142話 登場
聖魚討伐を明日に控えた俺たちは、イサジと共に訓練に励んでいた。
イサジとの訓練はこれで最後になると思うと、自然と身が入る。
依頼を無事終えることができたら、俺たちは地上に戻ることになるからな。
今のうちに吸収できることはしておきたい。常日頃から貪欲であることは、強くなるために重要な要素だ。
「そろそろ休憩にしよう」
イサジが言うので、俺たちは休憩をとる。
この数日で、俺はたしかな変化を感じていた。
当初よりも随分動きやすくなったのだ。
慣れない環境だと力が出しきれないのが少し心配ではあったが、この訓練のおかげでそれも払拭されつつある。
イサジには感謝だな。まったくの手探りで上達を目指すよりも、目の前に手本がいるというのは上達効率が段違いだ。
そう思いイサジを見ると、イサジも俺たちを見ていた。
「……まさか、これだけの短期間で形になるとはな」
「何がだ?」
問う俺に、イサジは答える。
「正直驚くべき成長速度だよ。水中戦闘における技術に関して、私が教えられることはもう何もない。あとは実践を重ねるだけだ。……貴殿ら、本当に優れた戦士だな」
イサジのような実力者に認められると、少し嬉しくなるな。
しかし、フィーリアとアシュリーは少しどころではない反応をみせた。
「えへへ……そ、そうですかね?」
「ま、まあ、あたしなら当然だけどねっ!」
「お前らのちょろさは折り紙つきだな」
まったく、少し褒められたくらいで舞い上がって……どっしり構えている俺を見習え。
「むうぅ……」
俺の言葉に、フィーリアはぷくっと頬を膨らませる。
そして何やら俺に背を向け、イサジに何かを伝えたようだ。
一体何をしてるんだ?
「……ああ、ユーリ殿一ついいか?」
「おう、なんだイサジ」
イサジは俺とは視線を合わさず、しきりに視線を動かしながら口を開く。
「えー……ユーリ殿の筋肉は凄い。私もそんな身体に憧れるものだ」
「……おおぉっ! そうかそうか! 触るか? 触るか?」
俺はイサジに詰め寄る。
訓練で解放済みの筋肉を、これでもかと見せつけながら。
イサジはわかるやつだと思ったぜ! やっぱり俺の勘は間違ってなかったな!
しかし、なぜかイサジの反応が芳しくない。それどころか一歩後退する始末だ。
「……いや、すまぬユーリ殿。今のはフィーリア殿に言わされたのだ」
……何だと?
俺はギョッとフィーリアを見る。
視線の先には、からかい度マックスの顔をしたフィーリアがいた。
「なぁ~んだ。やっぱりユーリさんもちょろいじゃないですかぁ」
ぬぐぐ……この俺が不覚をとるとは!
「くっ……筋肉を使うのはズルだろうが! バーカ! フィーリアのバーカ!」
「ユーリってバカ以外に蔑みの言葉知らないの?」
「……知ってるに決まってるだろうが」
「へぇ。じゃあ言ってみてよ」
……まずいな。アシュリーに戦線布告されてしまった。
悪口なんてそんなポンポン出てこねえぞ。出てくるのは筋肉の名称だけだ。
だが、このまま言えずにアシュリーにバカにされるのは嫌だ。そうなると二対一になってしまうからな。
なんとかすぐに知っている単語を口に出さなければ。
焦るな、思い出すんだ。俺はインテリマッスルだぞ。絶対にできる。
バカ以外だろ? バカ以外、バカ以外……。
「……お、大バカ!」
「語彙力……」
一単語で的確に罵倒してくるんじゃねえ。
今のは自分でもあまりいい答えじゃなかったと自覚してるんだ。
俺が苦い顔をしていると、アシュリーは軽くこちらを窺ってきた。
「な、なんかごめんね……?」
おいやめろ。謝られると余計心にくるだろうが。
「バカ以外で大バカって……お腹痛い……っ! ゆ、ユーリさんは優しいですね……ぷひひっ!」
フィーリア、笑われるのは心じゃなくて頭にくるぞ。
俺は笑い転げるほど面白いことを言ったつもりはないからな?
