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エピローグ

 高校生の男女が自宅で死亡。心中自殺か。

 今朝未明、X市のマンションの自室で、高校生の男女が倒れているのを、近所の住民が見つけ、通報しました。二人は病院に運ばれましたが、すでに意識はなく、発見当時、既に死亡から二日程度が経過していたということです。争った形跡もなく、部屋に不審な点も見当たらないことから、警察は心中自殺の線で、捜査を進めていく方針です。なおこの事件を受けて政府は――



 そこまで話を聞いて、僕はニュースを消した。

 高校生二人の薬物を使った心中自殺。詳しい理由は、まだ明らかになっていないそうだ。


「最近多いね、そういうニュース」


 からんと氷が跳ねる音がして、振り向いた。

 古閑さんがアイスカフェオレを机の上に置いたところだった。


「もうアイスの時期は終わったんじゃない?」

「文句言うなら下げますけどー」

「嘘、冗談、ごめん。ありがたくいただきます」

「最初からそう言えってのよ」


 ふん、と鼻を鳴らして、古閑さんはお盆をキッチンへ持っていった。

 相変わらず気が強いなと苦笑いしながら、カフェオレに口をつける。彼女の作る二層のカフェオレは、やっぱりミルクがしびれるほどに甘くて、目が覚める。

 上層のコーヒーとミルクが混ざり合う境目を眺めながら、僕は二か月前のことを思い出した。



 あの日、ディープブルーを飲み込んだ僕たちは、奇跡的に二人で生き延びることが出来た。

 僕らは互いに相手の命を想い、薬をシャッフルし、そうして二分の一の確率を引き当てたのだった。

 古閑さんと僕は互いに抱き合い、小一時間みっともなく泣き続けた。

 互いが生きていることを確かめるように、何度も何度も顔を見合わせ、顔を触り、体に触れて、そうしてまた抱き合ってわんわんと泣いた。

 まだ生きていていいと、誰かに許された気分だった。

 死を正しく恐怖することが出来るようになった僕たちは、ようやくまっとうな人間として、生きていけるように思えた。

 古閑さんは、自分の価値を探すため。

 僕は、何かに興味を抱くため。

 そんな目標を掲げて、これからは生きていくのだと、互いに誓った。

 もちろん、たった二か月では答えは出ていない。

 ひとまず僕は、大学に行くことに決め、今まさに受験勉強の真っ最中だった。

 就職ではなく、進学を選んだ理由は、多様な学問に触れた方が、興味を持てる幅が広がると思ったからだった。母さんは僕の心境の変化を嬉しく思ってくれているようで、「じゃあこの通帳のお金は、受験の費用ね」と、笑って言っていた。いつか必ず、返そうと思う。

 一方の古閑さんは、まだ決めかねているようだった。

 自分の価値をどうやって見つければいいのか、まだ分からないのだと言って、それでもどこかに働かなければいけないと、就職活動は精力的にやっているようだった。

 僕はそこに関しては少し、思う所があるのだけれど……彼女にはまだ、言えないでいる。


「勉強、順調?」


 広げたノートを覗き込むように、古閑さんがずいっと視界に入り込んだ。


「まあまあかな。古閑さんの方は?」

「私は勉強してないけど」

「いや、お父さんとの話し合い」

「……ぜんぜん」

「そっか」


 古閑さんと父親との仲は、あれから進展したとは言い難い。

 どうやら定期的に連絡は来ているらしく、彼女の機嫌はそのたびにぐわんぐわんと揺れていた。古閑さんもまだ、どう接していいのか分からないのだろう。


「今更父親面すんなってのよ」


 彼女はいつも苛立たしく言うのだけれど。

 いつの日かそれも解消されるのではないかと、僕は思っている。

 時が立ち、年を重ね、やがて古閑さん自身が大人になった時には、きっと。

 とはいえ、こればっかりはすぐには解決しない問題だろう。ゆっくり、時間をかけて、改善されていけばいいと、思う。


「うぅ……やっぱ全然分かんない」


 僕の参考書を解こうとしていたらしい。ぱたんと閉じて、古閑さんは床に寝転がった。

 そしてつぶやく。


「私も勉強してればよかったなあ……」


 古閑さんの成績は、お世辞にも良いとは言えなかった。

 十月の今から必死に勉強したとして、大学に合格できるかはかなり際どいラインだ。

 だからこそ、就職活動に舵を切っているのだと思うけれど。

 古閑さんはつぶやくように言う。


「あんたはすごいよ」

「まあ、他にやることもなかったからね」

「それは私も同じ」 


 僕は普段勉強していたこともあってか、十分に入試に挑めるだけの実力は備わっていた。もともと担任の先生は、僕の進学を望んでいた節もあったので、割とすんなりと話は通った。

