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121話 物の価値は見た目に寄らない

 数日後、俺とフィーリアは飛竜を利用してアスタートにあるプールに来ていた。

 なぜわざわざアスタートまで来たかというと、個人で貸し切れるプールがあったからだ。

 幸い金は腐るほどあるからな。


 プールというのも初めてだが、なんでも水を排出する魔道具を使って管理されている湖みたいなものらしい。

 たしかに水の流れもなく、川というよりは湖という感じだ。


「遅えな……」


 先に水着に着替えた俺はフィーリアが着替えるのを待っている。

 ちなみ俺が履いているのは、伸縮性に優れた特注の海パンである。

 筋肉を解放してもしなくてもこれ一枚ですむ優れものだ。

 何でもとても珍しい魔物の素材が使われているとかで、目玉が飛び出るほど高かった。

 具体的に言うと標準的な家一軒と同じくらいした。

 つまりこれは家一軒分の海パンなのだ。


 と、突如として視界が黒く染まる。

 何か柔らかいものに視界を遮られている……これは、手か?


「だぁーれだ? ……なんちゃって。お待たせしました」


 振り返ってみると、薄桃色の水着を着たフィーリアが茶目っ気溢れる顔で舌を出していた。

 そしてフィーリアはその場で一回転して見せる。

 胸と腰についた薄いフリルがふわりと揺れる。


 白い柔肌の肢体を外気に晒したフィーリアに、見てはいけないものを見てしまったような気になる。

 それほど大胆に肌を露出しているわけでは決してないのだが、普段のフィーリアからは感じない色気のようなものが今は感じられた。

 水着ってこんな大胆なものなのか!?

 そのスカートみたいなの、透けてるけどそれが正しいのか!? これで正常なのか!?

 あまりに予想外の格好に頭が働かず、わかるのはカッと体温が上がる感覚だけだ。


「どうですこの水着。可愛くないですか? こんなの私が着たら反則級の可愛さですよね!」

「……」


 反応を返さない俺に、フィーリアは途端におどおどと表情を変えた。


「あの、反応を返してくれないと恥ずかしいと言いますか……に、似合ってますかね……?」

「……」


 上腕二頭筋! 上腕二頭筋っ! 上腕二頭筋んんんっ!