ったく、お前ら揃いも揃って俺を馬鹿にしやがって……あとで絶対に筋トレさせるからな、覚悟しとけよ。
と、そんな風に休憩していると、街の方からものものしい雰囲気を醸し出す集団がこちらに歩いてきた。
人数は五十人ほど。かなりの大所帯だ。
そしてなにより特筆すべきは、その厳しい視線が向く先がイサジ以外の俺たち三人だということである。
俺たちのところまで歩いてきた男たち。そのうちの一人、唇にピアスを開けた男が口を開く。
「おいおい、随分と楽しそうじゃあねえか! 魚人でもねえヤツらがこんなところで何やってんだ、あ?」
おうおう、最初から相当にけんか腰だな。
「何だお前ら。俺たちに何のようだ? ……もしかして、イサジんとこの道場の門下生か?」
「馬鹿を言わないでくれユーリ殿。私の道場にこのような軟派者は一人としておらんぞ」
「そりゃそうだよな」
仮にもイサジの道場に通っているなら、もう少しそれが外見に表れて然るべきだろう。
そもそもピアスなどを開けている時点で弱い。
なぜなら、俺のように皮膚を鍛えていればピアスの穴など開かないからだ。
穴を開ける器具が逆に破損してしまうくらいになって、ようやく一人前なのである。
「てめえら、言い放題言ってくれやがって……! おい、構えろ!」
男は後ろの集団に声をかける。
すると、集団は一糸乱れぬ動きで各々の武器を構えた。魔法使いたちは掌をこちらに向けている。
それを見て、俺はおお、と声を出した。
思ったより数倍はいい練度だ。これはもしかして、中々に強いヤツらかもしれない。
「ほらぁ、ユーリさんが挑発するから皆さん怒っちゃったじゃないですか!」
こういう時に一番気を揉むのはいつもフィーリアだ。
俺とイサジは好戦的だし、アシュリーも勝気だからな。
苦労を掛けるな、フィーリア。
そう思う俺の前で、フィーリアは仲裁のためにつくり笑顔を浮かべて男たちに応対する。
「落ち着いてください皆さん。気を悪くされたなら私が謝りますから。でも、ユーリさんも決して悪気があったわけじゃ――」
「うるせえ貧乳!」
「がふっ!」
ああ、フィーリアが白目を剥いて倒れてしまった。
お前はもう少しメンタルを鍛えた方がいいと思うぞ。
「フィーリア姉っ!?」
白目のフィーリアを抱きかかえ、アシュリーは憤怒の炎を燃やす。
「よくもフィーリア姉を……許さないんだからっ!」
「許さない? それはこっちのセリフだぜ。俺たちゃ知ってんだぜ、お前たちよりにもよって聖魚様の命を奪おうと画策してるんだろ!」
男の言葉に、俺とアシュリーは一瞬視線を交差させる。
俺も話していない。アシュリーも話していない。
それを確認する。
フィーリアは抜けているところもあるが、根本は真面目なやつだ。守秘義務のあることを話すようなヘマはしないだろう。
となると、情報の出所はどこだ……?
「……おい、お前ら。それをどこで知った」
「ふん、非魚人のてめえが何かを嗅ぎまわっているのが怪しいと思ってな。こんな時期に水都にやってきてその振る舞い……俺たちの聖魚様に仇を為すつもりに決まってる! 俺たちの間じゃ、数年前からどこかに聖魚様が隠されてるって噂になってんだ!」
なるほど、つまり特に理由はないのか。聖魚を隠してるのだって数年前じゃなく、ここ最近の話だしな。
これで俺たちがただの観光で来てたら完全に言いがかりの極致だぞお前ら。
だが結果として当たっているあたり、こちらも言い返そうにも言い返せない。
ってことは、こいつらは聖魚を信仰しているヤツらってことだな。
……面白いことになってきやがったな。
中々の手練れの上が五十人……コイツラも相当おかんむりってことか。
こんだけいりゃあ、相当楽しめそうだぜ。
緊張の高まるこの場で、俺は一人笑みを浮かべる。
その時だった。
遠くから、大きな音。
少し遅れて水流の乱れ。
何事かとそちらを向いた俺の視界に飛び込んできたのは、白い体躯の巨大な魚――聖魚であった。
俺たちの依頼が決行に移される前日の今日、聖魚は最悪のタイミングで祠を破壊し、その姿を水都の街に見せつけたのだ。
