第百ニ話
「──は? それはいったいどういう意味だ」
「どういう意味もなにも言葉通りだ。そちらの要求に応じる用意はある。ただし、こちらの手札を晒すのは五枚までだ」
それは遡ること、二日前の土曜。剣太郎と騎士峰の決闘後、月ヶ丘朧のとある提案に対する俺の反応から。前後の脈絡が抜けているわけだが、要するに『当真十槍』の正体に関するやり取りの一面だ。
大雑把が人の形をした国彦ですら気にかけているように『当真十槍』の正体は喉から手が出るほどほしい情報だ。なにせ、そいつらを片付けてしまえば面倒ごとの大半は解決するのだから。ならばとっとと調べるなりなんなりすればいいじゃないか、となるだろうが、ことはそう簡単ではない。
まず第一に連中を探すための手がかりや手段がない。学園に在籍はしているものの、編入した学年やクラスはバラバラの上、国彦と同程度の出席率のようでつかまらず、早々に思いつくであろう全寮制の学園にあって割り振られた部屋に張り付くという選択肢はルールを守る必要のない相手には検討するまでもなく除外だ。
そんなどこで寝起きしているかわからない、おそらく月ヶ丘朧の手引きもあるのだろう──当真瞳呼の代理人として派遣されたのは交渉役というより『認識阻害』の異能を買われての抜擢に違いない──彼ら、もしくは彼女らの身柄を抑えるのは難しい。少なくとも天乃宮や当真の意向を無視できない身としては手段を選ばず、というわけにはいかない。
学園内に限り最も強権を発揮できる天乃宮姫子なら、それぞれの家の関係も相まって押し出しを効かせることも不可能ではないだろう。しかし月ヶ丘朧も『当真十槍』も学園の問題解決としてもたらされた人員──建前上はそうなっている──である以上、潜入調査の一環で窓口係以外の正体を伏せている、などと言われてしまえば強引な追及はできないはず。
そもそも天乃原学園、ひいては天乃宮家に利益をもたらすなら当真瞳呼がなにを企んでいようが関係はないのだ。それでも会長が当真瞳呼や目の前の月ヶ丘朧に睨みを利かせているのは、先日の解任要求で当真瞳呼側が会長の不興を買ったからであって、下手に介入しようものなら俺達の方へ矛先が向かないとも限らない。だからこちらはこちらで粛々と役割を果たす必要がある。この場合でいうなら『当真十槍』
を表舞台に引き摺り出す必要が。
「なんで半分なんだ? 揃っているなら全員連れてこいよ」
「そちらの代表は五人しか揃っていないのだろう? ならば対になる我々の正体も半分明かせば十分のはずだが」
「おいおい、こっちは譲歩してやった側なのを忘れたか? 後からしゃしゃり出てきて他人の縄張りでこそこそやっていたにも関わらず、な。……あぁ、俺達だけじゃないぞ、会長──天乃原学園のトップにも仁義を切っちゃいない。なのにお前達の話に乗ってやった──違うか?」
「それについては天乃宮、当真両家の理解と承諾を得ている。君らにとって事後承諾ではあるが仁義は切っている」
「事後承諾ね。……いつ俺達が無条件で話を飲むと言った? 本家の意向とは別に現場では現場のルールや通す筋があるだろ。そもそも、ここに至ってもまだ会長に転入生の顔合わせを拒否するのは不自然を通り越して失礼だろうが」
「こちらの手際に不誠実があったのは認めよう。だが、それを盾にいつまでもたかられては当主選定や学園の問題解決──さらに個々の事情に不利益を被るばかりだ。いつまでも重箱の隅をつつきあうなど大人がやるには少々見苦しく、時代遅れすらある──そう思わないか?」
「──大人がやるには、ねえ。あいにく俺はまだ未成年なんでそっちを主張させてもらおうか。それに時代遅れ? その時代とやらが完全無欠に正しかったことがあったか? だったら天動説だって一世風靡しなかっただろうよ。進んだ、遅れたでなにか困るか? 極端な個人主義である異能者の発言とは思えない──言ったよな、これは筋道の問題だと。誰の物差しか知らん基準ではなくお前の筋を通せよ。筋が通っているなら仮に納得はされんでも理解はされるだろ。あと最低限の誠実さ、とかな」
などと偉そうに筋道を説いているが、側から見ればチンピラがゴネているだけだ。瞳子ならもっと上手くやれるだろうが、この手の類の交渉事を成立させる自信がない。正直、今も背中から嫌な汗が浮いて、その不快さを顔に出さないようにするだけで精一杯だ。
「──もういいわよ。話が進まないからとっとと紹介してくれる? この際、何人でもいいから」
