65話 筋肉ってすごい
「んぁ……? ハッ、あたし寝てた……?」
しばらくすると、ベッドから腕がずり落ちた拍子にアシュリーが目を覚ました。
「ガンガンに寝てたぞ」
「ご、ごめんフィーリア姉。看病しに来たはずなのに、何にもしないで寝ちゃうなんて……」
アシュリーの謝罪を、フィーリアは手を横に振って否定する。
「いえ、来てくれただけで私は幸せですから。それに頭のタオルも何度も変えてくれたようですし、手も握ってくれてましたし、私にとってはアシュリーちゃんのしてくれたことはとっても嬉しかったですよ。何もしてないなんて誰にも言わせません」
「……フィーリア姉ぇ……!」
「泣くなよ……」
「な、泣いてないし!」
アシュリーは目から透明の液体(涙ではないらしい)を流していた。
そろそろ昼食を作るころだということで、俺はキッチンへと移動する。
料理の準備を始めようとしたところで、アシュリーもキッチンへやってきた。
「あたし、ユーリが帰って来たなら帰るわね」
「なんだ、もう帰るのか? 飯でも食っていけばいいのに」
というか、アシュリーの性格からいって泊まるとか言い出すのかと思っていたのだが。
しかし、アシュリーは真面目な顔で俺の提案を否定した。
「駄目よ。病気の時は一人だと心細いけど、賑やかなのも気が参っちゃうの。本当は一緒にいたいけど……あたしの気持ちがどうであれ、迷惑になっちゃうようなことはできないわ」
なるほど……。そんなこと全然思いついてなかった。
コイツ、実は頭いいのか?
「……お前、色々考えてんだな」
「ユーリと違ってね」
そう言って俺を鼻で笑う。
「失礼な。俺だって色々考えてんだぞ?」
俺は買ってきた本を見せる。
その本の表紙ではおかゆがメインを飾って大きく取り上げられていた。
俺はこれを買うためにわざわざ出かけたのだ。
「病人食、というものを勉強してきた。これならフィーリアも無理なく食べることができるはずだ」
「へえ、あんたも中々やるじゃない。見直したわ」
アシュリーが意外そうに赤い両目をぱちくりさせる。
そうだろうそうだろう、俺はジェントルマッスルだからな。
料理に取り掛かり始めた俺は、アシュリーに話しかける。
「……なあ、風邪ひいたことってあるか?」
「そりゃあるわよ」
さも当然かのようにアシュリーは頷く。
「俺ないんだよ。風邪ひくのって辛いのか?」
「病気だし、まあ辛いわね。……というか、馬鹿は風邪ひかないって本当だったんだ」
「……それ、フィーリアにも言われたわ」
「フィーリア姉とあたしは同じ考え方ってこと? ……テンション上がるわね!」
「……おう、そうか」
どれだけフィーリアを慕ってんだコイツは。
目の前で嬉しそうに口角を持ち上げるアシュリーを苦笑いで見つめた。
「じゃあ、今日は帰るわ。フィーリア姉、またね」
「はい。今日は本当にありがとう、アシュリーちゃん」
アシュリーは俺には目も暮れず、フィーリアに手を振って帰って行った。
「アシュリーちゃんって本っ当に良い子ですよねー」
「そうかもな」
俺には当たりがキツイが、悪いやつじゃないのはたしかだ。
昼食を作り終えた俺はフィーリアのベッドまで食事を運んでやる。
目の前に並べられた病人食をみたフィーリアは、意外そうな顔で俺と料理を見比べた。
「わざわざこんな食事を……?」
「俺はジェントルマッスルだからな」
「意味わかりませんけど、素直にありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、フィーリアは俺が作った食事に手を付ける。
時折咳き込みながら、もぐもぐと咀嚼するフィーリア。
「美味いか?」
「そこそこ美味しいです」
そこそこか。まあそうだよな。
まず俺自体料理が上手いわけでもないし。それに病人食って消化の為のもので、美味いもんじゃないしな。
「作ってもらってこんなこと言うのもとても失礼ですけど、やっぱり普通のご飯が一番おいしいですね。まあ、今は食べる気にはなれませんが」
「なら早く治さないとな」
「頑張ります。食べて元気になります」
そう言ってフィーリアは大きく口を開け、リスのようにご飯を頬張った。
「ごちそうさまでした」