 目を奪われてしまった俺は、なんとか理性を復活させる。

 今こそ俺の全てを懸けて、平静を保つ時だ。

 落ち着け俺、己の上腕に全ての感覚を集中しろ。

 息を吸って、息を吐く。俺が今すべきことはそれだけ。平常心、平常心だ。

 筋肉を裏切るな。そうすれば筋肉は決してお前を裏切らない。


「ふしゅぅぅぅうう……」


 最後にゆっくりと息を吐き出し、ようやく俺は平静を取り戻す。

 精神統一をするまでに、十数秒の時間を要した。

 ちょっと刺激が強すぎる。こんな蠱惑的(こわくてき)な格好をするなら前もって言っておいてほしかった。


 またからかうんだろう、と少し恨みがましい視線をフィーリアに向けると、フィーリアは気落ちしたように下を向いていた。身体の前で組まれた手が寂しそうに動いている。


「……似合ってない、ですかね。あはは、ちょっと張り切り過ぎちゃったかもしれません。恥ずかしいですね、忘れてください」

「いや、似合いすぎててちょっと言葉を失くしただけだ。凄え可愛いと思うぜ」


 フィーリアを困らせてしまった。

 これも全て俺の精神の未熟さが招いたことだ、フィーリアを困らせるのは本意ではない。

 ならば、多少恥ずかしくとも思ったことは伝えなくては。

 俺の恥ずかしさと引き換えにフィーリアが喜んでくれるなら、どちらを選ぶかは決まってる。


 そんな思いで言葉を発すると、フィーリアは俺に背中を向けてしまった。

 何をしているのかは見えないが、顔に手を当てているようだ。


「何してるんだ?」

「えへへ……今表情を元に戻してますので、もう少し待っててください」


 表情を元に戻すって何だ。


「えへへー! えへへー! ……あれ? 困りましたね、戻りません」


 何を叫んでんだコイツ……。

 感情のコントロールの仕方ド下手くそかよ。




 しばらくしてようやく普通に戻れたらしいフィーリアは眉をひそめて言う。


初心(ウブ)な癖にさっきみたいなのサラリと言うのはなんでなんですか? なんかズルくありません?」


 ズルくないぞ、心頭滅却をしたからだ。

 そして俺が初心なのではなく、フィーリアがマセているのだ。


「それよりよ、お前全然筋肉つかねえな」


 そこそこ運動もしているはずなのだが、フィーリアの腹部には最低限しか筋肉が付いていない。

 そういう体質なのだろうか。


 肌白い腹部を凝視していると、フィーリアは手で視線を遮るように腹部を隠した。


「ちょっ、何ジロジロ見てるんですか! 恥ずかしいからやめてくださいよ!」

「鍛えれば見られても恥ずかしくない身体になるぞ」


 俺は筋肉を解放し、腹筋を見せつける。

 白くなだらかな曲線美を持つフィーリアのものとは違う、カチカチでバキバキな腹筋だ。

 その硬さは並の金属を凌駕する。己の筋肉ながら素晴らしい。


「ほらな?」

「この人にデリカシーという概念を教え込むにはどうしたらいいんでしょうか……」


 どうしたらいいんでしょうかって俺に聞かれてもなぁ。知らん、頑張ってくれ。






 プールに入る前にストレッチをしつつ、フィーリアがどの程度泳げないのかを確認する。


「魔法使えば問題なく泳げるんですけど……」

「じゃあ使えばいい」


 なぜか言い辛そうに言うフィーリアだが、魔法を使えば泳げるのなら別にそれで十分な気がする。

 だが、そう思う俺の感覚は一般的ではないらしく、フィーリアは首を横に振って否定した。


「ユーリさんは知らないかもしれませんけど、海で魔法使って泳いでたらとても馬鹿にされます。私見下されるの嫌いなんで使いたくありません。あ、でも見下すのは好きですよ?」


 性根が腐ってやがる……。

 フィーリアによると泳ぎに魔法を使うのは、大人が子供用の地竜に乗ったり、子供用のおもちゃで夢中になって遊んだり、オムツを履いたりしているようなものらしい。

 たしかにそれは避けたいだろうな、と思わざるを得ないラインナップだ。特に最後。


 ただし、遊びレベルでも速さを競う場合は魔法を使うのが一般的なのだという。

 魔法がタブーなのは普通に泳ぐときだけのようだ。

 ……俺には海のルールがよくわからない。


「それでちゃんと泳げるようになりたいってわけだな。理解した」

「それもですけど、アシュリーちゃんの前では頼れるお姉さんでいたいんです。ユーリさんといいババンドンガスさんたちといい、私と親しい人はなぜか私を残念な子扱いするので」

「なぜかではないけどな。理由はあるぞ」


 主に性格だ。

 そう訴える俺の視線を察したのか、フィーリアは目を合わせないように瞼を閉じた。


「都合の悪いことからは眼を背けるのが私の生き方です」


 どんな生き方でも人の勝手だが、それを胸張って言うのはどうかと思うぞ?