 恐らくこのままいけば、来年の春からは、どこかの大学に通っているだろう。

 だけど――


「ねえ、古閑さん」

「なに?」

「一緒の大学行こうよ」

「……は?」


 ぽかんと口をあけて、古閑さんは僕を見つめた。


「……冗談でしょ?」

「本気だよ」

「じゃあバカにしてる?」

「ちっとも」

「じゃああんたがバカなんだ」

「僕はそこそこ賢いと思う」


 そういう意味じゃない! と古閑さんは僕の腹部を蹴った。

 そのまま僕の膝の上で、足をゆっくりと、ぱたぱた動かし始める。


「行けるわけないじゃん……。私とあんたの偏差値、どんだけ違うと思ってんのよ……」

「僕らの歳くらい?」

「それでオブラートに包んでるつもり?」


 はあ、とため息をついて、古閑さんは続ける。


「今からどれだけ勉強しても、あんたと同じ大学は無理だよ」


 予測できていた返答だった。

 だから僕は、用意していた言葉をつなげる。


「来年なら?」

「え?」

「一年あれば、いけるんじゃないかな」


 ぽかんと、しばし口を開いていた古閑さんは、やがておろおろと瞳を動かしながら答えた。


「そ、それはそうかもしれないけど……だけど予備校とか、お金が……」

「僕が教える」

「あ、あんたは大学に受かってんでしょ! どこの大学になるか分かんないし、新しい環境になじまないといけないだろうし……だから……そんな暇、ないでしょ」


 これも、予測できていた返答だった。

 だから僕は、用意していた言葉をつなげる。


「浪人するよ」

「バカ言わないでよ。その間どうすんのよ」

「どこかでバイトでもしようかと思って」

「あんたねえ……」


 がばっと起き上がる。

 彼女が次に何を言うか、手に取るように分かるようだった。

 だから。


「いい加減にしなさいよ。大体、そんなことする必要ないでしょ。あんたは大学、私は就職。それで万事うまくいくんだから、わざわざ変なことしなくたって――」

「古閑さんはさ」


 僕は言う。



「散歩って好き?」



 古閑さんは眉をきゅっとひそめ、


「何よ急に……意味分かんない」

「答えて」

「……別に普通だけど」

「うん、僕もそうだった」


 そう、だった。過去形だ。

 散歩も寄り道も遠回りも、僕は必要性を感じていなかった。


「だけど、今は違うんだ。色々なところを見て回って、触れて、感じて、経験して、そうして遠回りをしながら、自分の興味を探していきたいって、思ってる。それで――」

「……それで?」

「その遠回りには、君も一緒にいて欲しい」


 僕たちはまだ、ディープブルーを持っている。

 僕は古閑さんの薬を。

 古閑さんは僕の薬を。

 出会った時に交換したディープブルーは、まだ互いの手元にある。僕たちをつないでいる。

 僕たちは互いの命を握り合っていて、そういう関係であるべきで。

 だからこそ隣にいて欲しいと、強く願う。

 どんな道を歩く時も、彼女が一緒ならば乗り越えられると、そう思うから。

 古閑さんは、ゆっくりと瞬きをして、やがて思い出したように息を吐いて。

 頬を赤らめて、それを隠すようにさっと髪の毛で顔を隠して。

 滑らかな翠髪の向こう側から、消えるような声で言った。


「……じゃあ、よろしくお願いします」


 僕はほっと胸を撫で下ろして、小さく拳を握りしめた。

 だけどすぐにその手をほどいて、スクールバッグの中に突っ込み、お目当てのものをどさりと机の上に乗せた。


「それで、今日やる参考書なんだけど」

「え、きょ、今日から始めるの?」

「もちろん。僕の行きたい大学の偏差値知ってる? 古閑さんの今の偏差値とは、本気で僕らの年齢くらいの差が――」

「わ、分かった! やる! やるってば! 書くもの用意するから、ちょっと待ってて!」


 わたわたと筆記用具を取り出して、机の上に広げ始めた古閑さんの横顔を眺めながら。

 僕はこれから彼女と過ごす未来に、思いを馳せた。



 あの日、映画を観た。

 主人公とヒロインの選択が世界の在り方を変えてしまうような、そんな壮大な物語だ。

 よく考えられた物語に、迫力のある演出。エンドロール手前、主人公がヒロインか世界かの二択を迫られる展開を、きっと多くの観客が固唾を飲んで見守っていたことだろう。

 やがて物語が終わり、鮮やかな画面がのっぺりとした黒に姿を変えた時、僕はふと考えた。


 僕たちにとっての世界とは何だろうか?


 半径6371キロメートルを誇り、豊かな自然と多様な生物を内包した、青い惑星のことだろうか。暮らし、栄え、不思議なほどに循環を続けている社会のことだろうか。それとも、自分自身が身を置いている、この国全体のことを指すのだろうか。

 違う。

 きっと、そんな大そうなものではない。

 僕たちは、自分の両手の届く範囲を世界と呼んで、見たもの、聞いたもの、触れたものだけを世界と呼んで、きっとそれが精一杯で、きっとそれで十分なんだ。

 両手を広げて170センチ。

 その範囲に入った物だけが、僕の世界。それより外側にあるものなんて、誰かから聞きかじっただけのおとぎ話、空想上のフィクションでしかないのだから。


 ()()()


 僕たちは自分の足で歩くことができる。

 回り道をしたり、遠回りをしたり、そうして散歩でもするように、色々な世界を回りながら、自分の手で触れていく。

 そうすることで、少しずつ少しずつ、世界を広げていければいい。

 無機質でグレースケールな僕たちの世界は、きっとあの青を皮切りに、これから鮮やかに色づいていくのだと。

 僕はそう、信じている。


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