そんな俺を見かねてか、当の瞳子がため息混じりに横車を押す。俺より数段面の皮が厚い瞳子には珍しい引き際のよさに少々どころではなく面をくらう。一方、月ヶ丘朧も意外そうに瞳子を一瞥するが、こちらは俺ほど驚きはないのか、そう間を置かず俺へと向き直る。
「──だそうだが?」
「……瞳子に異論がないなら俺の出る幕なんてねぇよ。だが一つ確認だ。正体を明かすのはいいが騎士峰以上の使い手はいるんだろうな? 『当真十槍』“一意”だったか──まさか散々勿体ぶっておいて明らかな格下や偽者、それ以前に十人も揃わなかった、なんてことはないよな」
言った俺ですら白々しいと感じる煽りは当然ながら月ヶ丘朧に大して痛痒を与えた様子はない。むしろハッタリやハリボテの類で揃えてくれた方がありがたいのだがそんなわけがない。騎士峰と同等かそれ以上を集められたからこそ、わさわざ大手を振って喧嘩を売りにきたのだから。そんな苦し紛れに挟み込んだ因縁をそれでも律儀に返す月ヶ丘朧。
「さすがに最強でもなければ、他より明らかに劣るという最弱でもない。序列のようなランキングではなく任命制である『当真十槍』は過度の競争によって才能を浪費するのを避けるのが目的だそうだ」
「だが、それを決めるのは結局、当真瞳呼が関わるんだろ? 胡散臭さが半端ないぞ」
「建前自体は一理あると思うが? 異能者同士の諍いが引き起こすトラブルは当人達だけではなく、むしろそれに巻き込まれる周囲の方にこそ爪痕を深く残す──御村優之助、おまえのようにな」
「……知ってたのか」
「これでも同世代だからな。当真の別世代より、月ヶ丘の同学年の方が事情に通じていても不思議はあるまい」
──まさか、本人に会う機会があるとはな、と自嘲する月ヶ丘朧。ところどころ砕けた言い回しが含まれていたのは同年齢ゆえの気安さが含まれるのかもしれない。もっとも、それが自然に出たものなのか、こちらの油断を誘う隙なのかは判断に迷う。
「一時は憎んですらいた異能者になった気分はどうだ?」
「特になにも。家族が好ましいとは限らないし、赤の他人と血縁以上の絆で結ばれることもある。……そんな当たり前の話に気づかなかっただけさ。それに──」
「それに?」
俺の薄い反応が気になるのか、肩透かしをくった格好の月ヶ丘朧が続きを促す。意外な食いつき具合だが、それに、などと接続詞を添えてみたもののたいした意味があるわけではない。だからこそ微妙に申し訳なさを覚えながら言葉を絞り出す。
「それに異能者は身勝手で他人なんて屁とも思ってない連中──その考え自体は今も昔も変わっちゃいない。ただ、自分が世界一偉くて他人をナチュラルに見下していても、他者の言動に何も感じてないってわけではないのがわかった」
──おたくらの当真瞳呼がどうかは知らんけどな、と注釈を忘れずに締めくくる。なんのことはない当たり前のことばかりだったが、当時の俺はそんなことにすら気づかない大馬鹿野郎でしかなかった。だからこそ、月ヶ丘朧の言うように異能者を憎み──そしてやらかした。
「……俺の身の上話なんざどうでもいいだろ。とっとと出してもらおうか」
いつの間にか話が横道に逸れているのに気づき、軌道修正をはかる。慣れぬ腹の探り合いに四苦八苦する俺から少し離れた後方には瞳子に加えて会長達の気配。おそらく俺の進行具合がお気に召さないのだろう、『制空圏』を発動させずとも会長の圧が触覚に突き刺さる。
──もどかしいのをとうに通り越しているのはわかるけど苛立つくらいならとっとと替わってくれんかな、とは口が裂けても言えないのが宮仕えの悲しいところ。いつ噛み付かれるのか胃痛を覚えながら、危惧が現実にならないよう頭をひねる。
「えーっ、やめちゃうの? おもしろそうだったのにザンネン」
懊悩する俺の耳をくすぐる女の声。捉えどころのない、まるで風船のような軽薄さは瞳子とも会長達とも違う第三者のものだ。
遅ればせながら目についたのは月ヶ丘朧の肩を借りてもたれかかる女体。こころなしか迷惑そうな月ヶ丘朧に構わず──むしろそこがいいのだとばかりに密着する面積を増やしながらこちらに愛敬を振りまいている。
触れるとくにゃりと音がしそうな肢体とそれを包むTPO完全無視で着こなした学園の指定服の組み合わせは、それ系のお店かはたまた個人的に援助してもらっているのかとばかりの空気を誤解を恐れずまとっていて、俺と大差ない感想を抱いているであろう女性陣の剣呑さが修羅場一歩手前まで上昇している。たぶん。
「御村、あの女は誰?」
「(違った、もう修羅場だわ)」
「い、いや直接知ってるわけじゃ──」
「わたし? わたしはね─恋ヶ淵奈落っていうんだよ。よろしくね、姫ちゃん」
