第百四話
時は再び遡って、土曜の夜。
月ヶ丘朧に散々勿体ぶられた末、ようやく俺達の前に姿を現した当真十槍の二人目、その名は悪名高き“序列認定対象外”恋ヶ淵奈落。
類は友を呼ぶ──というたとえが適切かはともかく、瞳子と次期当主の座をかけて張り合う当真瞳呼に人格や当真十槍の人選を期待する気は毛頭なかった。だが、その想定もまだまだ甘かったらしい。異能者でなければ人にあらずと躊躇なく刃を振るえる女と、相手の命を奪うほど執着した恋を容易く捨てられる女──もしかすると、類友のたとえがどこまでも正しかったのかもしれないが。
「……会長、悪いがお叱りは後にしてくれ」
「その言葉、忘れないわよ」
俺や瞳子の様子から目の前の女生徒もどきが危険人物と理解したようで、会長がすんなりと引き下がる(いや、捨て台詞を考えるに、いうほどすんなりでもないか)。
あとは会長の護衛役でもある──俺が会長に詰め寄られた時もちゃっかり控えていた──真田さんに任せ、あらためて恋ヶ淵に相対する。
それにしても、と思う。キメ顔で堂々と名乗り出られる立場か? 恋ヶ淵。騎士峰も初手から本名をバラしたが、それとは別ベクトルで道理が抜け落ちている。まぁ、だからこそアウトナンバーということだろう。同類扱いされるのははなはだしく心外だが。
「まさか、あの女があなたを抱き込んでいたなんてね、アウトナンバー『色欲』」
会長と入れ替わるかたちで瞳子が恋ヶ淵に牽制を入れる。この間から不自然なくらい俺を矢面に立たせていたが、異能者の中でも一等の危険人物を決闘に参加させるとなると話は別のようだ。
「? わたしぃ〜抱くのも抱かれるのも大好きだよ? とおこちゃん」
「……多分、抱き込むの意味がわからなかったんだと思──痛っ!」
質問に対する手ごたえのなさか、単純に自分をちゃん付けする態度になのか、苛立ちを俺で晴らそうとする瞳子。そもそも恋ヶ淵にとって自身が言った以上の事情や背景など知るつもりはないだろう。裏表がないといわないまでも腹芸による探り合いが無意味なタイプだ。
「うわー、痛そう。だいじょうぶ? さすってあげてもいいよ?」
「遠慮する──じゃないな。いらん、結構だ」
こころなしか性的くさい恋ヶ淵の申し出を誤解する余地すらなく断る。少し強めの拒絶に、ざんねん、と口にするが言葉ほど気落ちが見られない。横で瞳子が見咎めるように俺を睨むが、乗ってもいないものをこれ以上どう断れというのか。
「あれくらい、有無を言わずに拳で応えなさいな」
「……無茶言ってんじゃねぇよ」
しかし瞳子ではないが、当真瞳呼がなぜ恋ヶ淵奈落を当真十槍に加え、なおかつ天乃原学園に遣わしたのか疑問だ。恋ヶ淵の戦闘力を指しているわけではなく、殺人を犯し、その上で何の問題もないと考えているのが問題なのだ。
瞳子の場合、異能ありきとはいえ人を害するほどの狂気や殺意を内に宿している。テレパスの一種であるそれは例えるなら声だけで他人の鼓膜を破るようなもの。当然、並のテレパス使いにできるような代物ではない。だからといって、瞳子が殺すことの倫理観をそなえていないかとなるとそれは違う。いざとなれば──いざとなる一歩手前で躊躇なくやれるがそれは命を軽んじていると同義ではない。
途中から瞳子のフォローで脱線したが、要は瞳子とは違って恋ヶ淵がこの学園でも月ヶ丘の二の舞を演じる可能性が高いということだ。同じ妖刀でも普段は鞘に収まり封印されているのと、常時抜き身とでは危険度は比べものにならない。その懸念通りになったとして、当真瞳呼がそれに痛痒を感じるとは思わないが、その心情とはうらはらに立場としては間違いなく破滅する。
それがわからないわけではなかろうに、当真十槍に抜擢するだけならまだしも、一般生徒が山ほどいる学園に野放しで忍ばせていることが不可解なのだ。
「──理解できないという顔だな。わかるよ」
