25 たった一度
信用しているとか、していないとか、そういうことではない。
サイラスが、赤い目を鈍く光らせる。
「拒絶すればいい。マリスが望めば、二度と来たりしない。けど、そうしないだろう?」
「私のことを知らない癖に」
怒鳴らぬようにキツく睨みつければ、何故かその腹の立つほど美しい顔は勝ち誇ったように笑った。
「知っているよ」
どれくらい言葉をやりとりしてきたのか忘れたのか、とサイラスはマリスを見る。
わかっている。
どれくらい自分を「理解」してくれているのかは、十分すぎるほどわかっている。けれど、ならば放っておいて欲しかった。
「俺を受け入れられないのは、君がここの娘で、瞳が紫色で、俺に立場があるからだろう。でも、それはすべてどうしようもない。君は死ぬまでここの娘で、瞳の色を変えることはできないし、俺は次に相応しい者が出てくるまでは当主の座を下りることはできないし、するつもりもない」
はっきりとサイラスが言った。
マリスは、どれだけサイラスが葛藤の中で生きてきたか知っている。
初めて会った裏門で、血にまみれてぼろりと涙を流した少年の姿をずっと、覚えている。手紙のやりとりで、マリスのことを気配りながらも、サイラス自身もまた不安を打ち明けてくれることもあった。周りに信頼してもらえるように、安心してもらえるように、いくら不安だろうと動揺しようと、それを見せないように努力してきたことを、マリスはきっと誰よりも知っている。
覚悟の上の立場を捨てる気などないことを、知っている。
「それの何の問題が? こうして会うくらい許されてもいいはずだ」
本気で言っている。
マリスは顔をしかめた。
「私は会いたくない」
「嘘を言うな」
「……」
腹が立つ。
猛烈に。
マリスは思わず手を握りしめた。
サイラスに応えられないことをわかってくれていてなお、どうしてこんなに追いつめてくるのか。
本当に腹が立って仕方がない。
嘘をつき通せない自分に、どうしようもなく情けなくなる。突き放せない理由などわかっている。お互いに。
「……何が望みなの」
マリスがじっと見据えれば、サイラスは同じようにマリスを見つめた。
「正直に」
それだけを言う。
わかっているんじゃないのか、と睨めば、わかっているが、と同じ温度で返された。
この男は、正直に言え、と言っているらしい。
周りのことなど何も気にせず、心の内をすべて渡せと、マリスに言っているのだ。
「マリス」
穏やかな声で呼ばれる。
「たった一度しか望まないと約束する」
見透かした赤い目が、マリスが心の奥に沈めていたものを優しく揺さぶった。
「……」
マリスの口からため息が漏れる。
彼は引く気がない。
言えば何かが変わるとは思えないが、マリスは口を開いた。
「……昔から」
「ああ」
「初めて会ったときから、ずっと大切に思ってた」
ああ、言いたくない。
マリスの感情が波のように揺れる。
本当は自分でも触れたくない、一生触れるべきではないと思っていた場所だ。
けれども不思議と、意志に反して次々と感情が言葉となって溢れていく。
「……私の支えだった。ずっと。会ったことが一回しかなくても、手紙しかで言葉を交わせなくても、空想めいたやりとりだったとしても、あなたの言葉が嬉しかった。あなたの言葉だから嬉しかった」
手をキツく握る。
身体の力が抜けてしまって、立てなくなってしまわないように。
「だからもう、放っておいて。あなたの言うように、私の瞳もあなたの立場も変えようがない。私たちはどうにもなれない」
どうにもなれないのなら、会うべきではなかったのだ。
思い出だけを持って生きていくべきだったし、最後まで嘘を上手について思いっきり嫌われて、中立だの何だの気にしないで拒否をしてしまえばよかった。
立場があるから「無理」と言っていても、立場を利用してサイラスと会える口実を用意していたのかもしれない。マリスは、彼が完全に自分を拒否しないことをどこかでわかっていた。
苛立ちは自分に向けてのものだった。
卑怯で、幼い自分に向けての。
「それで?」
サイラスが子供を諭すように聞く。
「君は俺が嫌いなのか」
「サイラス」
「そうじゃないのなら、どうにもなれないわけではない」
愛おしむように目を細められて、マリスは眉を顰めた。
正反対の表情が向かい合う。
「……何を言っているの」
「俺たちがお互いの立場でどうにもなれないのは確かにそうだが、マリスが俺を想ってくれているのなら、どうにでもなれる」
「意味が」
「俺を想ってくれているなら」
「……」
「マリス。俺は、君を想っているよ。初めて会った頃から、一生、そうであれると誓える。君は?」
「……」
「君は?」
「……私は何も誓えないけど」
「けど?」
「……同じよ」
「誰と?」
しつこい。
サイラスの執拗な「確実な言葉」の要求に、マリスは少しばかり辟易した。
が、どう見ても逃す気はない。
「誰と、何が、同じなんだ?」
しかも何故か、とてつもなく幸せそうだ。
マリスはむっとした顔で仕方なく口にする。
「……サイラスと、同じよ。初めて会ったときから大切に想ってる」
何でこんなことを口にできているんだろう。
どこかで冷静なままでいるもう一人が呆れている。
けれど、同時に誰よりも自分がほっとしていることに、マリスは不思議な心地になった。安堵している。ようやく重い荷を下ろせたように、疲れの中に妙な清々しい気持ちすらあった。
「そうか」
サイラスはといえば、ふわりと浮いた「そうか」を発して、マリスをじいっと見下ろしている。まるで夢でも見ているかのように。
「サイラス?」
呼べば、ハッとしたように赤い目が一層輝きを増し、マリスの手を掴んだ。
「結婚しよう」
「……あのね、私たちはどうにもなれないって言ったでしょ」
「だが、どうにでもなれると言っただろう」
そう言うサイラスは自信に満ちていて、マリスは一体何が「どうにでもなれる」のか全くわからないまま、とりあえず父がいたことを思いだして手を振り払うのだった。




