第四十五話
「──そ、それじゃあ、始めましょうか」
白々しい自己紹介もそこそこにハルとカナ──いや、海東遥、彼方姉妹に声を掛ける。そこはいつか望んだ誰にも邪魔されず、椅子を持ち寄っての差し向かいの状況。
「(……たしかに、願ったり叶ったりなんだけどなぁ)」
俺の後ろに陣取る他の生徒達の気配を感じつつ、どうしてこうなった──そういう気持ちが拭えない。
偶然にも海東姉妹とバッティングした選択授業は初回とあってか、自己紹介を兼ねたディスカッションの時間となった。面子・内訳は状況が示す通り、俺と遥と彼方の三人。
しかし、同じ授業を選んだ生徒は俺達を含め、全部で十二人。そのくらいの人数ならまとめてディスカッションした方が手っ取り早いと思うのだが、担当教員(この学園ではお目付け役と定義した方が近いか)が開始を宣言した途端、他の生徒達が五人と四人に分かれ、そそくさと始めてしまった。要はハブられたのだ、俺が。
おそらく示し合せての事だろう。ここでハルとカナが漏れたのは嫌われてではなく、俺だけ残すとどちらかに入ってしまうからだろう。自分のいるグループに入れないようにするには確実な手段といえるかもしれない。
この場合、なぜハルとカナなのか。説明がいるとするなら、二人が俺に物怖じするとは思われていないからで、つまりはそれだけ買われているのだ。誇張でも、勘違いでも、まして、お世辞でもない事実として。
そもそもの話、ハルとカナはこの学園でもかなり有名な部類に入る生徒だ。この学園でも当たり前にある実力考査でトップクラスの成績をたたき出し、全国模試も上位に名を連ねた事がある学業成績は当然の事、生徒会の目に留まり、会長にスカウトされたのだが、"運営手法やり口があわない"という理由でそれを蹴ったエピソード込みでひとかどの人物として認知されていた。いわゆるクールでイケてるスーパーな女子高生というやつだ……いろいろ古い上に古臭いな。
ちなみに勧誘を断った際、衆人環視の前だったので生徒会に真っ向から対立したとして、いつ退学処分になるのでは、と周りから野次馬めいた心配をされているらしい。だが、生徒会の真実を知る身としては、袖にされたからといって天之宮姫子が優秀な人材を手放すなんて愚行はしないので特に心配していない──ハルとカナが明確な敵対行動をとらない内は、だが。
どうやら、俺がこの学園に編入せざるを得ない理由となった、"ハルとカナが退学の危機にある"という瞳子の方便はこの事からきているようだ。
とまぁ、やや脱線したが詰まる所、二人は貧乏くじを引かされたに等しい。俺としては望ましくとも、俺と距離を置きたい二人にとっては腹立たしい事こと上ないだろう。俺の取った行動のとばっちりをバッチリ受けたのだから無理もない。
俺はといえば、いきなり面と向かっての相対に幸先が良すぎて、逆にどう接していいものやら困る。短期留学なんて手段でかわされ続けたのだから、もう一波乱あってもいいはずと、変に高を括っていたので、むしろ出鼻を挫かれた感じだ。
「──なんか、周りが勝手に始めちゃったしね」
後出しで言い訳をこねくり回しながら、二人の反応を伺う。というか、ちゃったしね、ってなんだ? と自らの気持ち悪い言い回しに内心つっこみを入れながら、それでも腰を低くする──してしまう俺。
「──その卑屈さは、何かの嫌味か皮肉ですか? 御村君」
こちらがすり寄るのをハルが容赦なく撃ち落とす。君付けの方が嫌味か皮肉じゃないのか? という気がしないでもないが、初手を間違えたのはたしかに俺の方だ。
「いや、そういうつもりはなかったんだが……。初対面だと、どう接していいかわからなくてね。馴れ馴れしいのは嫌かと思っただけなんだ。気を悪くしたなら謝るよ」
取り付く島もないハルにそう弁解しながら、一方で気まずい空気から逃げたいが為に監視員役の男性教師を見る。当の本人は五人と四人と三人に横たわる明らかな疎外感を特に咎める様子もなく、日誌(と思われるもの)に何やらせっせっと書き込んでいる。
