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君を殺す薬をもらった。僕を殺す薬を渡した。  作者: 玄武 聡一郎
第一幕:黒の五月。灰色の六月。
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 僕たちが入ったビルはいわゆる雑居ビルというやつで、カラオケやボーリング場、居酒屋、美容室に至るまで、幅広いジャンルの店舗がひしめき合っていた。

 しかしどうやら古賀さんのお目当ては店舗にはないらしく、エレベーターで最上階の十五階まで着くや否や、非常階段の方へと歩を進めた。

 普段使われていないからだろうか。ピカピカに磨き上げられたフロアの中とは対照的に、少し埃っぽく薄暗かった。古賀さんはそんなことは意に介さずに、ずんずん進んでいく。


「そっちの方、入っても大丈夫なの?」

「別にいいでしょ。まずかったら鍵かかってるだろうし」


 それもそうか。しかし古閑さんが今登っているのは、十五階からさらに上に伸びる階段。その先には屋上しかないはずだ。そして雑居ビルの屋上というのは往々にして――


「……開かない」

「だろうね」


 立ち入り禁止になっている。のっぺりとした色気のない扉には、しっかりと鍵がかかっていた。


「さすがに正攻法は無理か」

「もしかして、屋上行きたいの?」

「そうだけど。なにか問題ある?」

「問題、というか……」


 古賀さんのさっきの言葉を借りるとすれば、鍵がかかっているということは「はいったらマズい場所」ということだ。ビルの管理者か、それこそ警備員にでも頼まないかぎり、入ることはできないだろう。そしてそういう人たちが、何の理由もなく僕たちのような一介の高校生に屋上を開放してくれるとは思えない。


「単純に、無謀じゃないかなと」

「そんなことないって。一応、私にも策はあるし」

「策?」

「あそこ」


 古賀さんが指さした先には、小窓があった。高さにして二メートルほどの場所。鍵は内側から開けられるようになっていて、大きさも、頑張れば人ひとりくらいは抜けられそうだ。


「前に下見に来た時に、ここならいけそうって思って。屋上に窓がついてるビルって意外と少ないんだよね」


 今後の人生で使うことがないだろう情報だった。ていうか古賀さんが下見に来てたことがそもそも驚きだ。口ぶりからして、色々なビルを回ったみたいだし……そんなに屋上に行きたかったのだろうか。


「じゃ、よろしく」

「よろしく、とは」

「かがんでってこと」

「肩車して欲しいってこと?」

「他に方法ないでしょ。そのためにあんた連れてきたんだし」

「下見してたなら梯子とか足場になりそうなものとか、持ってくれば良かったんじゃ……」

「そんなもの持ってたら怪しまれるでしょ。屋上に入るなんて、バレたら警備員とかに捕まるに決まってんだから」

「それはそうだけど……」

「なに、嫌なの? 私、そんなに重くない……と思うけど」


 語尾が若干小声で早口になったあたり、少しだけ自信がないのだろうか。心配しなくても、古賀さんは華奢だし小柄だし、肩車くらいならできると思う。


「いや、重さは別に気にしてない」

「じゃぁなんでそんなに歯切れが悪いわけ」


 僕は思わず、古閑さんのスカートを見てしまった。短くもないが、決して長くもない。ズボンならまだしも、あの状態で僕が肩車するというのは、ちょっと抵抗があるのだけれど……。


「……最低」


 僕の目線と意図に気付いたのか、古閑さんがじろりと僕を睨みつける。会った時から思ってたけど、目力強めだよな。


「肩車する前に指摘したんだから、もうちょっと甘めの評価でもいいと思う」

「ちょっとあっち向いてて」


 そう言うと古賀さんはゴソゴソと自分の荷物を漁り出した。

 なんとなく何をするかは分かったので、僕は黙って壁の方を向く。ほどなくして、古閑さんの「いいよ」という言葉と共に振り返る。スカートの下に、半パンを履いていた。そういえば今日は、午前中に体育があったっけ。


「これならいいでしょ」

「まぁ、僕はいいけど」

「じゃぁかがんで」


 僕は言われた通りに窓の下にかがんだ。両肩に人ひとり分の重みが加わる。もちろん軽くはない。が、問題なく立てる重さだ。


「……あのさ」


 両足に力を籠めようとした時、古閑さんがつぶやくように言った。


「私、あんまり汗かかない方だから」

「そうなんだ」


 代謝が良くないのだろうか。冬とか、手足が冷えて辛いだろうな。


「立つよ。一応どこかに捕まってて」

「……」

「古賀さん?」

「聞こえてる。さっさと立ってよ、馬鹿」


 なんで罵倒されたのか釈然としないが、古閑さんとしても早く僕の肩からは降りたいだろう。ゆっくりと立ち上がり、古閑さんの体を持ち上げる。


「届きそう?」

「待って、もうちょい……よしっ、開いた」


 カラカラ、と窓の開く音。次いで古賀さんが僕の肩の上で体勢を変えたのが分かった。否応なく柔らかい体が後頭部に押し付けられて居心地が悪いが、古閑さんが気にしていないのなら、良しとすることにした。