フィーリアは空になった食器の前で手を合わせる。
「運んでいいか?」
「ありがとうございます。……私が使った食器だからって、陰で舐めたりしないでくださいよ?」
「するか!」
お前の中の俺はどんだけ変態なんだ。
食器を洗い終えた俺はフィーリアのベッドに隣り合った自分のベッドに腰掛ける。
まだ昼過ぎ。依頼を受けに行くことも出来る時間帯ではあるが、今日はやめておこう、と俺は思う。
アシュリーは俺がいるから帰ったんだろうし、それで俺がいなくなったらあいつの帰り損だからな。
それに、病気の時は誰かにそばにいて欲しいらしいし――
「ユーリさん。ユーリさんの筋肉触っていいですか?」
思考の途中、不意に投げかけられたフィーリアの言葉に俺は目を見開く。
「なっ……!? フィーリア! ついに筋肉の良さに気付いてくれたのか!」
「ユーリさん、うるさい……。声が頭に響きます……」
「わ、悪い……」
頭を押さえるフィーリアに慌てて声のトーンを落とす。
にしても驚きだ。
まさかフィーリアから筋肉を触らせてくれなんて言ってくる日が来るなんて。
「誤解の無いよう言っておきますけど、あれですからね? その筋肉からユーリさんの有り余っていそうな元気を根こそぎ奪い取ってやろうというだけのことで、筋肉が好きになったとかではないですよ」
「それでもいいさ。フィーリア、俺は今猛烈に感動している」
「は、はあ……」
戸惑ったような表情のフィーリア。
俺はそんなフィーリアの前に右腕を差し出し、部分的に筋肉を解放する。
普通の状態の左腕と比べると、三倍四倍の太さだ。
「ほら、触れ。思う存分な」
「じゃあ、失礼します」
フィーリアは遠慮がちな手つきでぺたぺたと俺の腕に触れた。
フィーリアの肌はいつもはひんやりとした感触なのだが、風邪をひいていることもあり今日は掌も火照っている。
フィーリアは十秒近くそうした後、俺の腕から手を離した。
「パワーはもらえたか?」
「はい、根こそぎ奪い取ってやりました。これで明日には全快します」
そう言って笑う。
その笑顔は美しいのだが、どこか無理矢理に笑っているように思えた。
おそらく心配かけまいと虚勢を張っているのだろう。
――ならもっと俺の筋肉を見て元気を出してもらうしかない。
「俺の筋肉パワーはそう易々と無くなるものではない。その証拠に――」
俺は全身の筋肉を解放する。
上着がはち切れ、鍛えぬいた上半身が露わになった。
その筋肉は変わらず生命の強靭な力強さを備えている。
「ほらな?」
「ごめんなさい、暑苦しいのでやめてください……」
「……ごめん」
フィーリアの申し訳なさそうな、なおかつ迷惑そうな顔を見て冷静になった俺は、すぐさま体を元に戻し飛び散った服をかき集めた。
そして翌日。
「おはようフィーリア。調子はどうだ?」
俺は起きたばかりのフィーリアに声をかける。
フィーリアは「あー、あー」と喉から声を出してみたりおでこに手を置いてみたり色々としていたが、やがて信じられなそうな顔で口を開いた。
「……なんか、治ったみたいです」
「そうか、よかったな」
風邪になったことがないからわからないが、一日で治るのは中々早い方じゃないだろうか。
長引かなくて良かった。
「これってやっぱりユーリさんの筋肉触ったからですかね……?」
「まあ、普通に考えてそうだろうな。やはり筋肉はすごい」
筋肉に不可能はないということがまた証明されてしまったか。
風邪が治ったはずのフィーリアは、なぜか自分の身を抱きしめだす。
「まさか、本当にユーリさんの筋肉パワーが私に流れ込んで……? 想像したらなんか寒気がしてきました」
そう言ってブルブルとわざとらしく体を震わせた。
「せっかく治ったんだから余計なことは考えるな。それに普通喜ぶべきところだろ、筋肉パワーだぞ?」
「嫌に決まってるじゃないですか、筋肉パワーですよ?」
筋肉パワーのおかげで治ったというのに恩知らずのやつだ。
……まあなんにせよ、治ってよかったな。
「はい、これで美味しいもの一杯食べられます!」
「ナチュラルに心を読むな」
元気になったのは良かったが、またコイツに振り回されることになりそうな気がするぞ……。