この学園ならではの影の薄さだが、俺の視線を受けないよう、やや過剰にペンを走らせる姿は俺に"見逃してくれ"と訴えている風にも見える。線の細く神経質そうな二十代後半の男性教員だ。立場もなく、押し付けられた──主に俺を──と見え、その表情はなんとも悲哀を誘っている。存外、何かしら吹き込まれているのでは? と思う。"今まで以上に関わるな"、"向こうのするがままに任せろ"そんな所だろうか? 理事長あたりなら、やりそうな気はする。
「──いいえ、私も少し態度が悪かったようです」
俺の逡巡を見飽きたのか、ハルが一言。どうあがいても無駄とわかっているからだろう。下手にゴネるより流した方が面倒がない。そんな消極的肯定にも見える。
カナの方も特に異論はないのか、俺からできるだけ距離をとっているものの、ギリギリ会話が成立しそうな距離をハルを挟んで確保していた。
二人とも軟化したわけではなく、あくまで妥協の範囲なのだが、一応話は進みそうだ。そうか、と特に引っ張る事はせず、開始を受け入れる。ディスカッションの内容は自分が選択した授業──ひいては進路にまつわる事。既に始めている二組のグループの方へ耳傾けると、生徒会長のスピーチの分析、具体的なテクニック、といったディベート関連が多い。
「こちらは何を話し合ったらいいと思う?」
「何を目指しているのか? ──それでどうでしょうか、御村君?」
「すまない、もう少し具体的に頼む」
「言葉通りの意味ですよ。分かり辛いというのなら、無難に進路の事で構いません──そちらはすでに決めているのでしょう?」
三年前から。そんな幻聴すら聞き取れそうなハルの台詞に、答えを窮する俺。いっそ開き直って、決めるどころかもう進学しているけどな! くらい返せばスッキリするだろうが、当然ながら出来るはずがない。幾分か迷った末、"設定"に無理の出ない範囲で三年前と同じ選択を口にする。
「──教師になろうと思っている」
在りし日の妹達に向けて告げたものと一言一句過たず発音する。一度喋りだすと重たげだった口元は嘘みたいに軽くなるのはよくある話。堰を切ったように、地元の大学に進学する事、体育の教員免許を狙おうとしたが、そこの教育学部にはなかったので社会科を目指している事、元いた高校の担任にその事を話したら鼻で笑われた事など、しまいにはどうでもいい内容を滑らせていく。
「どうして──どうしてそれを選んだんですか?」
言葉の上では定型の質問だが、俺達の間ではそれは空々しいやり取り。何を今更、とも思う、しかし何故を問うハル、そして、こちらを密やかに伺うカナは他人としてではなく、家族の"それ"だ。
「──最初は教師どころか大学に行くつもりすらなかったよ。なるべく早く働けるようになりたかったからな」
だから、俺は変わらず三年前と同じ気持ちで話す。二人の兄として、どうしてその道を選んだのか、後に続こうとする二人にとって、何らかの道しるべになる事を願って。
「でもそんな時、世話になっているや──人から、せっかくだから、大学を楽しめと言われてさ。進学する事に決めた。だけど、ただ大学行って、ただ卒業しましたでは悪いと思ってな。大学ならではの資格をとってそれを仕事にしようと思った」
社会を選んだ理由はさっきも言ったが消去法。体育以外の科目は取得可能だったが、英語は苦手で、理数系も同様に苦手意識がある。残ったのは国語と社会。社会なら、まだ取っつきやすいかと思い、そういう道を選んだ。
「なっちまえば固い職業だもんな、教師って。大学に入って無駄にならない為に選んだけど、思えば、これでよかったと納得してるよ」
たった二人の妹達家族の気持ちを察せられなかった俺が人を導く教師に向いているなんて、おこがましい勘違いをしているわけではないが、なりたいものを遠慮する理由にはなりえない。
