28 友人
「よ、次女」
三時を過ぎた頃に、ラーシュとふらりとやって来た。
吸血鬼たちはこの時間になるとあまり来ない。彼らの活動時間の終わりに近づき、夜という短い時間を一番楽しんでいる頃だからだ。
マリスは椅子に座ったまま、顔を上げる。
扉の前で番をしていた母の方を見れば、椅子を指さされた。
彼は輸血に来たのではないらしい。父は立ち上がり、母のもとへ行く。
必然的に、マリスとラーシュは待合室に二人きりになった。
「……なに、どうしたの」
マリスが訝しんで聞けば、ラーシュは陽気な笑みで父が座っていた場所に腰を下ろす。
「いや、ただの様子見」
「はっきり言うね」
「次女相手になにを遠慮することがあるんだよ」
「確かにないけど」
ラーシュは足を組む。
「俺たちのせいで悪かったな」
どうやら、それを言いに来たらしい。
マリスは思わず顔をしかめた。
「なにそれ、やめてよ」
「相変わらず態度悪いな」
「態度よくしてほしいの」
「うわー」
「別に、心配されなくても大丈夫だし、エリカさんのせいでもなんでもない。気にしてるのなら、そんな必要はないことを伝えておいて。それに、サイラスは……向こうは元気でしょ。心配しすぎると余計な負担をかけるんだから、程々にしたといたら?」
「お前どうしたの」
目を見開いたラーシュは「めっちゃ喋るじゃん」と呟いた。
ちらりと見れば、肩をすくめる。
「いや、言い意味で、だよ。エリカのことも気遣ってくれてありがとな。次女の言うとおり、気にしてたわ。俺たちは一緒にいられるけど、どうしてそっちは無理なのかって」
マリスは、自堕落に生きていきたい、と言いながら、お互いを失う覚悟をしても一緒にいることを選んだエリカが心を寄せてくれたことを、純粋に嬉しく思った。
エリカは贄の娘という立場と、人として家族とともに生きる選択肢を捨てて一人の吸血鬼の元へ行き、マリスは花聖院の娘という立場に胸を張って立ち続けるために離れた。
下した決断はまるで違うが、彼女が自分を心配してくれたことが心強い。
エリカのためにこうしてマリスよ様子を見に来たラーシュも、きっと彼女を不幸にすることはないだろう。
「……もう輸血を受ける気はないの」
マリスが聞けば、ラーシュは頷いた。
「エリカさんは、知ってるのね?」
「ああ」
輸血を受けないと言うことは、ラーシュの寿命が縮むことを意味する。
吸血鬼は長命だが、それは血を補っているからだ。
人間が生きるために動物を狩って糧にしてきたのと同じように、昔の吸血鬼が人と争った理由もまたそこにある。
花聖院からの輸血を受けなくなれば、彼らの身体は人と同じスピードで老いていく。
吸血鬼が決して多くない理由も、輸血を受けない選択肢をして生を終える者が少なくないからだ。サイラスが言ったように、彼らにとって叶わぬ恋は終焉を意味するが、人と恋をした者もまた、そうして死へ向かおうとも相手と一緒に年をとることを望む。
ラーシュは、エリカと生きて行くことを選んだ。
彼女の覚悟に、応えた。
「ま、幸せにね」
「……本当に変わったなあ」
「気のせいよ」
「そういうことにしとくか」
ラーシュが笑う。
最後に顔を見せに来たのだろう。
マリスはふと、自分がどこまでここにいられるのか疑問に思った。
睡眠も、ナタリーや母よりも必要とはしない。始祖の血が濃いといわれる紫色の瞳の娘がそんなに簡単に産まれて来るものではないし、誰かに渡ってしまってはならないとその存在の経過を何かに記して残してもいない。
ただ、紫の目を持つ者は始祖の血が濃く、血を扱うことが苦手で、消し去ることが得意であるという、抽象的な特徴しか伝え聞くことはない。
父も母も、ナタリーと変わらずに育ててくれた。
けれど、やはり自分はどちらにもなれていないことを感じる。
自分がどこまで生きるのか、マリスは知らない。
「なあ、次女」
ラーシュの声に引き戻される。
「あの人は元気だよ」
「ああ、うん。じゃあ、私はどう見える?」
聞き返せば、どこか悲しげな顔が笑った。
「元気に見えるな」
「そうでしょ」
そう伝えてくれ、と言いたかったマリスの意思はしっかり伝わったらしい。
ラーシュは立ち上がると、マリスに感謝を伝えて帰って行った。
世話になったな、とだけ言ったラーシュの後ろ姿を見送る。
どうか幸せで。
マリスは心の中でエリカとラーシュに花束を贈るような気持ちで祈った。
○
「こんばんは、マリス様」
黒くうねった髪を今日はポニーテールにして、新緑を思わせるドレスの裾をヒールを履いた足で捌きながら、ティアがマリスに声をかける。
吸血鬼の待合室に今日はマリス一人だ。
彼女はいつもの椅子に座っているマリスの前で白い手を重ねてにこっと笑う。
「……座って」
「はい」
にこにこっと微笑まれて、マリスは浅くため息をついた。
彼女は妖艶な雰囲気を持っているが、話すと随分砕けて可愛らしい印象になる。しかし、それが対自分用であることはマリスはきちんと承知していた。
怖がらせないように細心の注意を払ってくれているのだろう。
「また来たの?」
マリスが聞くと、隣に美しい姿勢で座った彼女はこくりと頷く。
「ええ。私たちお友達でしょう? 会いに来てはいけませんか?」
「友達には敬語は使わないのよ、ティア。そもそも名前に様なんてつけないし」
「まあまあ、マリス様を呼び捨てにしろと仰いますの? 嫌です」
大仰に首を横に振る。
この攻防もなんやかんや、五年になる。
マリスとサイラスが一切の接触を断ってから、もう五年が経っていた。