「これ以外の生き方は出来ないんです。……私、不器用ですから」

「なんでちょっとカッコよさげに言ってるんだ」

「そんなつもりはないですよ。ただ、どんな言葉でも私がいうと途端に言葉が輝きだしてしまうんです。困ったものですよね」

「よし、訓練を始めるぞ」


 戯言に付き合ってやる道理はない。

 無視されたフィーリアは気にした様子もなく、「はーい」と承諾を返してきた。




「さあ、泳ぎ方をおしえてください」

「良いだろう。先ずは腕の動きからだ。こう、ガバッとやってスーッと動かす。水面から腕を出したときに肘をクッとやるのも忘れるな。わかったか?」

「擬音まみれで全く伝わってこないです……」


 首を横に振るフィーリア。

 しかし俺にはこれ以上上手く説明することは出来そうにない。

 元々俺は理論派ではないのだ。


「なら、実際に見本を見せるとするか。しっかり見とけよ」

「透心を使って凝視しますね!」


 そこまでするのか……。

 ここまでやる気のフィーリアは見たことがない。俺もそれに応えねば。

 俺はプールへと身体を入れた。

 身体が冷水に覆われる。


「よし、いくぞ!」


 腹一杯に空気を溜め込む。筋肉が多いから、空気がないと沈んでいってしまうのだ。

 筋肉の数少ない欠点の一つと言っても良いが、鍛錬によって肺の容量を増加させればその欠点も解消される。

『人生は常に鍛錬である』とは至言だな。ちなみに俺の言葉だ。


 俺の肺にはすでにかなりの量の空気が取り込まれているが、見た目にはそれほど膨らんでいない。

 肺を収縮させることにより空気を圧縮し、空気をたくさん肺にため込んでいるのだ。

 もう十分空気を吸い込んだと判断したところで脚を蹴り出す。


 常人では見切れないほどの動きで足が水を押し出し、俺は水しぶきを撒き散らしながら突き進む。


「うおおお!」


 俺はプールを縦横無尽に泳ぎ回る。

 しかし、なんとなく張り合いがない。

 しばらく考えた俺は、やがて「そうか」と得心がいく。

 このプールには海や川にあるべきはずの水の流れがないのだ。


「フィーリア、お前水魔法使えたよな。プールに水流を作ってみてくれ。出来る限り強めでな」


 そうすればもっと良い訓練になるはずだ。

 そう思い笑う俺を、フィーリアが半目で見つめる。


「……自分のトレーニング始めようとしてません?」

「海には波が付き物だろ? より実践に近い形で泳ぎを見せたいんだ」

「もう、こういう時だけ口が回るんですから」


 フィーリアが呆れながら水魔法で流れを作りだした。

 しかしそれは弱々しく、俺にはまるで物足りないものだ。


「もっと強く頼む」

「強く……こんな感じですか?」


 流れが気持ち強くなる。

 しかしこの程度の水流ではまだ訓練とはいかない。


「もっとだ!」

「こ、これくらいですか?」


 再び水魔法を使うフィーリア。水に台風の日の川のような勢いが生まれる。

 実際泳いでいでいる感覚も台風の日と同じものだ。

 身体が若干流れに持っていかれ始める。いいぞ、これは良い訓練になる。

 だが、鍛え上げた俺にはもう一声欲しい。


「まだいける! お前ならその先へ行けるはずだ!」


 荒れ狂う波の間からフィーリアの方を見て、期待を込めてありったけの声で叫んだ。


「ま、まだですか? これ以上はどうなっても知りませんからね……?」


 戸惑う様なその声と共に、波はもう一段階大きくなる。

 身体に絶えず弾丸を撃ち込まれているのに等しい感覚に、俺は口の端を歪めた。

 やべえ、超楽しい!


「プールが荒ぶってるんですが……」

「うぉぉぉぉおおお! 楽しいぞおおおおお!」

「楽しめてるならなりよりです」


 まるで水自体が一つの生命体のように俺の動きを引き留めていく。

 終わることのない水流。その中心で身体全部を使って泳ぎながら、俺は確かな充足感を感じていた。






 思う存分泳いだ俺はプールから上がる。

 そしてプールサイドのフィーリアの元へと向かった。


「水が半分以上プールの外に出てしまったので、魔法で補充しときましたよ」

「悪いな、助かる。それで俺の泳ぎはどうだった? 参考になったか?」

「バシャバシャ凄かったです。折角見せてもらって申し訳ないんですが、筋肉ありきの泳ぎ方で私には真似できないですね」


 フィーリアが少し申し訳なさそうに言う。

 しかし、俺にはさして問題があるとは思えない。


「なんだ、それなら簡単に解決できるぞ」

「え、本当ですか?」

「簡単なことだ、筋肉をつければいい」

「却下で」


 何故だ。鍛えれば泳げるようになるというのに。


「じゃああれだな、一回泳いで見ろよ」

「……分かりました」


 深刻な目でコクンと頷くフィーリア。

 泳げないと言っても、レベルは人それぞれだからな。

 どのレベルで泳げないのか知っておかねばならない。


 プールに入ったフィーリアはガチガチに緊張した様子だ。


「……行きます……!」


 固い声色でそう言い、フィーリアは足を蹴りだす。

 そしてそのまま水の抵抗がないのかと錯覚するような滑らかな動きで、一直線に水底へと沈んでいく。


「――っておいっ!」


 やばい、フィーリアが死ぬ!

 俺はプールに飛び込み、ガボガボと空気を吐き出すフィーリアを救出した。




「……おい、大丈夫かフィーリア!」


 背中をさすってやると、フィーリアは勢いよく咳き込む。


「げほげほっ……! し、死ぬかと思いました……」

「溺れそうになったら魔法使えよ、何やってんだお前」

「すみません。ユーリさんが見てる前でちょっといいとこみせてやろうと思ってしまって……」

「ったく、そんなん気にすんな馬鹿。……安心しろ、ここでちょっと失敗したくらいじゃお前の評価は変わんねえよ。な?」

「ユーリさん……!」


 フィーリアがキラキラした瞳を向けてくる。

 その視線を一身に受け、俺は優しく微笑んだ。

 俺はパートナーのことがわかっている男なのだ。


「フィーリアに苦手なことが多い……というか得意なことの方が少ないのはもうわかってるから。俺の前では無理してできる感じ出さなくてもいいんだ。フィーリア、ポンコツを恥じるな」

「急に罵倒に舵切るのやめてもらっていいですか」


「今のは褒める流れでしたよね、絶対!」とぷんすか怒るフィーリア。

 元気が戻ったようで何よりだ。

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