わずかにくすぶる負い目を隅に追いやり、大学三年間、順調に単位を取り、教育実習の予定まで組んだが、結局いけなくなった、とまでは言えず、一人語りは続く。
「地元じゃあ、ガラの悪い異能者が多いし、教師もそんな連中を御せる人材が求められる割に肝心のなり手が少ないんだ。歴戦の異能者は当真の実戦部隊にいくし、地元の母校というのも多少は勝算に繋がる──なんて下心もあるけど、さ」
思春期にさしかかる問題児の吹き溜まり、るつば、蠱毒、呼び方はなんでもいい。あんな母校の教師、向いているかは別にして、俺くらいじゃないと御せないという自負はある。
「だから俺は選んだ、教師への道を── ハルとカナは違うのか? ここは教育学専攻教室だろ?」
選択授業(正確には選択教科というらしいが)は必修教科(国数などの)とは違い、国の学習指導要領に依らないその学園独特の学習活動を構築できる。俺とハル、カナが選んだ科目名『教育学専攻』は教育学部志望の生徒──つまり、教師になりたい生徒が集まった教室なのだ。
「──ここを選択したからといって、教員志望とは限らない。そう思いませんか? 御村君」
俺の断言に対して、そう言ってはぐらかすハル。その装いからは家族から他人に戻っている。他人の目があるからだろうが、自分を見せないのは、やはり向き合うなんて簡単にはいかないという証左だろう。
また、ハルの言った事も残念ながら事実だ。『教育学専攻』の授業は提携する大学の紹介や授業風景の観察、現役学生との対談など進路先を想定したカリキュラムの他、適切な授業作りを下支えする弁論技能の習得が盛り込まれている。
しかし肝心の教員免許の取得が大学である以上、提携企業での就業体験がある他の授業とでは、比較的に得られるものが少なく、どうしても見劣りしてしまう(目の前に教師というなによりの"教科書"が居るが、具体的な業務を教わろうとする生徒はいないだろう、少なくともこの学園においては)。極論だが、仮に教員志望でもここを選ぶ必要はない。大学で教員免許取得の単位を履修すればいいのだから。
それでも、あえてここを選ぶ可能性があるとしたら、自身の進路志望が高等部の選択では抑えきれない分野か、あるいは自前でいくらでも補える自信があるかのどちらか。要は"授業を流す"か"レクリエーション感覚でディベートの練習"に来た生徒──ハルの言う教員志望とは限らないというのは、そういう意味だ。
俺の後ろでディスカッションに勤しむ連中は十中八九、そんな面々で固められている。まぁ、連中はそんな舐めた"選択"をしたから俺という"ババ"を引いだのでざまあみろ、という所だ。いや、結局は空しいだけだが。
だが、目の前の二人は違う。そんな片手間での選択はしないと家族である俺がそう確信している。そして、ハルとカナのクラスは三年A組──学業成績上位者で構成された進学希望組。離れてからこのかた、数少ない情報から辛うじて読み取れる彼女達の意志を確かめようと、身を乗り出しそうになるのを抑えつつ、改めて問いかける。
「──二人は教師を目指しているのか?」
「あなたに言う必要は──」
「──そうだよ」
ほぼ同時に発せられた否定と肯定。切り捨てるように言い放とうとしたハルが隣のカナを呆然と見つめる。カナはどことなくおっかなびっくりな挙動(ハルに対する気まずさからだろう)で、ハルの視線を受け止める。その挙動とついさっきの通る声が俺の中でうまく重ならない。だが、間違いなく彼女だ。それが事実と示すように一拍おいて、続きを紡ぐ。
「ハルちゃ──姉の遥は数学、私が国語の教師になる予定です──時宮地元の大学を受験して」
先ほどまでの声の細さはどこへやら、カナが自分達の選択を淀みなく告げる。同時にカナの体が少しずつ、ハルの後ろから横、横からやや前のめりに隠れがちだった姿をこちらへと向ける。それらはむしろ俺に問いかけているように見える。
──自分達をどうしたいのか、を。




