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第六十二話



      *



 肺が規則正しいリズムを保ちつつ機能しているのを感じながら学園へと通じる山道を走る。


 ほんの一月前、同じ道を汗だくになりながら息も絶え絶えに愚痴っていたのはいったい誰だっただろうか。今の自分は汗をかき、せわしなく呼気を働かせているが、そこに疲れという言葉はない。ほんの少し前、序列持ちとやりやったばかりだというのに、まるでどこかへと置き去ったようだ。


「まさか、別の事を優先すると決めた途端に()()なるとはな。ままならないもんだよなぁ──ハル、カナ」


 昼休み終了と午後の授業開始を告げる1時の鐘を聞きながら、俺──御村優之助は吐いた独り言を叩きつけるように地面を踏みしめ、そして一層強く蹴りだした。



「──つまるところ、講堂に向かえばいいんだな?」


 逆崎と創家の話がひと段落した後、自分でも不思議に思うほど平坦な声で確認をとる。()()()()の話を聞いておいて落ち着き払えるのは大人になった証拠だろうか? そんな風に自己分析をしながら今後の手筈を考える──()()()()()()()()()()()()()()()


「いやいや、ちょっと待て! 御村。()()()()()()()()()


「『スロウハンド』の──逆崎の言う通りだ『優しい手』。その役目はおまえのものではないし、そもそも別に向かうところがあるはずだ」


 逆崎縁(旧友)と『ドッペルゲンガー(拳を交えた相手)』、二人に水を差され、進みかけた足が止まる。あんな話を聞かせておいて、いったいどういうつもりだろうか。


 抗議に振り替えてみると、手が届く位置まで近づいていた逆崎が鉄砲玉かよ、と失礼な一言を呟きながら俺の体を元の方向へと戻す。されるがまま目線が上向き、続いて肩越しに伸びる逆崎の腕──正確にはその指先──がとある一点に向けて示めされる。


「──おまえが行くのは()()()だ」


 指し示された先に見えるのは、うずたかく整備された学園の外壁、そして壁を通した向こう側にはわずかに見える校舎や学生寮といった建物の頂点。それらのおかげでここからでもおおよその配置が推察できる。あの位置は──


「──事務局か?」


「正確にはおまえの本来の目的の元へ、ってとこだな。追う資格があるのはただ一人──おまえだけだ」


 逆崎の言葉がハルとカナの事を指しているのだと容易に気付く。頼みの『制空圏(レーダー)』は今も()()にならず、ハルとカナの居場所を探るあてはない。しかし、勝利条件が明確な以上、向こうの目的地で張っているだけで事足りる──あくまで俺の都合だけを考えるなら、だが。


「それは無理だろ。そんな事をすれば、生徒会が突き上げを食う理由を与えてしまう」


「……おまえ、()()()()()()()()()()()?」


「──あっ」


 気のない口調で指摘する逆崎の一言に妙な納得を覚える。言われてみればたしかに、()()()()()()同士でいざこざがあったとしても、生徒会に直接ダメージはない。


 そもそも生徒会──ひいては天乃宮家を秘密裏に協力するのは、それを見越しての事だったはず。生徒会との繋がりを明示するものは何一つないし、下手に突っつけば、むしろ不利になるのは実の兄が不正に入学しているハルとカナの方だ。ようやく気づいたかとばかりに逆崎の言葉からは呆れが混じる。


「さすがに大暴れするのは問題外だろうが、おまえの力量なら騒ぎを最小限に抑えられて、最悪バレても天乃宮と当真(大元)は困らない──誰も気づかなかったのか? 普通に考えればすぐわかるだろ」


「……返す言葉もない」



      *



「──よかったのか? 伝えておかなくて」


「それも含めてあいつの領分だ。ま、ちょっとしたサプライズってとこだな」


 今度こそ行く先を見据え走り出した優之助を見送る逆崎縁と創家操兵。思わせぶりに確認をとる創家に対して、逆崎は軽薄な口調で返すが、それとは裏腹にこの上なく深いしわを眉間に刻む。


「今、言ったところでどうこうできるもんでもないしな。たぶん、瞳子のやつも同じ選択をしただろうさ」


 そうか、と短く締める創家。いつしか逆崎と同じく面を固くさせていた創家が珍しく言いよどみ、しかし意を決して口を開く。おそらくは残った二人──残ったというより行先が優之助と違うというのが正しい──がこれからやろうとする事について。


「──御村には悪いが、こちらの用事は変わらない」


「ま、そうだろう……な」


「付き合う義理はないぞ、逆崎」


「……意外に気を使う奴だな、創家」


 一瞬、何の事か思い至らず視線が宙を舞う。しばらくしてどれを指すのか察した逆崎の返答は照れ隠しなのか、冗談めいた色を込めていた。そう、創家操兵がこれからやろうとする事は逆崎縁にとって何の関係もない話。創家本人が言うように付き合う義理などかけらもない。