察しが悪いのは恋ヶ淵しかいないこの場において、その言い回しは敵側の人間──別の当真十槍以外の選択肢はない。まるで錆びついた機械を無理やり動かしたような低く鈍い男の声。いわゆるバリトンボイスというのか、俺や剣太郎と比べても聞き分けられそうなそれは、広場の出入口──俺達がやってきた道とは別の──から俺達の耳にはっきりと届く。
俺達が広場のど真ん中に陣取っている分、距離はあるはずだが不思議とよく聞こえるもので異能の片鱗かとも考えたが、おそらくは違う。声の持ち主の危うさが自然に耳目を集めてしまうのだろう。放っておくとどうなるか心配で。
「早かったですね」
とは月ヶ丘朧の言。慇懃無礼というほど皮肉めいて丁寧というわけでも、言動の端々に高慢さをにじませていたわけではないが、新たに登場した男に対して目上にするような尊重を感じる。月ヶ丘朧が俺と同世代だと言ったことから察するに年上のようだ。
「早くはないさ。少し場を離れたせいで出遅れてしまったわけだからね」
そう返しながら男は月ヶ丘朧と恋ヶ淵を通り過ぎ、俺達の元へ──もいかず、昏倒したままの騎士峰を横たえなおしながら怪我の具合を確認する。
「(恋ヶ淵の非常識さを言えた義理はないな)」
義理というなら敵である騎士峰を介抱してやる必要はないと思うが、放置しても気にならなかった神経は他人に常識非常識を問えたものではないかもしれない。少なくとも騎士峰の回収を最優先に赴いた男がこの場の誰よりも一番まともに違いない。
「──なるほど、刀山剣太郎に倒されはしたが、傷そのものは軽いものばかり。むしろ異能の併用を続けていた方が命にかかわっただろう。介錯か武士の情けというやつだな」
「……いいように解釈してもらって悪いが剣太郎にそんな意図はないぞ」
無粋を承知でそう声をかけてみる。男はそうか、と短く頷いてからしばらくするとこちらに向き直る。どうやら騎士峰の状態を一通り確認し終えたらしい。
「当真十槍、“二世”鈴木二世だ。今回の代理決闘における現場統括、およびそこの恋ヶ淵奈落のお目付役も担っている」
先の二人と違い、律儀にも用意した偽名を名乗る当真十槍の三人目。こうして実際に経歴詐称バレバレの偽名を出されてもそれはそれで白々しいものだな、と余計な感想が頭をよぎる。
それはそれとして現場統括および恋ヶ淵のお目付役とはなるほど、恋ヶ淵をまったく放し飼いというわけではなかったらしい。いや、今さっきまで恋ヶ淵がフリーだったのだからどこまであてにできるのか怪しいが。だが──
「恋ヶ淵、私の許可なく勝手に動くなと言ったはず。ほんの少しの待機もできないようなら当真十槍剥奪の上、再び月ヶ丘の管理下に置いてもらうことになるが?」
「そ、それだけはイヤ! ね、ねぇ、あやまるからゆるしてよ! しーちゃん」
聞いているこちらが気の抜けそうな、しかし本人的には必死に詫びを入れる恋ヶ淵。その慌てぶりから見るに演技ではなく本当に頭が上がらないようだ。しかし、謝ったそばから偽名で通そうとしている仲間に“しーちゃん”などと本名を連想させるわきの甘さ、迂闊さを露呈しているようでは真剣に反省しているのか疑わしくなる。口走ってしばらくしても気づいた様子がないのだからなおさらだ。しーちゃんだけで特定するには難しくてもそれとこれとは別だろう。
「──月ヶ丘高校元序列二位、『アヴェンジャー』沢渡鷲士……でしょ? あなた」
こちらの目算を裏切るようにあっさりと正体を看破する瞳子。知っているならとっとと教えてくれてもよかったのでは? と思わなくもないが、当の瞳子は自分の推理がありえないとばかりに確認の言葉選びが探るようなそれだ。一方、指摘された側は嘆息しつつ、首を振る──バレていたか、と言わんばかりに。
「直接の面識はなかったはずだが? ……公にもならなかったはず」
「“あの女”に目を光らせていれば、どちらも知りえた情報よ──特にあなたとの因縁はね。だからこそ、信じられない。かつて“あの女”に恋人を殺され、たった一人で“あの女”が築いた勢力を相手取ったあなたがなぜ?」
「……」
