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27 終着点


 マリスが父から聞いたところによると、思い起こせばマリスに「双方」から縁談の話があったときから、サイラスはこうなることを考えていた様子だったという。



「まさか自分の娘があの噂の想い人だとは思わなかったけどね。それらしい理由を付けてマリスの縁談の回避に協力してくれていたから全く結びつかなかった。あの人は、隠したり誤魔化したりするのがうまいから」

「……そうね」


 マリスが言えば、隣に座った父は読んでいないであろう本のページをめくった。



 十二時を過ぎた吸血鬼たちの待合室は、マリスと父しかいない。

 ナタリーは休み、母はいつものように門の内側に椅子を置いて、休息をとりつつ門番をしている。いつかあそこに座るのは、ナタリーになる。

 マリスは待合室に一人座っている自分の姿を想像して、苦笑した。

 サイラスと一緒に過ごしている姿よりも、容易に思い浮かぶ。


「あの人は」


 父が独り言のように言う。


「あの人は、最初からこうするつもりだったんだと思うよ。再会があんな形になるとは思っていなかったようだけど、いつか会いに来て、できる限り一緒の時間を過ごして……君の気持ちを知りたかったんだと思う」

「うん」


 わかっている。

 そうやって、終着点へと導いていた。憎らしいほどに、自分のことをよくわかっている。マリスは穏やかな菫色の目を細めた。

 そうやって、気持ちをマリスへと預けて行った。

 預ける、だなんて優しい言葉では言い表せない。

 サイラスは、マリスの心の深い場所にイバラとともに留まり続けているのだ。永遠に、消えそうにない。




 あれから一週間が経つが、マリスは一見いつもと変わらない様子だった。

 いつものように、朝一番に東の門を開き、昼間は採血にこっそりチャレンジを試みて叱られ、地下の水瓶の水を浄化し、夜は待合室で父とともに座っている。


 母もナタリーもあの会話は知らないはずだが、何かを察したようだった。突然来なくなったサイラスのことを一切口にしない。

 見かねた父が、こうして一週間ぶりにサイラスの話をするためにタイミングを計るくらいには心配をかけている。


「騎士団との縁談が無事に何事もなく終わって、君に約束をもらえて、あの人は満足してるよ」


 こうして、こっそりとサイラスの様子を伝えてくれる。

 あちらも何事もなかったように過ごしてくれているらしい。

 マリスが小さく笑うと、父の肩の力が抜けたのがわかった。


「そう。よかった」

「うん、大丈夫だよ」


 頷かれる。

 私も大丈夫なのだと、マリスは緩く頷く。

 マリスの中に留まり続けているサイラスの心は、まるでいつもぼんやりと光っている様で、以前より強くその気配を近くに感じる。妙な話だが、常に見守られているような気がするのだ。

 前ならばストーカーだ何だと悪態をつけたが、どうしても今はそんな気持ちになれない。自信の変化に焦っていたことが嘘のように、それを受け入れられた。


 会えないことも、手紙ももう届かないこともわかっているが、不思議と心は安定している。涙が流れたのは、あの日、最後に頭を撫でたサイラスが気配ひとつ残さず消えた後だけだ。


 サイラスの心を預かったと同時に、マリスの中にあった心の一部は、きっとサイラスがあのまま持って行ったのだろう。



「……マリスは?」



 父に聞かれ、マリスは小さく笑った。

 ああ、そうだ。こういうところがいけなかったのだ。

 黙って、一人で飲み込んで答えようとしないところが、相手を不安させてしまう。サイラスは話せないこと以外は自分から話してくれていた。割と、どうでもいいことも。


「私も大丈夫。ごめんね、黙る癖があって」

「いや」


 なぜか驚かれている。

 こちらを見る気配がしたので、マリスは父をちらりと見た。

 その横顔が、見る見るうちにほっとしていく。


「気にしなくてもいいよ。答えると嘘になるときや、誤魔化したくないときにマリスが黙ることはみんな知っているから」

「……そっか」

「本当に、大丈夫なのかい」

「うん。平気。サイラスのせいでね」


 あの日、初めてサイラスの心を受け入れ、そしてその人への穏やかな想いをマリス自身が受け入れた。サイラスの狙いはそれだったのだろう。


「多分だけど、こうすることで一生お互いを手に入れたんだと思う」



 婚約も求婚も、すべて蹴って、マリスはナタリーとともに花聖院で生きていくことを選んだ。中立だという崇高なものに尽くすのではなく、自分が自分を許せる道を選んだ。あのまま、芽生えた恋情のままに婚約に頷いていれば、いつかきっと、それも近いうちに激しく後悔しただろう。家族を捨てて平気な顔でサイラスの隣にいることはできず、それを見るサイラスもきっと平気な顔はできなかった。お互い不幸になりながら、ずるずると陰鬱になっていく未来がサイラスには既に見えていたのだ。


 そう、前に言ったように。


「新しい思い出だけを持って生きていくことが、一番幸せなんだと思う」


 昔とは違って、お互いのお気持ちをしっかりと確認しあって、預かって、渡して、胸の内で大事に持っている。


「私の誓いが、いつまでサイラスを縛れるかはわからないけどね」


 誰とも結婚しない、と誓った。

 あなただけが大切なのだと伝えたつもりだが、好きだと伝えないただそれだけの言葉で、どこまでサイラスをつなぎ止められるのか、マリスには全くわからない。それでもあの人の心はここにあると思えた。


 父がそっと手を差し出す。

 マリスはそれを柔らかく握った。


 父の手に、細いイバラの影が一本だけ巻き付く。

 まだ、私たちはつながっている。


 マリスは笑う。

 穏やかに、少しばかり大人びた笑みで。




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