 やがて肩から完全に重みが消え、古閑さんの声が窓の向こう側から聞こえた。


「じゃぁ次、あんたが登ってきて」

「それは無理じゃない?」

「上から引っ張り上げてあげるから、頑張ってジャンプして」


 見上げると、窓から古賀さんの手がにゅっと伸びていた。どうやら向こう側には、窓の傍に足場になる場所があるらしい。

 言い始めたら聞かない古賀さんのことだ、拒否権はないだろう。言い返すことは諦めて荷物を下ろし、窓から距離を取る。決して運動は得意な方じゃないけれど……やるだけやってみるか。

 できる限りの助走をつけて、思いっきり床を蹴り上げる。古賀さんの手がぐんと近づいた。


「ふっ……!」

「よし、掴んだ……って、重っ!? ちょっとちょっと! 早く登ってきて! 腕痛いから!」


 言われなくてもそのつもりだ。僕は必死で窓枠に手をかけて、体を無理やりねじ込んだ。

 制服のボタンが窓枠に引っかかる嫌な音がしたが、なんとか屋上に出ることに成功する。

 屋上は、思ったよりも何もなかった。室外機のようなものが空に向かってブンブン唸っていたけれど、それ以外は用途の分からないモノが凸凹とあるだけだった。

 こんなところに、古閑さんはなんの用があるのだろう。


「来て」


 古賀さんは屋上をまっすぐ横切り、転落防止用のフェンスまでたどり着いた。そして、そのまま手足をかけ、登り始める。


「危ないよ」

「かもね」


 僕の軽い制止の言葉では止まらなかった。古賀さんはあっという間にフェンスを登り切って、そのまま向こう側にふわりと、音もなく降り立った。

 フェンスの向こう側は、足場がわずか数十センチしかない。もし突風などでよろめけば、足を踏み外して簡単に落ちてしまうだろう。そんな、心もとない場所に、古閑さんは何食わぬ顔で立っていた。


「それが、古閑さんのやりたかったこと?」

「うん。だってこんなの、ちょっと人生に自暴自棄になってないとできないでしょ」


 古賀さんは両腕を伸ばして大きく伸びをした。

 西日が差している。古賀さんの後姿が、黒く網膜に焼き付いた。


「すごい、思ったより高いかも。十五階建てのビルの屋上って、大体五十メートルくらいあるらしいよ」

「あんまり覗き込まない方がいいんじゃない?」

「春海もこっち来たら? 気持ちいいよ」

「僕はいいよ」

「なに、もしかしてびびってんの?」

「別にびびってなんかいないけど」

「嘘、ほんとは怖いんでしょ。意気地なし」

「そんなんじゃないって」

「だったらこっち来なよ。別にいいじゃん、落ちたって」


 古賀さんが、フェンスの向こう側からこちらを見た。

 美しい髪があおられて、西日を背負って、流れるようなシルエットを作る。

 強く風が吹いたのだと、気付いた。



「どうせ私たち、そのうち死ぬんだから」



 気付けば。

 気付けば僕は、古閑さんの隣にいた。

 足元の十センチほど向こうで、玩具みたいなサイズの車がせわしなく行き交っていた。


「気持ちいいでしょ」

「どうかな」

「手押し相撲でもしてみる?」


 隣を見ると、古閑さんがわきわきと両手の指を動かしていた。心なしか、いつもよりちょっとだけテンションが高い気がする。死ぬまでにやりたいこと。そのうちの一つを達成できて嬉しいから、だろうか。


「やらない」

「なんでよ」

「こんなとこで死んだら須々木さんに悪いし」


 僕はポケットから遮光性のケースを取り出した。

 どうせ死ぬなら、折角手間暇かけて手配してくれた、この薬を飲んで死ぬのが筋だろう。少なくとも僕は、そう思っている。古賀さんも同じ考えのようで「それもそっか」と呟いた。

 たっぷり十分くらいは居ただろうか。そろそろ帰ろうかと話し始めた、その時だった。


「くぉらあああああ! クソガキが、お前らなにやっとるんじゃぁああ!」

「か、管理人さん! ダメですってそんな大きな声出したら! 落ちちゃったらどうするんですか!」


 けたたましい声量で叫びながら、屋上に大人が数名入ってきた。管理人と警備員と、あとは誰か分からない。防犯カメラに映っていたのか、あるいは誰かが通報したのか……とにかく彼らが、僕たちを捕まえに来たことだけは確かだった。


「お、落ち着いて二人とも! まずはゆっくり、話し合おう!」


 気弱そうな男性が、あたふたとしながら必死に僕たちに呼びかける。僕たちが心中自殺でもしようとしてると思っているらしい。確かに傍から見れば、そうとしか見えないか。

 ビルで死者が出れば、営業にも影響が出るだろう。大人たちが血相を変えている理由はよく分かる。


「どうする?」

「当然、逃げるでしょ」


 同意見だった。捕まれば最後、色々と説教をされた挙句、学校や親に連絡がいくことになる。それだけは、避けたい。


「どうやって逃げる?」

「二手に分かれよう。私は右から、あんたは左から。強行突破して、下で落ち合おう」

「了解」


 作戦とも言えない内容だが、それしかない。僕たちはゆっくりとフェンスを登って、てっぺんの辺りで一度止まった。大人たちがハラハラしながら、あるいは怒りの眼差しで僕たちを見ている。西日がひどくて、目を細めてるのが幸いだ。制服に書いてある「北高」の文字も、よく見えてないといいんだけど。


