……。
――――目を覚ます。
目の前には無明の空間が広がるばかり。
無限に続く砂漠がせめてもの彩りだ。
彼はふらつきながらも立ち上がる。
「……ここは、一体? あの世か?」
「よう、気分はどうだい? ……後ろだ後ろ」
彼は振り向く。
そこには見慣れぬ褐色美女が佇んでいた。
だが、対峙しただけでわかる。
神とはまた別格の存在、即ち邪悪と。
「……自分が誰かわかるか? なぜこの場所にいるのかも」
――――思い出す。
自分が積み上げてきた成果の裏に蓄積していた怨念の数々。
神の加護で全ての不運や都合の悪さから目を背けてきた人生。
――――ヴェニン。
ルシフの復讐により、自らの運命によってその生涯に幕を閉じた……はずの勇者。
「安心しろ、お前はちゃんと死んでる。……ワケあって消滅一歩手前でここに呼び寄せた。この空間はお前の為に特別に用意したもの。……自己紹介しよう。オレはアルマンド。報復と慟哭を司る魔女。ルシフの協力者だった者だ」
その言葉を聞いて、一気に背筋が凍るのを感じる。
魔女、それは異端者。
そんな恐ろしい存在がルシフのバックにいたとは思いもよらなかった。
だが、それなら奴があの奇妙な楽器を持っていたのも頷ける。
全ては、この魔女が奴に力を貸したことが原因であると。
「そうか、そういうことか……お前がアイツに余計なことをしたから……ッ! 自分がなにをしたかわかっているのか……? これは世界への叛逆だ、神への冒涜だ!」
眼光鋭く指を差す。
そして強く弾劾した。
魔女の行いを、ルシフの凶行を。
自分をこんな目に合わせるということが、どれほどに罪深いかを。
だが、アルマンドはまるで意にかえさない。
このとき、彼女の態度は完全に地上のときのものではなかった。
飄々としたガサツな態度は見られず、骸骨のように冷淡で荘厳な雰囲気を醸し出した表情になっている。
「うん? ……お前、魔女が神と相対する邪悪な存在かなにかとでも思っているのか?」
「そうじゃないのか!? 異端に異端を重ねて辿り着く冒涜者……それがお前等だろう?」
ヴェニンの怒声にアルマンドは眼光鋭くも、薄っすらと微笑む。
美しくもあり残忍にすら見えるその顔にヴェニンは思わず一歩後退りをした。
「世間一般の魔女のイメージは大抵そんなもんか。……いいだろう教えてやる」
「なにぃ……?」
「魔女は確かにこうやって固有の肉体を持ってはいるが……そもそもを言えば人にも魔術師にも該当しない、いや、該当しなくなったって言った方がいいか?」
「……どういう、ことだ?」
「オレ達は、人間や神といった知的概念を持つ者が求め夢想する、"真理"や"願望"そのものだ。あるいは……時代の節目に現れる一時の狂気、全ての物事の始まりにして物事の終わり。……とまぁ、挙げていきゃあキリがない」
真理、それは神のみが抱く永遠の摂理。
願望、それは生きとし生ける者全てに与えられた命の権利。
この女は言った。
魔女はそれ等そのものである、と。
「その顔だと……どうやら真理や願望を途轍もなく高尚且つ神聖なものと考えているらしいな。だが実際は違う」
「なんだと? ……それはないな。神あっての世界であり、その威光の下で人々は願望を寄せる。その証明こそが俺だ!」
「そんなもの、どれもこれもが見掛け倒しの虚ろな空洞だって言ってんだよ」
即ち、虚無。
勝手な思い込みから生まれた現実とは異なるモノ。
「……世間を見てみろ。神や英雄の定めた真理や正義の名の下に、平穏に暮らしていた異教徒や異種族がことごとく塵殺され、差別や貧困をなくすという信念が、いつのまにか選民的・排他的にして閉鎖的思想へと変わり、そぐわない者を処刑していく。……国家の在り方や命の尊さを穏やかに説く老人達の傍らで、過重な労働や過酷な戦争で苦しみ死んでいく若者達」
アルマンドは現実に起こっていることを次々に列挙していく。
流石のヴェニンとて、耳が痛いと思う話ばかりであった。
真理と願望を求めたがゆえの結果は常に輝かしいものばかりではない。
必ず、闇というものがあるのだ。
だが、その行為自体が悪ではないと、彼は知っている。
もちろんアルマンドも――――。
「オレ達は『世界や人は倫理的にも宗教的にもこうあるべきだ』『神たる自らこそが絶対』等といった思想で勝手に決めつけた真理や『こうあってほしいな、ああだったらいいな』等といった願望の総称、虚無との融合・同一化に成功した存在だ。魔女の活動と言えば、そういう連中との接触を果たした後、協力やちょっかいをかけることなんだが……」
「なるほど、報復と慟哭……お前はその念をルシフから感じ取り近づいて惑わしたというわけか!?」
「その通りだ、だが、少し語弊があるな。オレはルシフを惑わしてはいない、惑わす必要性すらない。そんなことしなくても大抵勝手に惑う。……それにな、オレは近づいたというより、"呼び出された"側の存在なんだ」
「なに……?」
「オレという存在を呼び出したのは他でもない……――――お前達なんだよ」
ヴェニン、ユーリナ、ルシフ、そしてその他諸々の関係者達。
それらの思念が、この悍ましい魔女を呼び寄せたと?
