140話 言葉って難しい
翌日。
最早恒例となったイサジとの訓練を行いに、俺たちは岩場へとやってきている。
今は休憩中で、イサジは街に戻って色々とやることがあるらしい。道場主だから、俺たちだけに構ってもいられないのだろう。
そんな中でトレーニングに参加してくれるのはただただありがたいことだ。
というわけでイサジがいない中、場違いな幼い声が響く。
「あのね、あのね! パパね、研究のお仕事またやり始めたんだよ!」
その声の持ち主はカレンだ。
一度俺たちの訓練を見に来たいと前々から言っていたので今日連れてきたのだが、当人は今はそれどころではなさそうである。
その理由はといえば、まさに今カレンが言ったことだ。
どうやらドゥーゴが研究を再開したらしい。
「お家で難しい顔してるんだよ。むぅーって言ってるの」
カレンはとても嬉しそうに、かつとても誇らしそうに語る。本当にドゥーゴが大好きなんだな。いい家族だ。
「よかったですね。カレンちゃんも嬉しそうで」
「ああ、それに俺としてもドゥーゴが研究を再開したのは嬉しいニュースだ。きっとこれでドゥーゴも筋骨隆々になってくれるだろう」
「喜んでいるところ恐縮ですが、全く意味がわからないんですけど」
どうやら俺の早すぎる頭の回転についてこれていないらしい。
仕方がないので、噛み砕いて説明してやる。
「いいか? 頭がいいってことは、インテリマッスルってことだ。インテリマッスルってことは、すなわち筋骨隆々ってことだ。だからドゥーゴは瞬く間に筋骨隆々になる、間違いない」
「喋る度に着々と矛盾を孕んでいくのやめてください」
矛盾など一つもないぞ。理路整然とした論理展開だ。
「えっとね? パパは筋肉お兄さんみたいにはならないよ?」
カレンが口を出してくる。
おお、俺をお兄さんと呼んでくれるのか。なんだか嬉しいな。
俺は少し上機嫌になりながらカレンに尋ねる。
「なんでお前の父ちゃんは俺みたいにならないと思うんだ?」
「だってパパがそんな変になったら、わたし悲しくて泣いちゃう……」
「ちょっと待ってくれ、俺は泣くほど変なのか?」
お兄さんと呼ばれた嬉しさが一瞬で吹き飛んじまったぞ。
「子供って残酷よね」
しかもアシュリーにまで同情されてしまった。
これはもう「筋肉お兄さん」程度の呼び方じゃ癒されないな……。
しかし子供にあまり呼び方を強制するのもどうかと思うし、ここはフィーリアに。
「なあフィーリア。以後俺のことは『筋肉』もしくは『筋肉マッスル』と呼んでくれ」
そうすれば俺は呼ばれるたびに良い気分になれるから。
と、それに対しアシュリーが異を唱えてくる。
「筋肉マッスルって、意味被ってない?」
「うるさい、黙れガキんちょ」
「はぁぁ!?」
お前はどうせ頼んでも呼んでくれないだろ。だから話すだけ無駄だ。
でもフィーリアならきっと呼んでくれる。俺はお前を信じてるぞ、フィーリア!
「さあフィーリア!」
フィーリアを急かす。
しかし、フィーリアは澄ました顔でふるふると首を横に振って言った。
「え、嫌ですよ。私、ユーリさんが好きですもん」
…………は?
