138話 勝敗
襲ってきた男たちを騎士団へと引き渡した翌日。
俺たち三人は、俺の方の部屋に集まっていた。
ここのところ毎日依頼やら食事処回りやらしていたので、偶には外出もせず休もうということになったのだ。
「あぁ~……やっぱり休みはいいですねー」
「フィーリア姉ってば、相変わらずかわいいなぁ」
フィーリアは床に寝そべってごろごろ転がり、アシュリーはそれを嬉しそうに眺めている。
「あんまりダラダラしてると鍛えたのが無駄になっちまうぞ?」
俺の言葉に、フィーリアは立ち上がった。
「大丈夫ですよぅ、最近力も付いてきたんですから」
そして細腕を曲げ、不敵に笑いながら俺に見せつけてくる。
「ほら、見てくださいこのたくましい筋肉」
「ぷにぷにじゃねえか」
筋肉の影も形もねえぞ。
「あ、そういうこと言うんですね? じゃあ腕相撲で勝負します? まあ、負けるのが嫌っていうならしなくてもいいですけどー」
「ほう……そこまで言うならやってやろうじゃねえか」
筋肉を愛する者として、そこまで言われて黙って引き下がるわけにはいくまい。
俺はフィーリアの申し出を受けることにした。
俺とフィーリアは机に肘をついて向かい合う。
さすがに筋肉を解放した状態では話になる訳がないので、今回は筋肉の解放は無しだ。
腕の大きさも組み合えないほど違くなっちまうしな。
ガッチリと腕を組みあった俺たちは、互いの目を見る。
フィーリアの目は澄み切った綺麗な銀色をしていた。
正々堂々と戦いに挑もうとする人間の目だ。
……こりゃあ、楽な戦いじゃないかもな。俺は気を引き締める。
「じゃあ、『さん、にー、いち、ぜろ、すたーと』で始めますよ?」
「おう、わかった」
俺が頷きを返すと、フィーリアはカウントダウンを始めた。
「さん、にー――いちぜろすたーと! ふふん、どうですかこの完璧な戦略は! ……ってあれ?」
急にカウントダウンを加速させて勝ち誇った後、微動だにしていない俺の腕に驚きを露わにするフィーリア。
正々堂々さの欠片もなかったわ。俺が見間違えてた。
……なんていうか、フィーリアってやることが一々小物っぽいよな。
「なあ、これもう力入れてるのか?」
「い、入れてるわけないじゃないですかやだなーもう。まだまだ私の全力はここからですっ」
そう言って体重を腕に乗せるフィーリア。
だが、元々軽いフィーリアが体重を乗せたところでそんなものは微々たるものだ。
フィーリアが体重二百キロくらいあればまた違ったんだろうけどな。
「ふっ、むぅっ……! び、びくともしない……」
なんにせよ、フィーリアが俺に勝つのは不可能だ。
それを悟ったのだろう。フィーリアも体重をかけてくるのを一旦やめる。
「……ユーリさんユーリさん」
「どうした」
「両手、使ってもいいですか?」
「おう、いいぞ」
これじゃ張り合いが無さすぎると思っていたところだ。
そのくらいは許して然るべきだろう。
というかその程度で俺と渡り合えるようになるとも思えんのだが。
しかし、俺の答えを聞いたフィーリアはにやりと笑う。
「くっくっく……ユーリさん、驕りましたね? いくらなんでも両手が使えればこっちのものですよ。いざ覚悟……あ、あれ?」
両手を使うフィーリアだが、それでも俺の腕は微塵も動かない。
「お前の華奢な腕じゃ、両腕使っても俺には勝てん。俺はインテリマッスルだからな」
「ぬ、ぬぐぐ……!」
これは別にフィーリアが努力していないとか、そういう類の話ではない。
ただ俺の方がより研鑽を積んできたというだけの話だ。
「頑張ってフィーリア姉! ユーリに負けないで!」
アシュリーがフィーリアを応援する。
ふむ、そうだな……。
「なあアシュリー、見てるだけじゃなくて入ってもいいぞ」
「へ?」
「お前ら二人がかりで俺に勝てるものなら勝ってみろ」
「よーっし、フィーリア姉を助けてあげるんだからっ! いっくわよー!」
アシュリーは意気揚々とフィーリアに加勢する。
二対一となった腕相撲。
これで形勢が変わったかといえば――
「ぬぬぬぅぅぅ……っ!」
「むううぅぅぅ……っ!」
「頑張れ頑張れ! お前たちならもっと行けるぞ!」
――まったく変わらなかった。
これはまあ、仕方のないことだ。
俺は力があるのが一番の長所なのにも関わらず、二人は魔法が得意なんだから。
華奢な二人に自分の土俵で負けてしまったら、さすがに俺の立つ瀬がない。
結局、腕相撲は数分後に俺の勝利で終わりとなった。
負けた二人は肩で息をしながら床に倒れ込んでいる。
「勝てるビジョンが見えません……」
「どうなってんのよあんたの力……」
「お前たちは真の意味で筋肉を使えてないからな。筋肉に使われているうちは俺に勝つことは出来ん」
俺はそう指摘する。
筋肉を自分のものにするのには血の滲むような修行がいるのだ。
この二人なら本気で取り組めばできてしまう気もするが、それでも一朝一夕で得られる感覚ではない。
そんなことを考えていると、アシュリーがぐぐぐっ、と立ちあがった。
「このまま負けたままじゃ我慢ならないわ……あっちむいてほいで勝負よ、ユーリ!」
「おお、いいぞ」
アシュリーの負けず嫌いさは正直好ましい。
妹を見ているようだと言っていたフィーリアの気持ちが最近ほんの少しだけわかるようになった。
アシュリーは手首をぐるぐると回しながら言う。
「あ、じゃんけんは無しであたしが勝った段階からスタートでお願いね」
「ハンデとかいう次元じゃねえなそれ」
俺に勝つ方法はあるのか?
