6. はじめてのコーヒー
「……昼は仕事が立て込んでいた。ろくに挨拶もせずすまなかった」
いきなり現れたレオニーダさんはそう言った。
私たちの間には、コーヒーに満たされたマグカップがふたつ佇んでいる。
こちらの世界の人々も飲むものなのかどうかはわからなかったが、お客さんに何も出さないのも気が引けた。
しかし勧める間もなくレオニーダさんが話し始めたので、私は黙って続きを促す。
「そもそも――何の関係もないアカリ殿を我々の都合でこの世界に召喚してしまったことについても、申し訳ないと思っている」
「でも、それはレオニーダさんのせいじゃ……」
「いや、長く続く風習を魔術大臣の立場にいながら結局断ち切れずにいる。これは私の責任だ」
レオニーダさんと私の目が合った。
その表情は硬いけれど、王宮で見せていたような刺々しさは身を潜めている。
「たとえ世界を守るためとはいえ、神の御業であることを理由に無関係の人間を巻き込むのはおかしい。他国のように自分たちの力で対応すべきだと私は考えている」
そこまでの道程は遠いかも知れないが――そうレオニーダさんは続けた。
「少なくとも、アカリ殿はきちんと元の世界に帰す。それまでは不便をかけるが、安心して過ごしてほしい――私が言いたかったのはそれだけだ」
「……それだけを言うために、わざわざここまで来たんですか?」
「王宮にいては誰が聞いているかわからん。それに――これは重要な話だ」
真剣な顔でこちらを見るレオニーダさん。
そのまっすぐな眼差しを見て、私は気付いた。
――あぁ、このひとは本当にまっすぐなんだ。
確かに才覚にも恵まれたのかも知れない。
だからこそ若くしてその重要なポジションを務めているのだろう。
それでも、力だけではなく――きっとそのまっすぐな人柄こそが、彼を魔術団長たらしめているのだ。
「……レオニーダさんのお気持ち、よくわかりました。お気遣いありがとうございます」
気付けばそう口走っていた。
目の前のレオニーダさんが私の言葉を待つ。
「どのくらいの期間ここにいるのかわかりませんが、私も精一杯自分にできることを頑張るので――どうかよろしくお願いします」
レオニーダさんが力強く頷いた。
「こちらこそ、よろしく頼む」
そして立ち上がろうとするので、私は慌てて「ちょっと待って!」と彼を引き留める。
「お忙しいとは思いますがせっかくいらっしゃったので、せめてお茶くらい飲んでいってください」
「……お茶?」
怪訝そうな顔でレオニーダさんが目の前のマグカップに視線を落とした。
「……この黒い液体が?」
「あ、えっと――正確にはお茶じゃなくてコーヒーといいます。ちょっと苦いですが、おいしいのでよろしければ」
レオニーダさんがじっとマグカップを見つめる。
……毒だと思っているのかも知れない。
確かに飲んだことがなければ、この黒さちょっと怖いかも。
「……すみません、やっぱ無理しなくていいで」
「わかった、いただこう」
言い終わる前に一気飲みしようとするのを「待って!」と慌てて制止する。
「あの、さっきも言った通りちょっと苦いので、まず少しだけ味見してみてください」
「……わかった」
レオニーダさんが一口コーヒーを啜り――そして眉間のシワが一気に深くなった。
……ダメだったか。
「すみません、苦かったですよね。ちょっとお待ちを」
冷蔵庫から牛乳を取り出してどぼどぼとマグカップに入れたあと、まだ開いていなかった砂糖の袋を破り、多めに放り込む。
軽く混ぜるとマイルドな色になったミルクコーヒーが生まれた。
「はい、どうぞ」
「……何を入れたんだ?」
「牛乳とお砂糖です」
「……まぁいい、わかった」
どこまでが通じていてどこまでが通じていないのかはよくわからないが、それでも果敢にチャレンジしようとするレオニーダさん。
こちらに歩み寄ろうとしてくれていることが伝わってきて、なんだか嬉しい。
レオニーダさんが恐る恐るといった形でマグカップを口に付け、そして一口ごくりと飲み込んで――その動きを止めた。
……これは、どっちだろう。
やがてレオニーダさんは、手元のマグカップをじっと見つめる。
そして――もう一度今度はためらわずに、ごくり、と飲んだ。
――いけた。
「お味はいかがですか?」
念のため尋ねてみると、レオニーダさんが真面目な顔でこちらを見る。
「……うまい」
私はほっと胸をなで下ろした。




