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25

 その日の夕方、古閑さんの家に着いて初めにしたことは、部屋のチェックだった。

 玄関のカギは空けておき、カーテンは完全に閉め切って、エアコンの温度はでき得る限り下げた。扇風機も回し、僕たちに当たるようにしたので、少し肌寒いくらいだった。生ごみも捨て、日時が経つと悪臭を放ちそうなものは全て取り除き、そこまで確認してようやく僕たちは、部屋の中で落ち着いて互いに向き合うことができた。


「久しぶり、古閑さん」

「久しぶり。あと、誕生日おめでとう」

「そちらこそ」


 そう言って僕たちは、小さく微笑んだ。


「春海は、あれから何してた?」

「特に何も。古閑さんは?」

「私も、何も」

「そっか」

「うん」

「……部屋、寒いね」

「ね。でも、これくらいにしないと、腐っちゃうかもしれないでしょ? 夏だし」

「そうだね」

「だから今は……これで我慢してよ」


 そう言って古閑さんは、僕を抱きしめた。

 彼女の柔らかなぬくもりが、肌を通して伝わってくる。


「どう? あったかくなった?」

「うん。悪くない」

「素直にいいって言いなさいよ」

「最高です」

「よろしい」


 僕もそっと、彼女の背中に腕を回した。

 古閑さんは少し身じろぎしたけれど、何も言わなかった。

 絹糸のような黒髪に顔を埋める。


「……うまくいったら、あったかいもの食べたいな」

「夏なのに?」

「鍋のことしか考えられない」

「ばあか。エアコンの温度上げたら、すぐ冷たいもの食べたくなるって。そうめんとか」

「今その名前出さないで、震えそう」

「貧弱だなあ。あー、もうご飯の話しないでよ。私、今朝から何も食べてなくて、お腹空いてんだから」

「準備いいね」

「あんた、まさか食べたの?」

「たらふく」

「何してんのよ、まったく……」


 対照的だな、と。僕はこっそり笑った。

 これが今の僕たちだ。

 明日には、同じになっていればいいのに。

 僕はそっと体を離し、ポケットに手を入れた。


「じゃあ、始めようか」


 そして黒い遮光性のプラスチックケースを取り出し、開ける。

 青色の薬が手の中に落ちた。


「うん。そうだね」


 彼女も僕と同じ様に、滑らかな手のひらに青い薬を出した。

 僕たちが取り出した薬は、薄暗い部屋の中、カーテンの隙間から零れ落ちた漁火のような夕焼けを受けて、それでもなお青くあり続けた。

 古閑さんの指がそわそわと膝を撫でているのを見て、僕は問う。


「緊張してる?」

「まさか。あんたの変態チックな発想に、改めてびっくりしてるだけ」

「でも、いいよって言ってくれたじゃん」

「そ、それはまあ……嫌ではなかったし……」


 最後の言葉はもごもごと口の中で動き回って、僕の耳にはほとんど届かなかった。


「受け入れてくれたってことは、古閑さんも僕と同じってことでしょ?」

「なんでそうなんのよ。私の心が広いの。あんたの変態性を、大らかな心で受け入れてあげてんの」

「分かった分かった、それでいいよ」

「あんたねえ……旅行終わったあたりから、ちょっと生意気じゃない?」

「そうかな?」

「そうよ」

「心境の変化があったからかな」


 僕はそう言って、ディープブルーを口にくわえた。

 古閑さんの首の後ろに手を回し、引き寄せる。


「ちょ、ちょっと待って……」


 あわてて古閑さんも口にくわえて、僕の顔を引き寄せた。

 互いの鼻が触れ合うほどの距離。

 その距離で。

 僕はディープブルーを舌の上にのせて。

 彼女もそれと、同じようにして。

 僕たちは、初めてのキスをした。


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