ともかく、勝負を始めてみる。
勝負である以上、俺は本気だぞ! 負けないからな!
「あっちむいてほい! あっちむいてほい! あっちむいてほいっ!」
「むんっ! むんっ! むんっ!」
俺はアシュリーの指差しを全て華麗に躱し続けた。
「なんで当たんないのよ……」
「筋肉の動きである程度は予測できる。悪いがそう簡単には負けんぞ。お前が俺に勝つにはあと十年はや――」
「隙あり、今よ! これであたしの勝ちね――あっちむいてほいっ!」
俺のありがたいお言葉を遮り、アシュリーはあっちむいてほいを強行した。
しかも、その手が俺の頬に触れる。
どうやら俺の頬ごと右を向かせる作戦のようだ。
――笑止。
俺は頬に力を入れ、アシュリーの指を受け止めた。
カンッ、と鈍い音がする。
「いったああああああ!?」
力を込めたとき、俺の頬は金属よりも固くなる。
そんな頬に思い切り指をぶつける形になったアシュリーは、痛みで床を転げまわる。
「自業自得だな。そんな方法で俺に勝とうだなんて十年早い」
「ちょっと! あんたのほっぺたどうなってんの!?」
「修行の賜物だな」
「何の修行してんのよ! バカじゃないの!? ほっぺたなんて鍛えていつ役に立つっていうのよ?」
「まさに今役に立ったぞ」
「ぐ、ぐぅ……たしかに……」
アシュリーは苦々しげに納得する。
ふっ、勝った。俺は口の端を吊り上げる。
腕相撲で勝ち、あっちむいてほいでも勝ち、言い合いでも勝った。
今日の俺はすこぶる調子が良いぞ!
「歌でも歌いたい気分だな」
「露骨に機嫌よくなったわねあんた」
他はともかく、言い合いは負けることが多いからな。
そりゃあ上機嫌にもなるってものだ。俺だって人間なんだから。
「さて、どう見ても勝敗は一目瞭然だよなぁ、二人とも?」
俺が勝ち誇りながら言うと、フィーリアが渋々と言った様子で頷いた。
「仕方ありませんね……。今日のところは引き分けで勘弁してあげます」
「おい待て、引き分けの要素はどこにあった?」
全部完膚なきまでに俺の勝ちだっただろ!
俺の訴えに、フィーリアは耳を塞ぐ。
「あーあー! 私にとって都合の悪い言葉は全部聞こえませーん!」
「子供かお前は……」
十七歳がやることとは到底思えんぞ。
もう少し現実と向き合え。
「まあそれはそれとして、なんか身体を動かしたい気分だよな」
俺がそう言うと、なぜか二人は怪訝そうな顔をする。
「あの、ユーリさん? 今まさに散々動かしてましたよね……?」
「あんなの止まってるのと同じようなもんだろ。いいか? 身体を動かすっていうのはジャンプし続けて宙に浮いたり、素手で地面を掘って温泉を掘り当てたり、地竜車に併走したり、そういうことを言うんだぞ」
「それはもう運動じゃなくて怪奇現象だと思います」
怪奇現象なわけがないだろう。俺にとってはごくごくありふれた日常の一コマだぞ?
フィーリアとアシュリーの反応を不満に思っていると、部屋の扉が荒々しくノックされる。
「あ、私が出ますよ」
いち早く反応したフィーリアが扉の方へと向かい、鍵を開ける。
そこにいたのは、元研究者のドゥーゴだった。
ああ、そういえば「何かあった時のために」とドゥーゴにも宿の部屋番号を教えていたんだっけか。
「ユーリ君、フィーリア君、アシュリーちゃん! よかった、いてくれた……っ!」
「……ドゥーゴさん、何があったんですか?」
その表情を視認した俺たちは、先ほどまでの弛緩した雰囲気を消し去る。
ドゥーゴはとてもこわばった表情をしていた。
荒い息を隠そうともせずに、ドゥーゴは俺たちに言う。
「娘が……カレンがいなくなってしまったんだ! 頼む、一緒に探してくれ!」
一巻の発売日がもう明々後日!
ドキドキします!




