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15

 家に帰ると、母親が玄関で寝ていた。

 アルコールと油が凝り固まったような、つんとする臭いに、僕は顔をしかめた。どうやら、外で飲んできたらしい。


「……みず」


 かすれた声で、うわ言のようにつぶやいた。見れば、手に持ったミネラルウォーターのペットボトルは空っぽだった。どうにか自分でアルコールを中和しようと、試みはしたようだ。

 しょうがないなとスクールバッグを下ろし、キッチンで水を汲んだ。


「ほら、持ってきたよ」


 一向に目を開けようとしないので、手を持ち上げて、コップを握らせる。そして、ゆっくりと口元に持っていく。半分以上が顎を伝って胸元にこぼれた。

 ダメだな……これは。

 コップを回収しようとして、母親の手に触れた。細い指は、堅く、骨ばっていた。まるで骨の上に直接皮を貼り付けたようだった。

 暗がりの中、母親の横顔を見る。正しい年齢は知らないけれど、まだ若い、と思う。

 自分を産んだとき、彼女は一体いくつだったのだろうかとふと考え……どうでもいいかとすぐに思考を放棄した。

 何歩か先に歳を取ってしまったような寂しい手からコップを取り、床に置く。

 そのまま母親の脇に腕を通して、体を起こした。

 軽い。

 想定していたよりもすんなりと持ち上がってしまい、あやうくバランスを崩しそうになる。

 体勢を整えて、廊下を進む。少し歩くと、耳元で唸り声がした。


「……りゅう?」

「……」


 思えば。

 思えば、自分の名前が呼ばれるのは、随分と久しぶりのことだった。


「そうだよ」

「……あんた、大きくなったわねえ」


 夢の中にいるような状態なのだろう。きっと明日になれば、この会話だって覚えていないに違いない。僕は適当に相槌を打つ。


「もうすぐ十八だからね」

「知ってるわよ……それくらい……」


 どっちだよ。

 酔っ払いの戯言ほど、聞いていて無意味なものはない。

 扉を開き、電気をつける。

 悲惨な有り様だった。服は脱ぎっぱなし、下着は散乱、机の上には何かの本と資料の束が山積みになって、一部はなだれ落ちている。

 物が散らばった床を慎重に進みながら、ベッドに母親を横たえた。ベッドの上だけは何も物が置いていなくて、ここが彼女の生活空間なのだと言うことが見て取れる。

 スーツはしわになると取れにくいらしいので、仕方なく母親の上着を脱がせにかかる。


「りゅうー……」

「なに」


 ぐったりと力の抜けた人間を脱がすのは、意外と手間がかかる。片手で固定したり、体をつかったりしながら、なんとかして上着を剥いだ。


「学校は、たのしい?」


 なんだよ、その質問。思わず苦笑いがこぼれた。

 まるで小学生に聞くようなセリフじゃないか。もう後一年もせずに、高校だって卒業するっていうのに。彼女の中にいる僕は、それくらいで成長が止まっているのかもしれない。


「別に、普通かな」

「なによそれ……」


 ごろん、と転がった。シャツが見るも無残なしわを作っている。やっぱり上着は脱がせておいて正解だったなと思った。


「そんなつまんない言い方、しないでよ……」


 床に散らばった酒の空き缶を回収していた僕は、思わず手を止めた。



『つまんないやつ』



 さっき、耳元でささやかれた言葉と重なって、僕は自然と口角が上がるのを感じた。

 そうだな、僕はつまらないやつだ。

 とてもとても、つまらない人間だ。

 だけど。


「いいみたいだよ、それで」


 持てるだけの空き缶を回収して、僕は母親の部屋を後にした。

 電気を消すと、ベッドの上に横たわった母親の姿は、暗闇に飲まれて消えた。


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