なぜか突き上げをくらう俺をマイペースに遮り、正体を明かす。ころころと鈴がなるように、箸が転がっても容易そうに笑う姿はこちらの警戒など意にも介していない。初対面にもかかわらず“姫ちゃん”呼ばわりされた会長の心中とは正反対だ。
「……あなたには聞いてない。私は御村に聞いているの──それでどうなの? 彼女もあなたの知り合い?」
前半は恋ヶ淵に、後半は俺を睨みつつ気炎をあげる会長。まるで浮気の追及ばりの詰め寄り方は胸ぐらを掴まれれば完璧にそれだが、先ほど言いそびれたように彼女とは直接の面識はない。それでも有無を許さぬ会長の剣幕は俺に前科があるような──
「(──あぁ、そうか。海東心の件があるからか)」
最終的に校門の大規模修繕という後始末が残った一連の騒動を思い出し、納得する。あれに関しては、預かり知らぬ部分が多々あるとはいえ俺に一因がないとも言い切れないし、先輩とは他人で片付けられる間柄ではないので会長の懸念は仕方ないかもしれない。それだけではない気もするが、おそらく瞳子のことも加味してだろう。
そう考えるとたしかに俺の周りの女性陣は厄介さんばかりだ。……会長をそこに加えたら殺されるな、などと頭によぎったのをおくびにも出さず誤解を解こうと口を開く。
「馴れ馴れしくて勘違いするのも無理ないが本当に面識はないよ。ていうか、会長への態度を見ればわかるだろ。異能者が初対面だからって物怖じするのを見たことがあるか?」
「それもそうね。……それで?」
「ただ、面識はないからといって存在を知らないとは限らない──有名だからな」
有名という部分に含みを持たせた視線を話題の主役たる『当真十槍』へ向ける。もちろんそんな皮肉がこたえるわけもなく、くすぐったそうに体をくねらせる恋ヶ淵。
「……御村?」
直前の怒りはどこへやら、何かを感じとった会長が怪訝そうにこちらを伺う。
「瞳子、一応聞くが間違いないんだな?」
「えぇ、間違いなく本人よ」
もはや自分が蚊帳の外にあるが、この期に及んでいつものように俺にお叱りを飛ばすほど分別がつかない会長ではない。俺だけではなく瞳子も自分とは別件で警戒していることに気づいたらしい。
そう、いみじくも修羅場と形容したのは残念ながら冗句の類ではない。対応一つ違えるだけで死人が出かねない──目の前にいるのはそんな相手だからだ。
「うー、そんなにこわい顔しなくてもいいでしょ。いちおう……なんていうんだっけ? あ、似たものどうしってやつじゃない!」
「……無遠慮にお友達と言わない程度には甘ったるい脳みそじゃなくてなによりだが、それでも一緒にするなよ。肩書きは同じでもおまえに親近感を持たれるのは迷惑だ」
俺のはっきりとした拒絶に軽く眉根を寄せつつ、頬を膨らませる恋ヶ淵。天然というわけではない、かといって一から十まで計算で成り立っているわけでもない。どこにでもいる、愛敬が特徴的な一人の女生徒だったらしい。いや、恋ヶ淵自身は今もそのつもりなのだろう。あんなことを引き起こしておいて──
「──よくもまぁ、外に出られたもんだな」
「そこは瞳呼ちゃんのおかげだよぉ。どんなに泣いても、あやまっても、ゆるしてくれなかったのに、瞳呼ちゃんがね、『お友達になってくれたら出してあげる』って」
なかば無意識から出た呟きは恋ヶ淵にとってよほど聞いてほしい話題だったらしい。よくぞ言ってくれたとばかりに嬉々として当真瞳呼に協力する理由と経緯を熱心に語る。
この場にいる時点でおおよその事情は察するのは容易いのでむしろ俺の疑問は堂々と人前に顔を出せる神経の方だが、まるで停学明けのような気安さを見るにそちらも疑問にすら値しないようだ。さすがは当真家、長きにわたり数多くの異能者を率いてきただけあって、人を見る目に間違いはない。
「──だからね、同じ 『アウトナンバー』のきみが相手でも瞳呼ちゃんのために戦うよ。『当真十槍』のひとり、『三界』として!」
騎士峰のそれに似た、どこか自分に酔った様子で名乗り上げる恋ヶ淵。それは例えるなら日曜朝にやるような女児向けアニメのシチュエーションとテンションだが、事情を知る瞳子や月ヶ丘朧、いつの間か斬り込める距離まで間合いを詰めていた剣太郎までが白々しさを込めた視線を彼女に向ける。
おそらく俺も同じような目で恋ヶ淵を見ているだろう。数年前の月ヶ丘で恋愛絡みのトラブルから意中の相手と恋敵、その家族や友人を衰弱死させ、そこまでやっておきながら事件後に一切の執着を捨てて別の男に変節した異能者の中でも一等の異物──それゆえの『アウトナンバー』、それゆえに二つ名は『色欲』。