瞳子の問いを黙殺する沢渡。だが、その沈黙に反して表情が雄弁に語る。正確にはがらんどうになった沢渡の心情が察するに余りある。だが、結局のところ瞳子がした質問の謎が残る──なぜ心を殺さねばならぬほど憎いであろう相手に従っているのか? そこが気にならないかと言えば嘘になる。しかし──
「──まぁ、そっちの事情を知ったところで何が変わるもんでもないしな。沢渡さんもそうだろ?」
「そうだ。君達と争うのは避けられない──むしろそうしなければならない理由がある」
「だろうな。まぁ、せいぜい退屈させてくれるなよ」
「──面白いことを言うな」
売り言葉に買い言葉、あえて俺の安い挑発に乗ってきた沢渡が俺との距離を一瞬で詰める。──速い。速度自体は瞳子の『不知火』と同程度、けして動きを追えないわけではないが、直立した状態から弾かれるように間合いを潰してきた。しかし、虚を突かれたとはいえ迎撃は不可能なほどではなく、拳によるカウンターを沢渡の前に置いてやる。要は沢渡からぶつかりにきたような形だ。
「やめなさい! 優──」
俺の軽率さを戒めるような瞳子の静止は間に合わず、気づけば俺の体が吹き飛んでいるのを脳が理解する。しかし、吹き飛ばされたといっても直に激突したわけではなく、こちらの拳が沢渡の体に触れる前に遮られ跳ね飛ばされた。まるで磁石の反発を直に味わった気分だ。
「……これが『アヴェンジャー』の異能か」
「恋ヶ淵を野放しにした詫びのかわりだ。お望みなら気が済むまで披露するが?」
その申し出はおそらく言葉以外の他意はないのだろう。隠すほどのものではないとばかりに手札の大盤振る舞いを提案してくる沢渡。
「いいえ、一度見ればもう充分よ。──そうよね? 優之助」
意外にも沢渡の提案を瞳子が率先して断りを入れる。俺の都合を確認しないのは珍しくないが、普段なら沢渡のお言葉に甘えて俺をダシに情報を搾り取るはずだが。
「俺はそれでもいいけど、本当にいいのか?」
「えぇ。タネは割れてるからいいの。言ったでしょ? 目を光らせていたと。──当然、あなたの手のうちも調査済みよ」
後半の部分は沢渡に向けた瞳子の言葉を、しかし当の沢渡は小揺るぎもせずに受け止める。それ自体は隠すまでもないという自身の態度に矛盾しないが、異能者特有の我の強さに由来する自信とは少し違う気がする。まるでその反対に自分の異能が大したものではないかのように。
「──多分、あなたの想像した通りよ。彼の異能は斥力に起因する反発。でも磁力によってではなく、空間転移の失敗による空間の重複が生み出す現象よ」
「なるほどな、だから弾かれるように加速できて、同時にこちらの攻撃も跳ね返せたわけだ──携帯も無事だしな」
懐から携帯を取り出し、無事に起動するのを確認する。後輩である成田稲穂は電気を操る際、金属や機械の類を身に帯びないようにするが、沢渡に接触したのに携帯が無事ということは磁力の線でないのは間違いない。
そもそもの話、沢渡鷲士の異能が空間転移であると把握しているなら、どのように使っていても逆算して仕掛けを見抜くのはそう難しくないだろう。空間転移が割れているから一度見れば充分というのはブラフでもなんでもないわけだ。
そして瞳子が太鼓判を押したように、俺の推測でもある沢渡が自分の異能に執着がないことにも説明がつく。かつて創家操兵が己が異能を他人に使われるのをよしとしなかったように、異能は彼ら彼女らにとって存在意義にかかわるほど特別なものだ。だが、沢渡の異能が不完全なものだとしたらその限りではない。
そしてここからは俺の完全な当て推量だが、沢渡が跳べなくなったのは当真瞳呼との因縁が原因ではないかと思う。異能が暴走するならともかく、俺のような半端者でもない異能者が発動に失敗することは本来あり得ないのだ。しかし、その心のありようを揺るがすなにか──恋人が殺されたとすればどうだろう?
だが、それを指摘したところで返ってくるのは、同じくがらんどうの沈黙だろう。そしてまたしても頭をよぎる疑問、何故当真瞳呼に従っているのか? それを知る術はない。今はまだ。