「せーのっ!」


 古賀さんの合図と同時に、フェンスから飛ぶ。突然の行動に驚いた大人たちは、反応できずに慌てふためいた。その隙をついて、扉まで一気に走り抜ける。

 一人、二人。

 捕まえようとする大人の太腕を交わしながら、屋上を駆ける。

 扉まであと数メートル。

 この調子なら、逃げられる。

 そう思った瞬間――


「よし、捕まえた!」

「放して! はなせ!」

「暴れるんじゃねぇ!」


 古賀さんの声が屋上に響いた。警備員の一人に捕まってしまったらしい。

 掴まれた腕を必死に引きはがそうともがいているが、相手は成人した男性。びくともしていない。まずいな……。


「そっちのガキも抑えろ!」


 警備員の指示のもと、一度緩んだ包囲網が、じりじりと狭まっていく。

 何か挽回する術はないかと必死で考えるけれど、妙案は浮かばない。

 多勢に無勢。

 隙を付けなかった時点で、僕らの負けだ。


「ふん、ようやく大人しくなったか。覚悟しろよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、みっちり説教してやるからな! ありがたく思え!」


 唾を飛ばしながら吐き出したその言葉が、妙に僕の耳に残った。

 無断で屋上に侵入し、フェンスを乗り越え、心中自殺を図ろうとした。

 なるほど、確かに僕たちは、度の過ぎた行動をする悪ガキだ。彼らの言い分は、きっと正しい。まごうことなき、正論だ。

 間違っていなくて、正しくて、きっとそういう人間は、僕たちみたいな子供を、口汚くののしっても許されるのだろう。社会が許すのだろう。

 だけど、そうだとしても。

 なんかちょっと――納得いかないんだよな。

 息を吸う。

 大声を出すのは、久しぶりだ。


「あぁあああああああああああああっ! 見て! 足元にでっかい犬のウンコが!」


 なんでこんな言葉を選んだのか、自分でも分からない。それだけ古賀さんに脅された、「ディープブルーを犬のフンの上で転がしの刑」が僕の中でインパクトがあったのかもしれない。

 まぁ、理由なんてなんでもいい。大事なのは、今の僕の意味のない叫びで、少し、ほんの少しでも彼らの意識を逸らせること。古賀さんの拘束が、少しでも緩むことだ。


「ッ――しまった! 誰か捕まえてくれ!」


 僕の叫び声に気を取られた警備員の隙を、古閑さんは見逃さなかった。

 ここ一番の力で警備員の腕を押しのけて、一気に扉まで走り抜ける。

 僕も古賀さんと一緒に騒がしい屋上を抜け、カバンを拾い、非常階段を駆け下りた。ビルの外へまろび出てからも、まだ誰かに追われてる気がして、ただひたすらに、無我夢中で二人で走る。

 繁華街を出て、公園のベンチに座り込んだときには、息が上がり切っていた。

 暑い。こんなに全力で走ったのはいつ振りだろうか。

 しばらくの間、なんの会話もなくぐったりとした時間が流れた。僕と古賀さんの浅い呼吸が、静かな公園の中に響いている。


「……ぷっ」


 制服のボタンを開け、風を送り込んでいると、横で古賀さんが小さく吹き出した。


「ふふ……ははは、あはははは!」

「なにがおかしいの」

「だって、あんた、犬のフンって……もうちょっと他になんかなかったわけ?」

「うるさいなぁ……」


 自分でもどうかしてたと思う。その発想の源は、おそらく古賀さんの発言にあるわけだけど……それは口にしないことにした。


「しかもあの声、あんたのあんなおっきな声、初めて聞いたんだけど」

「うん、僕も久しぶりに出した。合唱コンクールでも、あんな声出したことないかも」

「だよね。あんな真剣な声なのに、その内容が犬の……くくっ……」


 どうやらツボに入ったらしい。面倒くさいので、そのまま笑わせておくことにした。


「まぁでも、助かった。ありがとね」

「……どういたしまして」

「それにしてもやっぱり……ぷっ……」

「笑いすぎじゃない?」

「ごめんごめん。そんなに怒んないでよ」

「怒ってないけど」

「はー、なんか喉渇いちゃったね」


 それは同意見だった。ビルの屋上から全速力で走り続けたせいで、体中の水分が汗に変わってしまったような気分だ。自販機でもないかと当たりを見渡していると、頬に張り付いた髪をまとめながら、古賀さんが言った。


「うち、くる?」

「え?」

「うち、この近くだから。折角だし寄っていきなよ。飲み物くらい出すしさ」


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