24 苛立ち
サイラスがどうやって呼んだのかは定かではないが、エリカを送っていったはずの父は、ものの三分で完全隔離部屋の前へと到着したらしかった。
「ああ、それで、アレとはちゃんと話せたのか」
「いい人だった。すごく可愛い人ね」
「それは知らないが」
「あら残念。知っていたら、きっとラーシュと会わせたことを心から後悔したと思うよ」
「残念ながらそんなことは絶対に起きない。本当に正しく聞いたか?」
「彼女はねじ曲げて話したりする人なの」
「いいや。嘘も誤魔化しも得意なタイプではない」
「へえー」
じり、とにらみ合う。
エリカからは聞いてある。サイラスが、思惑があってラーシュとエリカを引き合わせたのかもしれないということを。おそらく、用済みになったので気の合う人を、ということだろう、とエリカは笑顔で言っていた。
吸血鬼を父に持つマリスより、彼女は吸血鬼のことをーーサイラスのことをよくわかっている。
それが少し、居心地が悪かった。
「……よろしいかしら、当主様」
母の声が部屋にうわんと響く。
二人はそろって天井を見上げた。
「ああ。院長殿。どうかしたか」
「……夫が、あなたとお話をしたいと申しております。今、部屋の前に」
「そうか。フィンが言うのなら、まあ、仕方ない。通してくれるか」
しらじらしい。
マリスがちらりと見ると、悪戯のような笑みが返される。
なんというか、ここは完全隔離部屋という一種の牢であるのに、この横柄で自分の手の内のような態度はなんだろう。マリスはむすっとサイラスを睨んだ。
ふふ、とおかしそうに、楽しそうな顔を見れば、すぐにその不機嫌な顔は自然と引っ込む。とりあえず、無言のまま父を待つのもおかしいので適当な話をしていたが、到着は思ったよりも早かった。
「失礼するよ」
穏やかな顔で入った途端、父は天井に向かって話しかける。
「当主様と話すから、切るね。しばらく三人にして置いてくれる?」
「……わかったわ」
「ありがとう、リリアさん」
柔らかな物言いに、無言の先の母がときめいているのがなぜか伝わってくる。しかし、すぐにその余韻も途切れた。
「よし。お呼びですか?」
「お前、これ切れるのか」
「ええ、まあ。秘密ですけどね」
「……まあいい。座れ。ほら」
パッと一瞬で木製の椅子が現れ、マリスは呆れた。
「あなたの家じゃないんだから勝手に持ち込まないで」
「心配しなくても、きちんと持って帰る」
「とりあえず座りますねー」
父は慣れたように椅子に腰を下ろす。
まるで立会人のような位置で、これから父に聞かれながらサイラスと話をしなければならないのかと思うと少々思うところはあったが、そんなことは言ってられない。
「それで?」
サイラスが聞く。
マリスは腕を組んで睨んだ。
「私に何をしたの」
父が「ん?」と言いたげな顔をしたが、サイラスはくつろいだ様子で首を傾げた。
「何を、とは? 俺は特に何もしていないが」
「嘘。私、おかしい。感情が今までの何倍も揺れて表に出やすくなってる。イライラしたり、そういうの、抑えられないの。絶対イバラに関係があると思うんだけど?」
「……ああ」
サイラスは微笑むように目を伏せる。
「それはなによりだ」
「どこが?」
「どこ? すべてだよ。君は自分の気持ちを抑えすぎる。いくら態度や口が悪いときがあっても、基本的には他者優先。それも見えにくい。周りは君が強いと思っているだろうけど、そうじゃない。ただ何も感じないように、綺麗に折り畳んで、底に沈めているだけだろう」
「やめて」
「こうして、自分の内を知られるのも心底嫌がる」
「サイラス」
「何故かわかるか? 知られてしまっては、頼ってしまいたくなるからだ」
マリスは口を閉ざし、サイラスを睨む。
わかっていてどうしてわざわざ言うのか。
手紙の相手に会うことはできないとわかっていたからこそ、本音を書けたのだ。
一人だけ違う紫色の瞳や、ナタリーのようにできない自分や、姉たちのように役に立てないのに「花聖院の娘」であることの意味の弱音を周りに毒のように吐いてなんになるのだろう。それをしてしまえば、きっと慰められてしまう。事実であることを、慰められるなどマリスには耐えられなかった。手紙でだけ。幼いときには泣きながら手紙を書いた日もあったほど、マリスの心の内はサイラスにしか向けたことがない。
会うようになってしまった今は、それもかなわないが。
「マリス」
「……」
「イバラは、君の感情に反応して上に押し上げているんだろう。それは君自身のものだ。無碍にしないでやって欲しい」
無碍にするな?
マリスは思わず怒りがこみ上げた。
「無理、絶対に無理。どうしてこれを許せっていうの? あなたが腹立たしい。私が何もできないことをわかっていてこうして来る。イライラする。彼女のことだって、羨ましくなんて思いたくない」
「マリ」
「来ないで」
立ち上がったサイラスを止めるように、マリスも立ち上がって睨みつける。
「もう来ないで。これも持って帰って」
指輪を指さす。
サイラスは唇だけで笑った。
「俺を怖がることはない」
「怖くなんてないけど」
「じゃあ何を恐れているんだ」
「何も怖くない」
「結婚してくれ」
「無理」
「ほう。まだ無理、か」
勝ち誇ったように笑われて、マリスは睨み上げることしかできない。
「いつになったら、嫌だ、というつもりだ?」
嫌だ、といえば引く。
そうした意思表示をマリスは忘れてなどいない。
「このお遊びは中立を保つためか? 人と吸血鬼のバランスを崩さぬように? マリスは優しいなあ」
「……やめて」
「だが、君が俺を拒否すれば、そんなものはどうとでもなる。そもそも、俺が下の者を抑えられないとでも? 俺はずいぶんマリスに信用されていないらしい」
「やめて!」
マリスは苛立ちを抑えられなかった。
目がチカチカするほど、頭に血が上っていく。