「今回の件はイレギュラーと呼ぶにふさわしい案件だった。神と、そしてその加護を得た勇者と戦乙女と凡百の人間。それらを取り巻く全ての因果と環境が『フィリア王国』という《特異点》を生み出した。オレは面白そうだと感じたらすぐに首を突っ込む性質でね、そのまま様子見させてもらったよ」
「……ずっと、全てを見ていたのか!?」
「そうだ、魔女ってのはある程度の未来は予知出来るんだ。……頃合いを見計らってルシフにアプローチをかけた。そしたらまぁすんなりと受け入れてくれたぜ。後は、ルシフの覚悟やらをしっかりと見定めさせてもらった上で協力をした」
「お前が……奴にあの変な楽器を……ッ!!」
「……ただの復讐劇なら腐るほどある。オレは見向きもしない。だが、相手は全知全能を自称する神の加護を受けた男女2人。騎士とは言えただの人間であるルシフがどういう風に動くのか検証してみたくなった。その為にあの魔楽器ムラマサを発明してやった。検証はこれ以上ないくらい成功だ……」
経験があるとはいえ、未知なる楽器を復讐の念だけで完全に習得した。
それだけではない。
ユーリナに弦を切られたとき、ルシフは弦1本でアレンジ演奏という悪魔的技巧を即興で行った。
「こんなことをして、神が許すとでも?! 天罰が下るぞ! 俺は神に認められた存在、選ばれた存在だ!! 俺が死んだ原因がお前にもあるってわかったら、タダじゃすまないぞ!?」
「……本当になにもわかっていないなお前は」
アルマンドはゆっくりとした足取りでヴェニンに近づいてくる。
不安定な砂の上を歩いているというに、その体幹はまったくブレていない。
そこに異様な恐ろしさを感じ取ったヴェニンは、また後退りをする。
「そもそも、魔女ってネーミングがチープなんだよな。"魔"は文字通り"恐るべきもの""忌避すべきもの"だが……こと哲学分野において"真理"は"女"に比喩されることが多い。つまり、魔女とは『忌避すべき真理者達』を表す言葉でもある。または『隔絶すべき真理者達』『排他すべき真理者達』……まぁいかようにも解釈は可能だな。近未来的な言い方をすれば『道徳を無みする者』か」
「な、なんだ……なにを言って……ッ!?」
ヴェニンは恐怖で足がすくみ、その場に尻餅をついた。
視線のみで彼を見下ろしながらアルマンドは三日月のように口角を吊り上げる。
「オレ達の知っていることは、特に神々とっては都合の悪いものばかりだ。それこそ今まで築き上げてきた威光や信仰がズタボロになるほどにな。ゆえに、神々の多くは魔女や魔女となった者達と取引をした……『アナタ方の邪魔はしない、代わりに力をかしてくれ』と。……お前等が崇めてる全知全能の神、元を辿ればある小さな国の森の神だった。……ところが、隣国が攻め入り、国や人々が蹂躙されていった。そんな中、神は力と信仰を失ったことで嘆き悲しむ。――――それがオレを呼び寄せた」
「……え?」
「まだわからねぇかな?」
そう言ってしゃがみ込み、へたり込むヴェニンの耳元にそっと口を近づけた。
「……生きながらえさせてやるだけでなく、それ以上の神格と信仰を与えて、他の国や異教の神に復讐する機会を与えてやったのは、――――オレなんだよ」
ヴェニンはここで初めて自分の立場を理解した。
神の加護がなんだというのか。
不死身が、最強が、そして自分の願望が。
この世に自分より勝る者なし。
そう考えていた結果、神でも魔物でも人間でもない、とんでもない化け物を呼び寄せてしまった。
寒気が止まらない。
目の奥がじんわりと溶けるような感覚が脳まで行き届く。
ふと手を見ると、焼けただれ炭化していくのがわかった。
だが、痛みや熱は感じない。
そう言えば、自分は今魂という形でここにいる。
どうやら朽ちる時間がきたらしい。
恐怖を通り越して冷静な分析をする。
「……そろそろ時間だな。もうちょっといじり倒してから貶めたかったが……まぁこんなもんか」
「ぁ……ぁ……あぁ……」
「――――魔女は神やその加護を持った者が世界を征服しようと、神を超越した者が宇宙を破壊しようと、そんなことはどうでもいい。取るに足らない結論だ。検証は別の方法でも可能だからな。……さらばだヴェニン、無敵のヒーロー。もう自我はないと思うが、朽ちながらゆっくりと見ているがいい。……この世界は更に混沌を極める。もう誰も世界を楽園には出来ない。不条理と暴力、そして悲しいほどの理不尽がこの世を支配する。……さて、次の検体でも探すか。別の次元宇宙へ行ってみるのもいいな。――――では、ごきげんよう」
無明の砂漠から魔女が消えた。
ぽつねんと残る人型ともとれぬ炭が、砂漠のど真ん中で鎮座している。
誰も彼を看取ることもなく、誰のひとりとして同情の目は向けられない。
暗闇と砂が広がるこの空虚な空間で、だたひとり朽ちていく。
――――世界の混乱を、幸せになるはずの日々を夢想しながら。