「ふぃ、フィーリア姉……?」
「え、私何か変なこと言いました? ……あ、ち、違いますよ!? そういう意味じゃないですからね!?」
やっと気が付いたのか、フィーリアは赤面しながら必死で否定し始める。
「私は『ユーリさん』っていう呼び方を気に入ってるってだけで、別にユーリさんのことを好きって言ったわけじゃ……いやでもまあ、嫌いでは……ないですけど……」
「……」
言いたいことはわかった、わかったんだが……なんか急に気まずい。どうすりゃいいんだこの空気。
「ありがとう……で、いいのか? こういう場合」
「わ、私に聞かないでくださいよ……。うぅ、なんですかこの羞恥プレイ……」
フィーリアは俯くが、その耳は真っ赤だ。
「お姉ちゃん顔真っ赤だよー?」
「憎しみで人が殺せたら……」
アシュリーは俺のことめちゃめちゃ睨んでるし。
俺にどうしろっていうんだ。
それから数十分後。
ようやくフィーリアが落ち着いてきたところで、イサジが戻ってきた。
イサジは俺たちを眺め、言う。
「なんだ、どうした? 私が少し席を外している間になにかあったのか?」
「な、なんでもないですっ、何もなかったですっ!」
「その語気からしてどう考えても何もなくはないと思うのだが……まあいい。それより偶然にもカレンの父上殿と合流したゆえ、一緒に来たぞ」
そう言って一歩横にずれると、後ろにはドゥーゴがいた。
「すみません、カレンがご迷惑おかけしてしまって」
やってきたドゥーゴは俺たちに軽く頭を下げる。
「ドゥーゴさんが気にすることじゃないわ。それに、とってもいい子にしてたわよ」
「えっへん!」
「そうですか、それならよかったですが……」
そのやり取りを聞いたイサジは納得したように何度か頷く。
「ああ、あなたがあのドゥーゴ殿であったか。研究者としてのあなたの功績は私でさえ聞き及んで……ああ、失礼した。今は元研究者だったか」
「いえ、研究者で大丈夫ですよ。今の僕は胸を張って『研究者』だと言えますから」
「……そうか。何があったのか事情は知らないが、吹っ切れた顔をしているな。いい顔だ」
イサジは口角を上げてドゥーゴを見る。
「立ち直るのに五年もかかりましたけどね」とドゥーゴは苦笑する。
「『遅すぎだ!』って、ママがお空の上から怒ってるよ~?」
「あはは、そりゃ大変だ。何十年後かに僕があっちにいったときは、開口一番に謝らないとね」
その表情はとても明るい。
出会った時と比べて雰囲気も幾分柔らかくなったように思える。
カレンの失踪が結果として良い方向に働いたのではないだろうか。
「イサジの言う通り、吹っ切れたみたいでなによりだ。どうだ、この機会に俺たちと一緒に訓練でもしていかねえか?」
「おお、それはいい考えだ」
俺の提案にイサジも賛同する。
「訓練? うーん、どうしようかなぁ……」
ドゥーゴもあまり否定的には見えないし……これはもしかしたらやっていってくれる可能性もあるぞ!
よし、ここは押しどころだ!
「トレーニングは楽しいぞドゥーゴ! 筋肉が育っていく快感ったりゃないぞ!」
「そうですねぇ……。最近運動不足だったし、軽くなら――」
「いえ、やめておいた方がいいですよドゥーゴさん」
折角ドゥーゴが認めてくれたというのに、それをフィーリアが引き留めてしまった。
続いてアシュリーも言う。
「そうね。たしかに運動はとても大事だけど、ユーリとイサジさんと一緒にやるのは絶対に駄目だわ」
「そ、そんなに厳しいんですか……?」
「はい、最悪死にます」
おいっ!? さすがに俺だってそこまではやんねえよ!
真顔で言うと本当に死ぬみたいになるだろうが!
俺とイサジは当然二人に反論する。
俺たちは素人への配慮も行える思慮深い人間なのだ。
「心外だなフィーリア、俺だって素人には当然手加減するぞ。まず初日は軽めに、腕立て・腹筋・背筋を各千回。それを……そうだな、十セットくらいに収めるさ」
「私も同感だな。さすがに最初から魔物を相手に戦えなどとは言わん。手始めに軽く岩を千切りにしてもらうだけだ」
「人はそれを手加減とは呼びません。無茶と呼びます」
これが無茶と来たか。
なんという無茶苦茶な理屈だ。
「あはは……絶対に、絶対に自分のペースで運動すると固く心に誓ったよ」
ああ、ドゥーゴも絶対を二度も繰り返すほど固い決心をしてしまった。
「残念だなユーリ殿」
「ああ、残念だなイサジ」
折角トレーニングの喜びを教えるいい機会だったというのに。
「それはそうとユーリ君、フィーリア君、アシュリーちゃん。訓練が終わったらでいいから、家に寄って行ってはくれないかな。少し大事な話があるんだ」
ドゥーゴは言う。
その目の真剣さから、今回のSランク依頼に関係することのようだ。
「ああ、わかった」
俺たちはそれに迷うことなく了承を返し、ドゥーゴたちを見送った。