「おお、聖魚様! 聖魚様が降臨なされたぞ!」
遠目に見える水都を雄大に泳ぐ聖魚の身体を眺め、手を合わせ始める男たち。
聖魚が現れたことによる影響は、それだけではなかった。
「……ハッ!」
水流が気つけ代わりになったのか、フィーリアが目を覚ましたのだ。
「……あれ、私なんでこんなところで寝てるんですか……? ……うわっ、大きい魚! ユーリさん、アシュリーちゃん、見てください! 大きい魚がいます! あ、あれって聖魚じゃないですか!?」
気を失っている間に色々ありすぎて、フィーリアの舌は止まらない。
「フィーリア、とりあえず一旦黙っててくれ」
「何でですか!?」
一々説明するのが面倒くせえ。
「やっぱり聖魚様は隠されてたんだ! よし、あとはこの非魚人三人を始末すりゃあ、全部丸く収まるぜ!」
なるほど、たしかにコイツらの立場からすりゃあそうなるか。
だが、こちらとしても大人しく殺されるつもりなど毛頭ない。
そもそも、すぐに聖魚を討伐しに行かねばならないのだ。
急に現れた巨大な魔物に、十中八九水都は混乱状態に陥っているだろう。
早く行かないと、混乱による怪我人がでたり、それに乗じた犯罪が起きたりするかもしれない。
そしてそれと同じくらい俺が心配しているのは、聖魚討伐を誰かに抜け駆けされるかもしれないってことだ。
そんなことは絶対に……絶対にあってはならねえ。
あんなでかい魔物と戦える機会なんて滅多にないんだぞ。俺に戦わせろ!
「ユーリ殿たち」
焦る俺に、イサジが声をかける。
「ここは私に任せて、貴殿らはあちらへ向かえ。それが、貴殿らがここにいる理由なのだろう?」
「イサジ……! 感謝するぜ、お前は最高に良い男だ!」
なんて良いヤツなんだ。俺が女だったら惚れてるところだぜ。
「ほら、行くぞフィーリア!」
「ちょ、ちょっと待ってください。まだいまいち状況が……」
「聖魚が出てきたから倒す、あたしたちがやるべきことはそれだけだよフィーリア姉!」
「な、なるほど。ありがとアシュリーちゃん」
理解できたのかはわからんが、やるべきことはわかったようだ。
俺たち三人はここをイサジに任せ、聖魚のもとへと向かおうとする。
しかしそんな俺たちを、男たちもそう易々と通してはくれない。
「行かせるかよ!」
男たちは横に広がり、網のようになって進路を妨害してくる。
俺はアシュリーとフィーリアの前を走り、その網に真正面から突っ込んだ。
「ハッ、馬鹿め! これでてめえらは一網打尽だ!」
「無駄だ。お前たちに俺は止められねえよ!」
基本的に魔法を使わない人間で強いヤツは二つに分けられると俺は思っている。
重いか、速いか。
盾などを装備して敵の攻撃を受け止めるヤツは重い。まるで大樹のように目の前に立ちふさがるようなイメージだ。
速い方はもっと単純だ。イサジや死神のように、シンプルに動きが速い。
なら俺はどうか。
俺の身体は、重く、速い。
――すなわち、強い。
「フンッ!」
進路を妨害する男たちに、ただ身体ごとぶつかる。
それだけで大の男五人が吹き飛んだ。
「っ!?」
予想外の事態に硬直した男たちの横を、俺たち三人は通り過ぎる。
俺もコイツラとは戦いたかったのだが、標的が姿を現してしまった以上は仕方ない。
「あとは頼んだぞ、イサジ!」
後ろを振り返り、イサジに声をかける。
「任せろ。貴殿らはそちらに全力を注いでくれ」
帰ってきた声からは、五十人に囲まれていることへの焦りのようなものは何一つ含まれていなかった。
アイツならここは大丈夫だ。
なら、俺は俺の為すべきことをするのみ。
「フィーリア、頭は働いてるか?」
気絶から起きたばかりで本調子が出せるだろうかと、俺は後ろを走るフィーリアを慮る。
「はい、なんとか。なんならユーリさんへの悪口でも何個か言っておきましょうか?」
「それはやめろ。俺の士気を下げるな」
「でも、あたしの士気は上がるわ」
「なんでだよ!」
まあ、いつもどおりでなによりか。
……じゃあ、いつもどおりに勝ちに行くとするか。
俺たちは聖魚の元へと急いだ。




