」


「といっても、絶対的不利な状況であの女が手助けしようとしたのを振り払っただけなんだけどね。気にくわないってさ──私も同感よ。好きでも嫌いでもなく、ただのシステムとして共闘するなんて。ある意味、己が信念に動く異能者らしい考えだけど、無機質が過ぎる」


 私としてはどちらも面倒くさそうな精神構造だと思うわよ、とはもちろん言わない。


「『調停者』というのは行動に関して名付けられた異名。──られた、といっても実際はそうなるよう『調停者』本人がそう仕向けたって言う方が正しいわね。まぁ、『王国』と違って自分は知らないみたいに振る舞っていたけど」


 語尾が歯切れ悪いものとなったが、その先は皆まで言わなくても分かる。そんな酔狂がまかりとおるほどあったのだろう──実力が。当時の事がよほど業腹だったらしく当真瞳子の口元は苦みでひきつっている。


 一方、『調停者』はといえば、当真瞳呼と入れ替わる形で無造作にこちらへと歩を進める。まるで空を征する足も、奇跡のような剣腕も、まして殺意を形作る瞳すら自分の前では無力と言わんばかりだ。


「すごい自信ね。少しは謙虚さってものを覚えた方がかわいげがあるわよ。そういう振りではなくね。取り繕っているつもりでしょうけどにじみ出ているわよ──高慢さが」


 ──だから敬遠されるのよ、と当真瞳子の舌が棚にあげたままなめらかに動く。しかし、その軽口とは裏腹に『調停者』を冠する(自称か)女に対して油断なく身構える様は当真瞳呼と対峙した時ですら見られなかった“緊張”のようなものが感じられる。


「──それほどの相手なのか?」


 同じく目線を『調停者』達に照準を合わせながら奇しくも私の内心によぎった言葉を凜華が問う。


 その腕の中にはいつの間に当真瞳子から受け取ったのか、未だにぐったりとしたままの成田がその身を預けていた。この後の事を考えれば、『怪腕』任せた方がいいという判断に間違いはないけれど、どうにも邪魔で押しつけられたとみるべきか。


 それでも任された役割に違いはなく、状況からすればこの上ない適材適所と言える。それを理解してか、たまに見せる痛烈な混ぜっ返しを表に出さず、口調に淀みはない。


「まぁね。絶対に勝てない、とは言わないけど、あれでも序列一位だったからね。──それに前よりやりにくくなってる」


 と、篠崎。


「と、いうと?」


「彼女、能力の制御はかなり大雑把だったんだよ。昔なら当真とう──向こうのだよ──当真のおねーさんを巻き添えにしていたはずさ。だから近接に持ち込めばどうにかできたし、今みたいに不意をつかれても下がろうとは思わなかったんだけど……」


「手持ちの情報を鵜呑みにして安易に近寄るには危険が過ぎる。空也の判断は妥当だ」


「けれど、離れていたのでは結局同じではなくて?」


「仮に射程が延びていたとしても大なり小なり威力は減衰するし、君やそこに月ヶ丘の人もいるわけだし、制御できるといってもみだりに使わないでしょ。もし、攻撃してくるにしても、それはそれで情報になるさ」


「(つまり私や月ヶ丘清臣は盾代わりか)」


 顔に似合わず発想が汚い。普通なら腹の一つでも立てようというものではあるが、真正面からこうもあっさり言われると腹も立たない。それに──


「──戦わない、というわけではなさそうね」


「「「当然──」」」


「──よ」

「──さ」

「──だ」


 語尾は違えど、その戦意に優劣の差はなく序列一位に対峙する当真瞳子達。私の扱いがどうであれ、結局のところ矢面に立つのは彼ら彼女ら異能者だ。仮に私が倒れたとするなら、その前の順番にいる存在だ──そして今も。


 双方を隔ててあるのは舞台と座席とを分ける欄干を腰の位置ほどの段差のみ。距離も先ほどからゆるゆると近づいていた『調停者』とは各々の射程範囲内まで狭まっている。戯れ、気まぐれでもそれぞれの能力を振るえば攻撃が成立する、まさに一触即発。


「一応、確認しますが、本当にいいのですか──私と戦っても。どうせならもう何人か待ってからの方が良いと思いますよ?」


「相変わらず、清々しいくらいに上から目線ね」


「それにすっごく嫌み。待つ気なんてこれっぽっちもないくせに、さ」


「お前の御託に付き合うつもりはない。さっさと“出せ”」


「──ふふっ」


 微笑そのままに『調停者』の足元──正確にはその影が厚みと平面の両方が拡大していく。いくら薄暗い講堂内とはいえ、光源は一定の位置で固定されている以上、あり得ない。


「あれに触れちゃダメだよー。なるべく離れて見てね」


 巻き添えを気遣ってか、こちらに忠告する篠崎。あんな得体の知れないものにほいほい近づくと思われているのが心外だけれど抗議するどころではない。能力の余波によって講堂内は既に影響が出始めているからだ。


 『調停者』を中心に軋む音、それはまるで舞台が呻き声をあげているようでもある。その正体は重力、それも光を歪ませ、影と錯覚させるほどの高出力──あれが序列一位の能力。


「お手並み拝見といこうか」


 それはいったいどちらに対してなのか、取り繕いのない月ヶ丘清臣の呟きは期せずして戦端を開く合図となった。

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