 それでも、逆崎の態度に一筋の迷いも見られない。まるでそうする事が当たり前だといわんばかりに。


「(──なるほど、類は友を呼ぶというのは本当らしい)」


 そのところどころの仕草が身の上話を聞いた後で誰かを殴りにいこうとした御村優之助とダブる。他人の為に骨を折る事に何の疑問を持っていないところが特に。


「別に大した話じゃねぇよ。願ってすらいないものを押し付けられるのは、願ったものと違うよりタチが悪い。ただそう思っただけだ。それに──」


 ──袖すり合うもなんとやら、だ。再び冗談めかした風にはぐらかす逆崎を見、固い表情の地味顔がほんの少し崩れた。



      *



「──よぉ、そんなに急いでどこいくんだ?」


 自分の吐息で占められた聴覚にそれ以外が混ざったのは校門からほんの手前まで来た時の事だった。


 とぼけた口調だが、どこか不安にさせる声色。例えるなら猛獣にすり寄られた感じか。本人の機嫌はともかくすり寄られた方はたまったものではない。そんな相手を見逃すのだから今の俺は相当キテるな、と自嘲する。


「っ、授業に遅れそうだからだよ。おまえこそ、なにサボってんだよ──国彦」


 湧き上がるものを抑えて口走るのは、白々しく、くだらない冗談による応戦。そんな安っぽさにもかかわらず公道に足を投げ出した大男──『王国』王崎国彦は愉快そうに肩を震わせ、漏れた空気を噛み砕く。


「なんでここにいる? 高原市(こちら)側には創家しか通らなかったはずだが?」


「創家? あぁ、『ドッペルゲンガー』の事か──なんだ、()()会ってねぇのか」


 呟きはこちらに向けて、ではなく何かを理解し自ら処理した体に見える。こちらのあずかり知らぬところで勝手に納得されるのは釈然としないのだが、当の国彦に答える様子はない。引っ掛かりはあるものの、答えを強いたところで話すとも思えず次へ進める。


「瞳子達と戦ったのか」


 これは確認ではなく確信を込めて問う。注意深く──というほど大げさなものではない──見れば、国彦の体のあちこちに土やら葉っぱやらが張り付いているし、ついさっき笑った時も砂がちらほらと落ちていくのが見えた。どちらも掃ってみたものの取り切れなかった証拠だ。


 何より制服が肩から脇腹へ斜めにかけて薄っすらと裂け目ができ、二の腕の部位に至ってはいったい何をくらったのか衣服そのものが千切れ赤黒く内出血した地肌を晒していた。


 さすがに隠せるような状態ではないので一目みればわかるものだが、自分から言わないあたり結果は嬉々として語れるものではないだろう。きまりが悪そうに頭を掻いてまたもや砂が落ちる。


「──んな事はどうでもいいんだよ。事務局だかなんだかに行くんだろ? 邪魔はしねぇよ。とっとといきな──それとも今ここで決着をつけるか? 俺は別にどちらでもいいんだぜ?」


 言うや否や赤黒くなった部分がその色味を本来の肌色へと回帰していく。あらかじめ蓄積させたカロリーを維持ではなく回復に転嫁させる事で内出血どころか骨折しているであろう怪我を瞬時に治す『王国』の能力『リジェネレート』だ。


 おそらく相当量を食い溜めして今日に備えたようで、急激な肉体修復を経ていながらも始業式の時(前回)とは違い、ガス欠した様子はない。怪我が完治し、カロリーもどれほど消耗したかわからない。


 もちろん戦うとなれば負けるつもりはないが、後の事を考えると、ここは通してもらうのが得策だ。特に拘泥せず、素直に国彦の好意(?)に甘える事にする。


「──いや、後回しにしてもらう方がありがたい」


 というより、できればずっと後回しし続けていてもらいたい。という本音は当然、国彦に届くはずもなくわかればいいんだよ、と悪態をつく。


 しかし、そもそも呼び止めたのは国彦の方からなので、煩わしそうに悪態を吐かれる()()()はない。まぁ、瞳子達にやりこめられたのを指摘されて不機嫌なのだろう。正直、知ったことではない。


「通してくれるのはありがたいが、いったいどういう風の吹き回しだ? そうならないようにするのがおまえの仕事内容じゃないのか」


 知ったことではないが、雇い主()との契約を無意味に破るタイプではない。いったい何をもって、心境に変化があったのかは多少気になる。


「いらん横やりで水を差されて今更元の依頼も何もあるかよ」


 つまらなそうに自らの後ろへと首をかしげる国彦。つられてそちらを見ると道路脇にうっそうと生い茂る木々と植物の絨毯、学園に続く山道なら嫌でも見る景色だが、その中で一筋、サイズにして人の肩幅分、緑が乱雑に掻き分けられ道ができている。


 どうやら国彦は整備された道路を選択しなかったらしい(どこから侵入したのかは不明だが)。さらに国彦のもと来た道を目で辿っていくと、森ではまずお目にかからないであろう青と灰が至る所に点在している。青は天乃原学園の指定ブレザー、灰は同じく学園指定のズボンないしスカートの生地──つまり学園の制服に身を包んだ何者かが何人も横たわっていた。


「例の『新世代』って連中か?」


「なんじゃねぇの? 問答無用で襲ってきて適当に相手してやったら聞き出す前にあのざまだ」


 気のない返事で昏倒させた事、そして暗にではあるが『新世代』についても既知である事を認める。その上で、国彦はさらに嘯く。


「にしてもよ、『新世代』だか何だか知らんが、こいつらで異能者──序列持ちをどうこうできるとでも本気で思ったのか? 歯ごたえがなさ過ぎて逆にイラつく。ひきいている奴はそうとうお花畑な頭をしているじゃねえの──今頃、他の連中もそう考えてるだろうさ」

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